- 上田流尺八:創始者は上田芳憧(明治25年9月26日生まれ本名喜一)。明治40年に中尾都山に師事(雅号:佳山)。自作曲「水の行方」「五月雨」という本曲を公演し破門となる。これをきっかけに、大正6年に独立したもの。正式には大正10年に上田流と命名。作曲のほか七孔尺八等も考案するがこちらは定着せず。本拠地は関西以西。宗家は、阪急服部駅から吹田市の方に徒歩15分ほど歩いたところ。現在の宗家は二代目佳道師(平成16年没)。この上田流から分かれた流派に村冶流がある。
- 浦山義山:越後明暗寺の神保政之助に師事。
- 歌垣:(うたがき)。宇多我岐(ウタガキ)、加賀比(カガイ)、とも言う。古代(天平頃)、丘の上とか市の端に集まって歌い踊ったという。今日の盆踊りの原型とも言われる。似たものに踏歌と言うものがあるが、これは漢から伝わった物であり、歌垣が、大陸から伝わったこの風流な踏歌に吸収されてしまったのでは無かろうか。
- 上原六四郎:雅号虚洞。荒木竹翁の門人。著書に「俗楽旋律考」などあり。尺八の点譜形式を考案。
- 上原真佐喜:初代本名孝太郎。明治2年生昭和8年没、65歳。山田流箏曲家。奥村真砂に師事。
- 雅楽寮:(ウタマイノツカサ)。文武天皇の時に造られた法定(大宝律令)の歌舞を司る役所。唐の制度に倣う。のちには楽所(ガクソ)と言う。仁明天皇の頃、左方の楽と右方の楽に区別される。左方の楽は唐楽など、右方の楽は高麗楽など。
- 右方の楽:仁明天皇頃、雅楽の整理があり、左右の二つの楽に分けられる。左方は唐楽、右方は高麗楽と言われ、三韓楽(朝鮮)をいう。