郷ひろみ

杉浦正幸(55年卒)

郷ひろみ。ある年代には、懐かしい響きのある名前ですが、その郷ひろみが、甲竜5世に乗って、須磨沖をセーリングしたことがあるのをご存知でしょうか。

「近代映画」と言う雑誌の撮影の為に、当時はまだ、旧港しかなかった、須磨ヨットハーバーに来たのでした。

もう、20数年前の事。消えかかる記憶を、当時の部員の皆さんに呼び戻していただきましょう。


(Y氏)

郷ひろみが来るっていうので、当時はちょっとしたにぎわいでした。
ことの発端は忘れてしまいましたが、OBにでも芸能関係、またそれと関連する業種の人がいたのでしょうか、アイドル雑誌?「明星」の取材で郷ひろみがやって来ました。

撮影は、須磨沖で5世にカメラマン・マネージャー・郷ひろみと甲南は3−4名だったと思います。
丸坊主の私もキャビンで写らないようにエンジンのおもりをしていたと思います。
郷ひろみとは、ヨットの値段なんかの話をしたと思います。
一つだけはっきりと覚えているのは、ひろみの足に毛がほとんどなく石川さんのようでした。
「明星」には巻頭カラーで4−6ページは掲載されたと思います。
最後に、記念撮影とサインなんかをもらっていたと思います。
 当時のメンバーでまだ雑誌を持っている人がきっといると思います。
明星ではなく、「近代映画」の記憶違いですが、遠い昔の事。その雑誌が、これです。


(K氏)

たしか、月刊“平凡”か“明星”の付録のポスター撮りだったかな?甲龍X世に同乗しました。キャビンの中で目の前で着替えてましたが、アイドルなのに普通のゴム入りの白いメリヤスのパンツをはいていたのと、すね毛が全く無かったのが、印象的だった。


(M氏)

乗艇中は、マストのあたりにずっといて、私も、すぐ近くにいたのですが、常に小声で、自分の持ち歌を繰り返し歌っていました。その日、明石でコンサートがあると訊いていましたが、その練習をしていたのでしょうか。
3世にカメラマンが乗り、伴走しながら、撮影していたように思います。



みなさん、断片的な記憶しか残ってないようですが、私が覚えてる事といえば、ものすごく朝早く来て、短時間で撮影を済ませ、あわただしく去っていったことだけです。私は、陸で待ってる組でしたが、もうハーバーに帰ってきたのとの印象と、最後の記念撮影が終わった時間が、いつも練習を始める時間とそう変わらなかったような、薄っすらとした記憶があります。