

- 当道:(とうどう)盲人の自治組織。室町時代、明石覚一と言う人物が現れ、社会的な地位向上や、生活の糧を確保するために当道座と言う、職業組合のようなものをこしらえました。これを当道座と言う。元は人康(さねやす)親王が盲人を呼ばれるのに、是れ我が当道と言われたと言う説があるが、定かでない。
- 当道職屋敷:徳川時代に至り伊豆円一が幕府の庇護の元に当道座を確立し、盲人の専業として琵琶、箏等を占有したのです。ただし、これらは男子のみであり、女子についてはあまり明らかではありませんが、”ごぜ”という地域ごとの職業組織に属していたようです。当道という組織は、盲人達を統制し巨大な社会勢力をなし、伊豆円一の政治力によって、一部の職業を独占する権利を得ることが出来たわけです。
幕府にとっては、組織を保護をするだけで、障害者の福祉や治安維持を一切を互助組織にゆだねることが出来たのです。
障害者達にとっても社会的地位の向上や経済的安定を得る、自立の道が開かれたわけです。
以降、明治4年に至るまでの間、原則的には琵琶、筝、三味線や鍼灸、あんまと言った盲人達のみに許されていた職業などを、一般人がその職業領域を犯すことは出来なかったのであります。
当道職屋敷は度重なる笠井で消失、慶応元年の消失以降再建途上で、当道制度の廃止となる。
関東に一時惣録屋敷が作られる。職検校は杉山和一で鍼灸術の名人。将軍綱吉の治療のために江戸の移るために建てられたもの。惣録の三代で廃止される。
- 鳥井虚霧洞:(若菜)本名譲次。明治15年2月1日熊本生まれ昭和45年7月31日88歳で没。川瀬門下。尺八の専門教授で活躍するも、大正12年の大震災後、帰省、熊本で虚霧洞と改名。長谷検校の教えを受ける。
- 都山流尺八:明治29年中尾都山(本名:琳三)が大阪・高麗橋で創立。現在は、(財)都山流尺八楽会、新都山流、(社)日本尺八連盟などに分れている。
”チャルメラ宗悦”とも言われ、長崎のち京都明暗系の尺八名手、近藤宗悦の影響を受けたとされる。
初代中尾邸は、京阪枚方駅から5分ほどのところにひっそりと保存されている。
- 富崎春昇:明治13年9月12日生。父は文楽の人形遣い吉田玉助。両親離婚のため、2歳で他家に預けられる。4歳頃失明、8歳で富崎宗順に箏の弟子入りする。芸術院会員。詳しくは「富崎春昇自伝」参照。
- 徳永徳寿:本名中井徳太郎。安政2年生、昭和11年没、82歳。生田流箏曲家。岩島検校に学ぶ。維新後の混乱期に寄席に出て縁かいなを歌って有名。検校の寄席として、あるいは嘲笑を買った。
- 唐楽:三韓の楽が日本に伝わり、その次ぎに日本に伝わったのが唐楽である。持統天皇7年には漢土等が踏歌を奏すとある。天武天皇大宝2年の正月に唐楽、「太平楽」「五常楽」を献奏。
- 十割法:「尺八目割法」の一種。竹の全長を十分割して、かく指孔の各位置をその分割比で表したもの。他に九半割、十半割がある。
孔間比率 |
九
半
割
法 |
十
割
法 |
十
半
割
法 |
歌口〜裏孔間 |
4 |
4+1/2 |
4+1/2 |
裏孔〜第四孔間 |
1/2 |
1/2 |
1/2 |
表各孔間 |
各1 |
各1 |
各1 |
第一孔〜管尻間 |
2 |
2+1/4 |
2+1/2 |
表の通りであれば、第三孔(チ音)が、少し高くなるので、現在は三孔の孔を少し管尻側に下げるか、孔自体を他の孔より小さくして補正している。(古管は、このためチはメリ気味に吹き、少しカルとリメリの音になるので、現在では、譜面でチカリとあれば、リメリで吹くのが一般的である。)
[関連]調律法:尺八製管における仕上げ作業として、音程を整える作業。詳細は尺八調律秘法。
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