氷 室 神 社
・氷室神社
 氷の神という珍しい神を祀った社である。社伝によると、允恭(いんぎょう)天皇の時代の創祀にかかるという。明治維新の変革期に、貴重な古文書や縁起の類がほとんど散逸してしまい、正確な史料を得ることは困難である。往古「闘鶏(つげ)」または「都祁(つげ)国」と呼ばれたころに、冬季の氷を氷室にかこい、毎年夏期に朝廷へ献上し、このために皇室の崇敬ことのほか厚かった。
 『日本書紀』(仁徳天皇六十二年条)に「額田(ぬかた)大中彦皇子が闘鶏に猟された時、野中に廬叢のようなものを見つけ、闘鶏の稲置大山主命を呼んで問われたところ、氷室といい土を丈余掘って茅萩を敷き、氷をその上に置き、その上を草でおおっておくと氷は夏になってもとけません。暑いころ酒にひたして飲用とするものですと答えた。皇子はその氷を持ち帰って天皇に献じられ、天皇は歓喜された。これ以後冬季に氷を貯蔵し、春分に至って始めて之を散す・・・・・・」と、氷室の発見から皇室へ献上するに至るまでの事情が述べられている。その允恭天皇の時に氷室神社が祀られたことになる。

           参考文献「改訂 天理市史」上巻 編集者:天理市史編さん委員会 より転載
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