- 中菅検校:菅道雄、後の宮城道雄。中島検校に手ほどきを受ける。朝鮮半島で箏曲教授をていたが、尺八演奏家吉田晴風の招きで東京に移る。19歳で結婚し、妻方の宮城姓よ名乗る。
- 長谷検校:(ながたに)三味線の名手。天保11年(あるいは14年)熊本生まれ。6歳で失明。須美都勾当、岡崎検校などに学ぶ。60歳頃東京に出るが、晩年は熊本の戻り大正11年(あるいは9年)逝去。
- 那智俊宣:(鈴木映雄、雅号・鼓村)--->京極流箏曲創始者-->鈴木鼓村
- 長唄:長唄:(ながうた)
元々、蛇皮線が堺の港に伝わり、三味線に発展していく過程で、琉球の曲等を適当に?何曲か組み合わせて長い曲にし、三味線組歌が作られます。
この三味線組曲の後、新しく小唄を集め、あるいは歌詞を適当に組み合わせて長い曲(演奏時間)を作ったがものが上方唄あるいは、長唄と言いました。
三味線が江戸に伝わり、(柳川検校門人、佐山検校と言われる)歌舞伎と結びついて発達したのが一般に言われる長唄で、今日の長唄はこちらの方を言います。長歌と長唄に書き分けられている場合、長歌と書かれているほうを、上方唄あるいは地歌と言われます。古来、三味線組唄というものが生まれ、八橋検校がそれを模して、箏組歌と言うものを作ったといわれています。
- 中尾都山(初代):(本名:琳三)母は、寺内大検校の娘。明治29年大阪・高麗橋で創立創立(二十一歳)。「雨の念仏」(宮城道雄)によれば、都山流尺八の流祖中尾都山師は非常に頭がよくて、物覚えの極めていい人である。都山流を起こす前に、箏の師匠の家に行って、箏を弾かせて、尺八譜に書き改めて、雨の降る日などは傘の裏にそれを張って、家に帰るまでに途中で暗記していたという。それ程苦心した人であった。昭和31年80歳没。
- 中村宗三:「糸竹発心集」を著す。大森宗勳之門人。幼くして失明、一節切尺八家。
- 中塚竹禅:北海道江差市、明治20年生まれ。本名一観。独学で勉強。大正8年川瀬順輔に師事。
尺八研究家。復刻「琴古流尺八史観」を著。(三曲誌の記事を集めたもの)
- 中島絃教:神道扶桑教の音楽組織として、山下松琴により草案された仁康教会の検校となる。
宮城道雄の師。
- 中能島松島:本名園太郎。天保9年生、57歳没。山田流箏曲家。三歳で失明小名木検校、長瀬勝男都に学ぶ。