精神訓話


 これより精神訓話をはじめる。これは諸先輩方の血と汗と涙の発展の歴史であり、又、その精神を伝えるものである。現在我が部はクルーザー2ハイディンギー2ハイを有し、日本一の規模であり数多くのレースで優勝、入賞を治めてきたわけであるが、これは諸先輩方の不断の努力によるものでこの歴史をつくりあげてきた。諸先輩方の精神に報いる為にも一字一句聞きもらすことのないように!!

昭和38年頃
個人的集団として発足。艇はまだ持たず、琵琶湖浜寺(Y15)、的形(Y19ドルフィン3世)等で、他艇のクルーとして活動。

昭和39年
体育会加入「体育会クルージング同好会」となる シーラス31購入 初のクラブ艇である。この頃からクラブテイでDayクルージングを始める。

昭和40年 夏
Y21甲竜一世 シーラス118購入 この頃から体育的クラブとしての意識が定着する。又、艇は全てクラブ員がアルバイトして得た収入で購入し独立の気風がクラブ員に起こる。発展途上のヨット界において我が部は高松レースにて一昼夜寝ずに健闘 総合優勝を治める(甲竜一世)。

昭和41年
シーラス143購入。冬に初の遠距離航海「別府」までのクルージング。冬にクルージングしたのは変わりやすく厳しい海の天候の中で我が部の発展及び可能性を試す為の新しい試みであった。 自分達の技術を過大視せず、安全第一に考え活動の中心は瀬戸内海とした。

昭和42年
Y24甲竜二世購入。艇の大型化による活動範囲の拡大 しかし二世の艇速限界性能も影響して活動の中心はクルージングとなった。

昭和44年
四国一周クルージング。初めての太平洋であり沿岸を走るとはいえ風、波
ともに内海とは比べものにならぬ程厳しく、冒険ではあったが多大な資料の収集そして技術の向上により安全な航海であった。

昭和45年
関東油壷クルージング 関東におけるヨット界の技術を習得することを兼、クルージングを行う。

昭和46年
FB三甲竜三世購入。九州ねずの里までのクルージング。初めての海、まして外洋ともなるとかなりの危険が伴うが安全に航海するために多くの資料を収集する。大島レースにて甲竜一世4位入賞、同じく二世5位入賞。高松レースにて甲南一世10位入賞。

昭和47年
九州種子島・屋久島までのクルージング。奄美大島まで行く計画であったが悪天候の為中止。西宮ポイントレースにおいて甲竜三世ファーストフィニッシュ総合優勝。関西ヨット界もレース熱が高まり、特に西宮ではヨットレースが盛んであった。

昭和48年
日本でも沖縄−東京レースに次ぐ一大イベント鳥羽パールレース出場。甲竜三世Sクラス6位。二世は四国一周クルージング。

昭和49年
47年に断念した奄美大島までのクルージングに成功。奄美大島までは九州最南端からでも300km以上あり、また荒い太平洋でもあるので荒れてきた時の避難港などの資料を集め、そしてテイの安全性船体エンジン等の準備を完全にした。

昭和50年
今までのクルージング技術の発展はめざましく 又 レース熱もどんどん高くなった。

昭和51年
クラブ昇格「体育会クルージングクラブ」となる。同年5月30日、ダグラスピーターソン26甲竜五世購入。この新艇は完全レース仕様でありクラブ内のより一層の充実を図った。

昭和52年
高松レースにて甲竜五世2位播磨灘レースにて甲竜五世3位。

昭和53年
部に昇格「体育会クルージング部」となる。大阪湾レースにて甲竜五世3位入賞。

昭和54年
シーラスの老朽化とレース技術の向上の為、ヤマハ16シーラーク108、116、2艇購入

昭和55年
オレンジカップヨットレース、甲竜五世総合34艇中9位クラス別2位 女子部員入部。

昭和56年
シーラス廃艇 470購入。

昭和57年
一世廃艇。ヤマハ21R&C甲竜六世購入。

昭和58年
レース熱もどんどん高まり他艇のクルーとしても活動。

昭和59年
第14回神戸まつりヨットレースクラス2にて甲竜六世2位、甲竜五世3位入賞。

昭和60年
春三世売却 ダグラスピーターソン30甲竜七世購入。同年秋七世売却、Newヨコヤマ30甲竜八世購入。第15回神戸まつりヨットレースクラス2にて甲竜六世ファーストフィニッシュ総合優勝。

