三味線:三弦あるいは三絃といいます。(弦と言う字にこだわる方も居られますが、大体は、絃の字を使います。)は、字を見れば大体想像がつくと思いますが弦は3本です。
三味線は永禄頃、琉球(現沖縄県)から日本に伝わったと言われています。
沖縄には中国は明時代初期に、沖縄に移民した中国の帰化人によって伝わったと言われます。後、赤犬子が琉球歌曲を作ります。
このように琉球で進化した三糸(サンシンと言う。別説に二弦の説あり)が日本に伝わるわけですが、諸説があります。
その代表的なものは以下の通りです。
一つは、1560年頃、泉州堺の港に琉球(沖縄)に蛇皮線が堺に伝わり、中小路という琵琶法師が、長谷寺(堺市)に籠もり工夫改造して作ったのが三味線といいます。
もう一つは、文禄の頃、琵琶法師石村検校が琉球に渡り、蛇皮線と言う楽器を知り、帰国後三味線と言うものを作ったと言うものです。
その後、中小路、石村、虎沢と続き、この後沢住検校(浄瑠璃系)と、山野井から柳川の流れに分かれます。、柳川検校が三味線組唄を、また、野川検校が大坂で野川流を興します。野川は、柳川検校の後、浅利、浅妻の後の人です。
蛇味線の胴には蛇皮が使われていましたが、これを猫の皮、あるいは犬皮にしています。三味線の構造ですが、大きく分けて、天神部、棹部、胴部に分かれます。
天神部分には糸倉と言う、糸巻きによって弦を巻く部分があります。棹は一般的には上棹、中棹、下棹の三つの部分に分かれていて、これを継いで一つの棹になります。胴部分は共鳴部分でもあり、動物の皮を貼ります。本体の材質は、花林、白紅木、紫檀、紅木等です。
棹の太さは、太、中、細棹の三種類です。太棹は義太夫用、中棹は地歌、小唄、常磐津清元など、細棹は長唄などに用います。同様、撥や駒、糸にも色々あり、それぞれ細かく約束事があるようです。三味線には一の糸に独特のうなり音、サワリを上手く出すことが重要です。
棹の部分は、紅木、紫壇、花梨と言った材質のもので作られ、最近のものは三折れ式の分解が可能な構造になっています。
弦楽器は、ギターもそうですが、開放弦の響きが一番安定しています。押さえないことによって、手が自由に成る事が出来るので、演奏技術上も重要な役割を果たします。(例えば、開放弦を引きながらその間に、押さえる位置=ポジションを大きく飛躍させる)
調弦は、大体一番太い弦(低音)を基準音にして真ん中の弦を完全4度、三番目をオクターブ上に調弦します。
合奏する場合、この基準音を他の楽器(尺八の筒音、琴の五の糸)に合わせます。
洋楽の場合も基準の弦を主音、に合わせればよい事がわかります。
開放弦が、三本ですので、この開放弦の音を何に合わせるかが重要だと思いますが、基本は、いつもよく使う調弦から離れすぎると演奏する場合、押さえる位置と、音の高さがわかりにくいとは思います。
やはり、筝と同じですが、転調した場合開放弦が使えなくなると、演奏が難しくなります。