


8月11日(月)AM10時
ずっと早産気味だと言われていたので当然予定日より早くうまれるだろうと思っていたのに待てども待てども兆候なし。
そして迎えた出産予定日の8月11日。その日も平和な朝を迎え、朝10時頃に病院へ検診に行く。
赤ちゃんはだいぶ下がってはきているものの子宮口は2cm程度の開きでした。内診では子宮口ちょっと刺激しときますねーと言われ、ぐりぐりと刺激され子宮口を柔らかくする薬も入れられる。この内診が相当な痛みで思わず声をあげそうになったが、今思うとあんなのは痛みのうちには入らなかった〜(T□T)。「これで変化なしだったら次回の検診は14日ね」と言われ、病院を出た後、出産が近いのは確実なので、パパのために食料の買出ししておこうと大量に冷凍食品なんぞを買い込み、帰宅する。
PM1時
疲れた〜と思い午後1時頃にコナンと共にちょっと昼寝しようと思い横になるがどうもお腹がよく張る。内診のせいだろうと思い寝ようとするがやっぱり気になり眠れず、何気に時間をチェックすると10分〜15分間隔でお腹が張っている。これはもしや陣痛!?いや、でもよくいう「にせ陣痛」の前駆陣痛かもしれないしな・・とドキドキしながら一応お腹が張った時間をメモしていた。眠れないので早めに夕食を作っておこうとカレーを作る。その間もずっと10分〜15分間隔でのお腹の張り!
PM6時
これはもう絶対陣痛だ!と確信し午後6時に病院へ電話を入れる。「すいません、お腹の張りが10分間隔で来てるんですが・・でも、たまに15分間隔とか20分間隔なんで違うかもしれないんですが・・」とやっと産めるという期待感と出産の怖さが入り混じりながら説明する。「では、入院の準備をして病院へ来て下さい」と言われ、「とりあえず旦那が会社から帰ってきてから一緒に行きます」と言い電話を切る。夜7時過ぎにパパ帰宅。「陣痛らしきものが来てるよ。入院準備して病院に来て下さいって」「おっ!とうとう来た?」と、にわかに動きがスピーディーになるパパ。とりあえず作ったカレーをパパだけ食べ、病院へ。
PM7時
内診してもらうと子宮口は3cm開で陣痛は7分〜8分間隔。しかし、先生ちょっと困った口調で「実は今満床で・・」そう、先週末台風が近づいてきた日に一気に入院患者が増え現在個室は満室。そしてこの日も満月前夜で私を含めて4名の妊婦が入院準備をして来ていたのだ。相部屋は何とかあいていたらしく、そこへ入ることとなった。
相部屋で先にいた人は前の日に出産を終えた人だった。その人は陣痛が丸二日続きやっとのことで産んだらしい。とりあえず、挨拶すると「頑張って下さいね」と言われる。そう、出産をこれから迎える人にはこの言葉しかないのである。誰にも代わってもらえないし自分で産むしかない。頑張るしかないのだ。入院してからの陣痛の痛みはまだまだ余裕で耐えらえる痛みだった。痛みの合間にお腹がすいたのでパンを食べたりジュースを飲んだりもしていた。テレビで丁度、西村知美の出産ドキュメント番組をしていたので旦那と一緒に最後の分娩台での西村知美の苦しむさまを見て、まだまだ私は余裕だね!とか笑っていた。しかし、笑っていられたのもこの時まででした。今夜中には産まれないだろうから、とりあえずパパは一旦帰宅し翌朝に来てもらうことにした。
8月12日(火)AM2時頃
その後、お腹の張りがくるたびにメモはしていたが、夜がふけていくにつれだんだんと痛みが増してきた。メモしている数字もゆがんでくる。しかし、耐えるしかないので陣痛の波がくるたびにフトンをにぎりしめ、呼吸法で痛みを逃していた。相部屋なので声を出すこともできずひたすら耐える。途中、助産婦さんが様子を見に来てくれたので「すいません、相当痛いんですけど・・」と言うと、「じゃあ、ちょっと内診してみようか」と部屋を移動し見てもらうが、子宮口は入院時の3cmのまま。「げげっ!こんなに痛いのに変化なしだなんて!」と心で泣きそうになりながら叫んでいた。「まだまだだね。お風呂に入るとちょっと痛みがマシになるから入る?」と聞かれたので、お風呂へ・・。お風呂から出てさっきの助産婦さんにお風呂を出たこと告げ、「すいません、これは耐えるしかないんですよね?」と今考えると何とも愚かな質問をして、救いを求めたが、あっさり「そうね、頑張って!」といわれる。ううう〜救われない!(涙)
