


- 家元:広辞苑によれば、その流祖の正統を伝える地位にある家人、宗家とある。
言葉の解釈は兎に角として現実的には、お師匠さんに教えを受け、ある句切り(たとえば修歳月とか、一定の習熟度により)免状を交付するシステムである。
当然、そこでは免除料として、お金の収受が行われるわけである。宗家への収入として、あるいは一部が師匠への配分がなされる。
さて、いかにも日本的なシステムのようで、何か古くさい封建制度の代表格のような、悪玉のイメージを持たれている人も多いと思う。
しかし、よく考えてみると、なにも日本だけの特殊な形態ではないことがわかる。
今日の資本主義社会においては、重要な企業あるいは個人の権利を守るシステムとまるっきり同じであることがわかる。
それは、”物事”の創始者の権利を保護する、特許、意匠と同じで、創始想像した本人はもとより、その企業、一族が当然の権利として占有を継続することができるのが普通でありまた法律でも保護されているのである。
また別な言い方をすれば、ある種の商標と考えれば、それを無断で使うことは禁じられているのは誰もが周知の事実である。当然のことながら、家元の発行する看板を無断で使うことができないのはこれからすれば論を待つまでもない。
さらに言えば、近代的に言えば、コンビニのように看板を借り、ロイヤリティを払うように物質と、芸という無形の違いはあれ何ら変わらない商取引の一変種なのである。
日本の芸事は、お師匠さんが教授の代償に月謝を受け取り、芸を教え、弟子がある一定の習熟度に達したとき家元に免状を申請する。
学校であれば、卒業するときに一回卒業証書という免状を戴くが、芸事の場合は幾度も段階を追って免状をもらうことになる。当然、そのときに免状料を払うことになるが、一回がいいのか何回も払うのがいいかは一概にはどちらが言えない。
当然、学校の卒業証書がタダだなんて思いこんでいる人はいないだろうと思うが、当然、卒業までの間に支払う授業料には、卒業証書どころか先生の給料、学校という組織維持のための費用、さらにはオーナ−の利益も当然含んだものを支払っているのであるが、家元制の場合は、月謝は先生個人の収入分のみしか支払っていないのであるから、当然、どこかで、組織の維持費や家元というオーナーに利益分を支払をなければならない。
いずれにしても、邦楽組織が国民に義務を負わせているものではないので、組織の一員になるならないは個人の自由であるから、家元制の善悪は軽々に述べがたい。
最終結論は時が自然に回答を出すからである。
- 石川勾当:幕末頃活躍。新青柳、八重衣等を作曲。
- 一休宗純:(1394-1481室町時代中期の臨済宗の僧。京都田辺町薪村の酬恩庵、堺の集雲庵住職。晩年、京都大徳寺住持となる。号は狂雲。奇行が多く、後小松天皇の胤と言われ、6才で出家させられる。諸芸に優れていた。一般には、とんち噺の”一休さん”で有名。
世阿弥の婿養子金春禅竹が、一休に参禅、謡曲「山姥」「江口」が、尺八曲では「紫野鈴慕」が、一休の作といわれている。著作に狂雲集、骸骨など。一節切尺八をこよなく愛した。普化尺八の祖とも言われる。
- 今様:(いまよう)。和讃から転じたもの。今めかしい、今風という意味。1,750頃隆盛。仏教の和讃という謡物の四句拍子のもの。催馬楽、風俗、朗詠などとともに総称として、郢曲(エイキョク)ともいう。
- 一朝軒:博多の明暗寺系寺。聖福禅寺の末寺。寛永年中(1624〜1643)博多の浜部にあった無住の禅寺円通寺を、京都明暗寺から托鉢行脚にきていた一翁(円通寺一朝軒開山)と言う虚無僧が、見つけて居住し、虚無僧生活に入ったのが、筑紫における虚無僧寺の最・・・・後普門山一朝軒と改める。初琴古流の祖、黒沢琴古もここを訪れ、本曲を採集。明治4年太政官布告により普化宗は廃止されたが、明治14年同志結社を作り一朝軒の復興を県庁に願い出ている。現在は西光寺住職磯
譲山夫妻によって継承。この項「一朝軒資料」三宅酒壺洞著)参考要約。
- 一月寺:開祖金先。普化宗関東は、鈴法寺と友に本山と言われる。黒沢琴古も門弟であった。明治4年の寺院廃止により、跡地は創価学会に売却される。-->普化宗
- 今井慶松:本名新太郎。明治4年生まれ、昭和22年没、77歳。山田流箏曲家。幼少期に失明。三代山勢松韻に師事。音楽学校教授、高等官二等。
- 幾山検校:本名栄福。文化14年生73歳没。生田流箏曲家。鶴岡検校に学ぶ。代表曲「萩の露」「打盤横槌」など。
- 一寺一律:(イチジイチリツ)同じ曲名なのに、各寺事に少しずつ違った旋律の曲として伝わっている「三谷」とか、「鈴慕(法)」と言った曲のことを指す。
- 石清水:(イワシミズ)都山流本曲。明治37年初代中尾都山作曲。尺八独奏曲。京都八幡市の石清水八幡宮の苔むした岩間より流れ出る清水の描景曲。