◇NPO法人 心ざわざわ Top

日刊メルマガより抜粋

「君子は一人で居る時に、自ら慎み律する。小人は他人が居ない所では、手を抜く」。見せるためにするのではなく、褒められるためにするのではなく、自分のために、自分がするのですね。それが日々のコツコツなんですよ。
「高嶺の花を羨むより、足元の豆を拾え」〜回復から克服へ、それは大人への道のり〜【動くことで知る】頭を下げることを知る。自分の位置を知る。永遠はないことを知る。グレーを知る。捨てることを知る。自分で知る。焦らない、慌てない、諦めない、アイメッセージでありがとう。コツコツと日常の生活を丁寧に過ごすこと。これがすべての答えでした。
「若い時って、自分の世界って狭かったな」。コツコツを重ねると、広がっていきましたよ。自分の視野が、縦にも横にも前にも伸びていきました。今日も「足元の豆をコツコツ拾う」。そして、自分の中で、自分に一歩引く。    
充実感や満足感は、自分で動くから、掴めます。体が知るものなんですよね。
メール療法をコツコツなさっている方からいただいた言葉です。「謎が解けました。2か月かかって、情放置と感情無視の違いを知りました。気がつくと、何だそうなんだって視野が広くなりました。なぞなぞが解けた時のような満足感があります。一つ知ると、繋がっていきます。ぐるぐる回って、結局、自分のところに戻ってきました。これからが、きっとしんどいんだろうなと逃げたい気持ちも半分ですが、自分をもっと知りたい気持ちが強くなってきました。克服したら、渦中よりも苦悩するという理香さんの言葉も、今はよく分かります。この選択も自分でするのですね。これなんですね」
「悩むとは、何かに執着している自分に触れたくない時なんですね」。知りたくない気持ちが強くなるんですね。自分を知りたくないので、視線がどこかへ散歩中なんですね。視線の先と今の自分の動きが一致していますか?
「知る」って?とたくさんのメッセージをいただきます。ナゾナゾみたいに解けると、スーッと楽になります。頭で考えているとグルグル回るだけですよ。「知る」は、その人の、その年齢に応じたことを知るのです。急がないでね。今、知ることは一つだけなのですよ。感情を無視するのではなく、感情と行動をくっつけるのではなく、淡々と客観視。例えば。
提出する書類がありました。100と記載するところに、10と書き提出しました。先輩から
指摘を受けました。ここからですよ。「100のところを10と書いた」と現実を知る。ここまでが知るです。ここでストップ。知るができない人は「間違えた、怒られた、あの時、Aさんがややこしい話をしてきたから、10と書いたつもりなのに、邪魔したから、怒られた。こんな間違いしたことはないのに、これも出来ないって思われたのかも。どうしよう」と、感情ばかり先走り。知ることを飛ばして暴走して、自分を守ることばかりを考え、現実を知りたくなく、誤魔化しています。これは後悔だけ、反省に繋がりませんね。「知る」だけでいいのよ。体で知るのですね。
「知る」は、積み重ねですね。ほら、積木は一つずつ重ねて載せていきますね。両手に両腕に、こぼれそうなくらい抱えていては、一つずつ手にとって、丁寧に重ねていくことができませんね。誰もが抱えて、誰もが乗り越えていくモヤモヤ道。思春期のモヤモヤ道。岡本も色々なモヤモヤを抱えて、歩いてきましたよ。今も歩き続けています。今はコツコツという言葉に換えて歩いています。
皆様からいただくアンケート「完ぺき主義だと思う」750通のうち659のお答がありました。完ぺき主義とは、一つのことを丁寧にきちんと最後までできることを言いますね。100個のことを完ぺきにしようと思うとは、まったく異なりますよ。一つでもできないから、すべてしなくなるのは、面倒くさがりなんですよね。
日々、思うどおりに進まないことや予想しなかったことが起きますね。それがあるからこそ、生きているのですね。何かが起こるから、揺れて、動いて、知っていくのですね。
「コツコツは、一つでいいんですよ」
結果より経過を知ることができるかどうか?これが大事ですね。「下手の横好き」「好きこそものの上手なれ」という言葉と経過をコツコツは、似ていると思いますよ。大きく捉えると、自分の視線でコツコツしているか、他人の視線を飾るために動いているかの違いでしょう。
「自分にできることを、一つだけ、ゆっくりとね」
「楽をしよう」「得をしよう」と考えるのも人間。それでいいと思います。ただ、基本のことができた上で、それを「楽に」「お得に」と工夫するのが本筋ですね。コツコツは基本。それを次に活かすのは、自分次第ですね。
操作のお話です。依存している相手を操作してしまう癖があると、相手の行動だけでなく、感情までも縛りつけようとしますね。思い込みが激しい方は、自分の思い込みの枠に、相手をはめようとします。その枠にはまる方は、良い人になるのでしょう。その良い人は、ズ―ッと良い人だと、これも思い込み。人の感情も行動も、変化していいんですよね。「昨日と言うことが違う」「以前、こんなことを言ったはず」と相手を責めてしまいますね。それは?自分の中にいる矛盾した自分が許せなくて、それを知りたくなくて、責任を転嫁させて、誰かを責めているのではないかしら?