昭和61年
470廃テイ。オレンジカップヨットレースにおいて甲竜八世49テイ中9位入賞、大阪湾メモリアルヨットレースにおいて甲竜八世ファーストフィニッシュ。

昭和62年
神戸まつりヨットレースクラス2にて甲竜五世ファーストフィニッシュ総合優勝。夏季クルージングにおいては数々の多難トラブルを克服し最南端の沖縄クルージングに成功する。470購入。ディンギー練習においての活性化を図る。

平成元年
10月紀伊水道レースに参加。10年ぶりのロングレースで甲竜八世一昼夜健闘し4位入賞。

平成2年
シーラーク116廃テイ470購入。ディンギーレースにおいてより一層の活性化を図る。ポイントレースにて甲竜八世3度にわたるファーストフィニッシュ。4月スプリングカップイン宝伝ヨットレース甲竜八世50テイ中3位。フランス遠征 欧州学生選手権に極東代表として出場16ヶ国中14位。

平成3年
甲竜五世売却。NewYOKOYAMA30甲竜十世購入。SKK CUP OPEN CLASSにて甲竜十世総合優勝。欧州学生選手権連続出場。

平成4年
ポイントレースにて甲竜十世デスマスト。レース活動が盛んになるにつれ艇の安全性を再確認する。欧州学生選手権国内予選に出場。参加4校中総合優勝を治め3年連続出場を果たす。

平成5年
神戸まつりヨットレースクラス2にて甲竜六世3位、甲竜六世売却 J−24甲竜十一世購入。CORUM CUPクルーザークラス2にて甲竜八世2位。

平成6年
夏のクルージングにてNIGHTで航海中、十世座礁。このことにより安全対策マニュアルを作成、安全講習会をクルージング前に行うようになった。

平成7年
神戸まつりヨットレースにて甲竜八世4位。

平成8年
学生選手権国内予選において3位入賞。

平成9年
オレンジカップヨットレース沼島回航レースにおいて甲竜八世6位入賞。

平成11年
YAMAHA21R&C甲竜DASH譲り受ける。学生選手権国内予選において3位入賞。

平成13年
JAPAN CUP ORCクラスにおいて第二レースにて3位総合7位入賞。夏、屋久島クルージング鹿児島にて暗礁に乗り上げる。これにより安全航海に対する意識が高まる。

平成14年
これまでの我が部の問題点が表面化する。このことにより、コーチ陣を設
置、新たな体制を再編する。


 このように様々な発展を遂げてきたわけであるが先輩方の中には一度も船に乗ることなくアルバイトだけで終わった方もいる。またY21甲竜一世、ダグラスピーターソン26甲竜五世は惜しくも廃艇となってしまったが甲竜一世17年甲竜五世14年の船齢をもつ。これは一般では考えられないことであり、夏・冬の整備及び年々の管理の良さを物語るものである。このように先輩方は単に技術の発展だけを望むものではなくより安全でより良い船を後輩に伝えてきたのである。船には赤い血は流れていない、がしかし魂を宿すことは可能である。ヨットマンは全て自艇を我が子同様に愛しているものである。ヨットを愛し、労り、慈しみ、そして初めてヨットに魂を宿せるのである。真のヨットマンたるには真の愛艇精神を持つことであり、船をあてるなど許されるべきことではない。そして甲南大学体育会クルージング部部員としての自覚をもち、先輩方の精神を受け継ぎ気風損なうことなくより一層の発展を望むものである。

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