AM8時
結局、一睡もできず朝が来て朝食が運ばれてきたが、その時はもう食べる余裕がなくなってました。
なかなか来ない旦那にイライラしながら、腰全体に走る激痛と格闘しているとようやく朝9時頃にパパ到着。そこから、産まれるまでの約5時間パパはただひたすら私の腰をさすってくれていたのである。
途中「指紋が無くなりそう・・」とつぶやいていたのは記憶になぜかハッキリと残っている(笑) パパが来てからもう一度内診してもらうも相変わらず3cm開から進展なし。
AM10時頃〜
痛みの強さがだんだんと増してきて陣痛の間隔も短くなってきた。助産婦さんがでっかいボールがある部屋に案内してくれ「これにしがみつくとちょっとはマシよ」と言ってくれるが、でかいボールにしがみつこうが何しようがマシになんてならない。よつんばいになり足をジタバタさせながら、フーフーと息を吐き痛みを逃す。途中で陣痛室に移動するが、陣痛室に行くまでに次から次へと痛みの波が襲ってきて足が止まる。陣痛室では何時間うなっていただろうか・・・途中内診してもらうと子宮口の開きは4.5cm!(←10cmにならないと産ませてもらえない)これだけ苦しいのにまだ4.5cmなのか!と気が遠くなりかけたとき、助産婦さんに又も入浴を勧められ、ヨロヨロしながらお風呂へ。気持ち良かったが何せ昨晩お風呂に入った時とは陣痛の間隔が違うのでお風呂から出ようとしても、次から次に来る猛烈な痛みでお風呂から出られないのだ。必死の思いで脱衣場に出るが痛みで今度は服が着れない。この後、どうやって陣痛室に戻ったか正直覚えていません。
PM1時過ぎ頃
あまりの痛みに壁を蹴り、枕をにぎりしめ、エビぞりでうなっていた。そうするうちにだんだんと「う○ち」(←スイマセン)が出てしまうような感覚が!「出る!出るうう!いきみたい、いきみたいいいいい〜」と絞り出すような声で訴えパパにナースコールしてもらう。「ううっすいません、いきみたいんですけど・・」「ちょっと見てみましょうね。あっ!いい感じに開いてきてますよ〜。分娩台に行きましょうか」このセリフ待ってました!これでやっと産める、楽になれる!と力を振り絞って陣痛室から分娩台へ移動する。分娩台へあがれば2・3回いきむとすぐに出てくると思っていた私・・大間違いでした(涙)
分娩台へ上がるが、痛みで上を向くことができないので横向きでひたすら痛みと戦っていた。枕元ではパパが「頑張れ、頑張れ。もう少し」と声をずっとかけてくれていたが、こっちはもうそれどころではなく、意識朦朧とする中、いっそ殺してくれい〜状態でした。と、その時となりの部屋から「ぎやあああああ〜!!!!」と目も覚めんばかりの断末魔の叫び声が聞こえてきた。この日は昨日入院した4人の分娩がほぼ同時に進行していたのです。この病院の分娩台は3台あるのですが、滅多に何人もが同時にということはないそうで、その断末魔の叫びの主は運悪く、3台の分娩台に上がれなかった人の声でした。彼女は何と陣痛室で産んでいたのです(驚)手術用ライトの代わりはデスクのライトで、分娩台の背もたれの代わりは付き添ってきた妊婦さんのお母さんが手で支え、両足は自分で持ち視線は陣痛室の電気のスイッチだったそうです。すごすぎる!そんなの自宅で出産するのと同じではないか・・。私には絶対できないと思いました。でも、数分の差で私がそっちで産むことになっていたかもしれないと思うとゾッとした。
話は戻り、そうこうしているうちに途中猛烈にいきみたくなってきた。もう我慢できなくなっていきむ。何度かいきむうちに突然お腹の中ででボンッ!という風船の割れるような音がして、生温かいものが流れ出た。破水です。「うううっ、すいません破水したんですけどおお〜」とうめくように訴える。その後、助産婦さんがテキパキと「はい、では上向いてみましょうか。足はここに置いて、このレバーをしっかり握って」と、まさによくテレビドラマなどで見る産む態勢に!