以前にお話ししました「メラビアンの法則」。人の受ける印象について、視覚情報55%、聴覚情報38%、言語情報7%。自分の行動と視線の先が一致していますか?視線の先に何があるのかな?と丁寧に意識してみる時間を、今日は5分作ってみましょう。
焦らない、慌てない、諦めない、アイメッセージで、ありがとう。(寄り道しながら、時間と仲良く、足元を知りながら、自分と仲良く)
コツコツ・経過・継続。(小さな一つのことの始まり〜経過〜終わりを自分の体で知る)
「焦らない、慌てない、諦めない」
第一章〜始まり
何も知らなかった頃は、自分がどこを歩いているかは気になりませんでした。知りたくないのに、自分が空っぽだと知った頃、どうにかしなくては、闇から抜けなくてはいけない気がしてきました。空を飛べない自分に、「焦り」を覚えました。焦ると、次の焦りを呼んできました。焦りは、自分の視野を狭くしていき、焦りは、妄想を巨大化していきました。そして、耳も閉ざしていました。前を見ることを忘れていたのです。負けないように、遅れないように、バレないように、横を見てばかりでした。周囲の顔色を伺う良い子って、本当は自分を守るだけを一生懸命踏ん張った怖がりだったのでした。自分の動きと自分の思考と自分の視線の先が、バラバラの状態。これが「焦り」だったのです。
第二章
ある日「財布の中身が空っぽ」になっていることを知りました。「空っぽ」だから何とかしなくてはいけないと思うと焦るので、「空っぽ」だと観念したのです。そこに留まり「空っぽ」を噛み締めました。知ると、焦りはなくなりました。財布の中身が「空っぽ」。これが現実だったのです。現実を知ると、焦らなくなりました。焦らなくなると、大人になりました。
第三章
24時間という平等の一日を、勘違いしていました。早くしなければ、なくなってしまうと思い込んでいました。いつも慌てていい加減に走っていました。何も見ずに「空回り」の自分が、慌ててフライング。「空回り」と思っていましたが、頭の中が妄想に取りつかれていただけでした。体は回っていませんでした。「空回り」だと観念した日が、ゴールでもあり、スタートでした。ゆっくりと言うのは、24時間を積み上げることだと、知ったのでした。時間は使うと増えるのです。どんどん増えていきました。
第四章
始めていないのに、「諦める」のが得意でした。動いていないのに、諦めることは素早かったのです。10÷2は好きですが、7÷3は嫌いでした。行列に並ぶのは大嫌いでした。
頭の中のスケジュールは、日本の電車の時刻表よりも、緻密で正確でした。始発電車が10秒遅れると、その日は運休。乗客が多くて全員が乗るまで待つことはしない電車の速度は、100か0。「空想」の電車は、誰かがまっすぐ引いてくれた線路が必要でした。美しい景色を見ながら、毎日快晴。新快速ですので、途中で止まる駅は不必要でした。ある日、線路がなくなっていることを知りました。誰かが線路を引いてくれるのを、待つしかないと思いました。ジーッと待っていました。誰か来ないかな?と周りを見渡すと、その誰かをジーッと待っている私の横で、私をジーッと待っている人がいました。
最終章〜終わりは次の始まり
デコボコ道で、しんどかった若い頃。もがいていました。今は、懐かしく思います。「めっちゃ、視野が狭かったな」ってね。デコボコ道ばかりを見ていたんですね。耳も閉ざしていました。全身が固まっていました。柔らかくするヒントをくれたのは、主治医でした。そして、柔らかくしたのは、自分自身でした。柔らかくするヒントを贈ってくれて、ジーッと待ってくれた存在。その視野の中で、もがいていた自分。今は、ヒントを贈る立場になりました。ジーッと待っています。
