甲竜7世(ダグラスピーターソン30 昭和60年〜60年)

‘85年、夏のクルージングで(浜名湖〜妻良あたりかと?)浜名湖入港直前、全員あたまのなかはその日の晩のウナ重への期待感で一杯でした。エンジンを始動させ、入港準備開始10分後、スロットルをあげてもエンジンの回転がまるであがらなくなり、とうとうストップしてしまいました。当初は何が起こったのか分かりませんでしたが、原因はなんとガス欠でした。山島艇長の怒号が飛ぶ中、大慌てでセイルアップしたものの、さすがに太平洋の波は瀬戸内とは桁違いに強力で、帆走ではとても脱出出来ず、みるみるテトラポットが迫ってきます。その距離、今思えば50m有るか無いかだったと思われます。下条浩司と私が40リットルの軽油をおそらく5分とかからず補給し、上田庄司(故人)が軽油まみれになりながらエア抜きし、野見山陽がエンジンを再稼働させてようやく脱出に成功、なんとか浜名湖に入港しました。火事場の馬鹿力というのはホントにあるものだと、我ながら感心してしまいました。あとで、土地の漁師に聞いたところ浜名湖入り口は狭い水路に向けて大波がうち寄せる場所であり、波の具合を見て水路の端をフルスロットルで一気に通過するなど細心の注意が必要とのことでした。また、ガス欠の原因は鳥羽港出港時に軽油残量のチェックを怠っただけというなんとも間の抜けたものであり、当然入港後、岸壁での一時間以上の正座が待っていたのは言うまでもありません。ただ、そのあと浜松までウナ重を食べに出たことは忘れられない思い出です。
乗艇メンバー:4年−山島さん 3年−上田、下条、野見山、村田 2年−大林、中島 1年−?(クルージング後退部した女性部員ですが、名前が思い出せません)
※ 若干の間違いが有るかも知れませんが、悪しからずご了承下さい。なにしろ、前回阪神優勝の年ですので・・・
(62年卒、村田隆嗣氏)