ある風車被害者の独白4

我が家は二束三文


  2012年6月8日



風車の“ズンズン”という音に、心身ともに限界に近い日々を送っています。風車のそばで自殺することだけを考えた日々もありました。各地の低周波音被害者の方から励ましを受け、次第に自殺願望はおさまり、今は使命として、風車撤去に命をかけることにしました。


 以前から、避難するよう勧められてはいましたが、家を離れるのは受け入れがたいものでした。しかし、気力と体力を維持し、闘いぬくためには、このストレスに満ちた自宅を去ることも必要だと思い至りました。年金暮らしの独り身。どこかに家を借りようと思っても先立つものもなく、この家を賃貸に出して、その賃貸料で家を借りる、そんな思い付きに年甲斐もなく、弾んだ心で不動産店を訪ねました。しかし、「地区はだめだよ。風車があるから、借り手はない。売るにしても二束三文だ。」。不動産屋のにべもない言葉に、私は打ちのめされました。“低周波音被害は、全員に出るわけではなく、一部の人にしか発症しないのだから、誰か住めるはず。でも、わざわざ、好き好んで発症するかどうか確かめる奇特な人もいないわね。”と、納得するしかありません。そういえば、東伊豆の別荘地は、風車が建設されて、地価が数十分の一とか、大幅に下がったそう。。


 まったく、風車は住民にとっては、暴行に等しいものです。健康も財産も脅かされています。私たち被害者がこれほどまで苦しんでいても、町は助けてくれるどころか、暴力的な言葉を浴びせます。事業者も日本気象協会の調査書をもとに、“風車は健康被害の原因ではありません。因果関係はありません。”で終わりです。

 風車の反対運動は、実際の被害者の現実から起こるのです。もちろん、新たな技術の導入には想定外の問題が生じるでしょうが、被害者を救済しながら、その負の側面に手立てを講じていくことで、評価が変わってくるはずです。

しかし、今までの風車建設を行った地域では、被害が発生しても、事業者は被害者の人権を傲然と無視し、行政は何故か事業者に追従する立場をとります。それ故、自らの人権は自ら守るしかない、風車を建てられたら終わりだと、各地に反対運動は広がっていきます。


私たち低周波音被害者は藁にも縋りたい状況にあり、政治的に利用されやすい立場に置かれていますが、私たちは反体制運動をしているのではありません。日本の将来に希望を持ちたいがために、次世代の事をも考えて行動しているのです。


若い官吏の方々に申し上げます。あなた方が定年を迎える頃には天下り先などありません。誰にも気兼ねすることなく、真実性と正義に基づいて公務ができるのはあなた方以外にいません。私は今でも行政に一縷の望みを持っております。