陣痛の波が来たらそれにあわせていきむのだ。「うぐぐぐぐ〜っ」「ううううーーーっ!」分娩台のレバーを引き千切らんばかりの力で何度も何度もいきむが、なかなか出てこない。途中で助産婦さんに「しっかり目をあけて、おへそを見てお尻はあげずに!」と言われ頑張る。‘もうかれこれ10回以上はいきんでるよ、まだなの?‘と思いながらも痛みの波に合わせていきむ。汗はびっしょり、喉はカラカラ、いきむ力も無くなってきた頃「もう、髪の毛が見えてますよ。後少し、頑張って!」と言われ最後の力を振り絞る。先生が「はい、ちょっと切りますね〜」と言って会陰切開されるが、痛みは感じなかった。
PM2時39分
そしてズルズルっという感覚と共に赤ちゃん誕生!あれほどの痛みがウソのように無くなった。その後、へその緒を旦那が切り、臍帯血バンクに登録していたので臍帯血を採取される。(臍帯血には骨髄と同じくらいに、血液のもとになる細胞(造血幹細胞)が含まれているため、白血病など移植治療でしか治療できない人達に、骨髄の代わりとして提供される。臍帯血バンクは、出産前に同意を頂いた人達の臍帯血を冷凍保存し、臍帯血移植治療を希望する患者に提供するシステム)
産まれてきた我が子はへその緒が巻き付いてなかなか出てこれずに吸引分娩だったので、産まれた直後は体全体が青紫色でした。しばらくして、なんともかよわい産声を「あ〜あ〜」とあげ私の胸にそっと置かれました。感動というよりは何とも不思議な感じがしました。「この子がお腹の中でぐにぐに動いてたんだー。ちっさ〜!それに全身産毛に覆われてるよ・・まさにサルじゃん!女の子なのにどうしよう」てな事を思いながら抱いていた。その間に先生は会陰縫合をちくちく。(←結構長かった)

後は分娩室で2時間ほど休んで終了のはずだったのですが、まだこの先がありました。分娩室に義父母たちがあかちゃんを見に来てくれた後、「私はしばらくここで寝てなきゃいけないので一旦ご両親連れて家に帰って休んできたら?」と、パパ達には一旦帰ってもらった。そして、分娩室に赤ちゃんと私二人きり。しばらくちょっと眠ったような気がするのですが、体中の熱さと縫合したあたりの痛みで目が覚めた。汗もかなりかいている。「冷房弱くしてるのかなあ・・暑いなあ」と思いながら助産婦さんが来るのを待つが、そういう時に限ってなかなか来てくれない。その間もズキズキと痛む。やっと、入ってきた助産婦さんに「何か痛いんですけどー。こんなもんなんですか?」。診てもらうとかなり腫れているらしい。熱も38度もある。助産婦さんが先生を呼んできてもう一度診てもらうと、どうやら縫合後に傷ついた産道(膣壁)からじわじわと出血していて、その血がたまってコブのように腫れているとのこと。一旦、縫合した部分をもう一度開いて処置しないといけないらしいが、相当な痛みを伴うので全身麻酔をするとのこと。全身麻酔なので一応家族に説明ということで旦那さんは?と聞かれるがもう帰ったあとだったし、とにかく痛かったので「いいです。早くやってください」とお願いする。
目が覚めると分娩台で1人寝ていた。しばらくボーっとしたあと、部屋を見まわすとちょっと離れたところで赤ちゃんが寝かされていた。「ああ、私は今日産んだんだ。で、その後何があったっけ?そうだ、そうだ」と記憶をたどっていきやっと安堵の感で横になっていたとき、何も知らない旦那が戻ってきた。「部屋に行ったらまだ戻ってなかったから・・まだここで寝とったん?」「あんたがいない間に大変だったんだよ」と説明し、その後ようやく分娩室から出ることができました。
次の日、病室に連れて来られた我が子をじっとみつめました。吸引分娩で延びた頭、狭い産道を通ってきたときに出来た顔のすりきず、目も腫れている。出産当日はとりあえずは出た〜というだけで感動を味わえてませんでしたが、ようやくこの時ジワジワと母になった感動を味わっていました。
「ママも辛かったけどお前も頑張ったんだねー。臍の緒がまきついてたんだもん。きっと出てくるときは苦しかったんだね。ほんとによく無事に産まれてきてくれたね。ありがとう・・」誰もいない病室をいいことにボロボロと泣いていました。
こんな感じで私の初めての出産が終わりました。しかし、これからがスタート!パパとコナンとベビーとこれから力を合わせて頑張っていきたいと思います。
最後まで読んで下さった方、ありがとうございます。
妊娠期間 |
40週1日 |
娩出日時 |
2003年8月12日 午後2時39分 |
分娩所要時間 |
約25時間 |
分娩の経過 |
吸引分娩 |
体重 |
2690g |
身長 |
47cm |
胸囲 |
31.5cm |
頭囲 |
32.5cm |