それぞれ一日も欠かさずに、メール療法に取り組んでくださっている方々の確実な歩みは、素晴らしい宝。経過を大切にされている気持ちが伝わってきました。そして、素直に「大人になりたくない」と言葉に出せる方は、最高に素晴らしい向き合い方をなさっていると感じます。お仕事のストレス、母親との葛藤などなど。誰もが持って抱えて悩み苦しんでいます。向き合う選択道を知った皆様は素晴らしい。プライドの高さ、負けん気の強さは、必ずあなたの味方になりますよ。
現実を知っているから、理想を描くことができる。
現実を受け入れているから、妄想で楽しめる。
頭を休ませてあげることが、不器用な自分を知る。いつも頭の中が忙しいと、頭が固くなってしまいますね。柔らかくする岡本の秘法は、とことん何かを妄想してみること。
そして、大好きなジグソーパズルに取り組むことなんですよ。
理想と現実の違いを知っている人は、動こうと努力します。理想と現実の違いが、はっきりしていて、現実に足をとりあえず着けている人は、妄想を楽しめる余裕があるのですよ。
現実は、しんどい。大人になると、逃げ場を他に探さないと、やってられない。現実逃避の方法や依存するものを他に探し、見つかると大人とも言えますね。
迷いは欲望の執着から生まれるといわれます。あれもこれもと忙しい。思い出してくださいね。コツコツは一つだけでいいんですよね。丁寧に。
「こっちもいいな、でもこれもいいな」と悩むことがありますね。関心がない場合は、悩みませんね。どちらにも執着していないからですね。ほとんど悩むことはありませんが、稀に悩んだ場合の岡本の選択方法は、「マイナス」を見ます。「どちらにも必ずあるであろう嫌な部分」です。そして、保留するか止めるかを選択します。比較する習慣がありませんので、選択する場合はシンプルで、一瞬に決まります。自分自身の「これいいな」って、直観を信じることができるからなんですよね。そして、選択した責任を堂々と背負います。これが自信なのですよ。
ある日「自分のプライドを守ることが大事なのか?それとも自分の日常の生活を守ることが大事なのか?」と鏡を見て問いかけたことがありました。20年前は、「プライド」でした。10年前は「日常の生活」でした。5年前は・・・それとこれを比較する考えもありませんでした。比較できないものを比較するのは、どちらにも失礼なことだと、若い頃は気付かなかったのです。
自分が、本当に「ムッ」とするのは、一つか二つ。傷つくとも言えますが、自分が自分で触れずに「そっ」としておきたい部分ですね。意外にもそれらに気づいていない方が多いのですね。自分を知る。「ムッ」とした時が、自分が何に拘っているのかを知るチャンスですよ。
壁にぶつかった時、人は自分に気付きます。「私は、今これをしています」と言葉に出すと、自分の耳に入ってきますね。自分の行動に気付きます。
教わることも大事ですが、自分が自分に教えてくれることも、とっても大切ですね。
靴下を履くために、座りました。5本指の靴下でした。左足を出し、履こうとした靴下は、右足用でした。さて、あなたは、左足用の靴下を取りますか?足を換えて、右足を出しますか?どちらかな?
日本国中の神々が出雲大社に集まる「神無月」。そして、平安時代には、年に5回ほどの衣替えがあったと言われていますが、季節に沿った衣類で、自分の体に優しく今日は衣替え。オシャレとは他人の目を飾るもの。自分に一番似合う衣装は「素」という真っ直ぐな視線ですよ。面倒と思うものも人それぞれ。靴下の履き方も人それぞれ。そして、大人への階段も、それぞれの個性があふれています。素敵ですよ。あなたの個性。
見えないものを信じることができると、本当の穏やかさが生まれてきます。
「心・ざわざわ」歩き続けて 単行本 113ページ。2001年発行ざわざわシリーズ第3番目。
岡本が克服して3年目に執筆した出版本です。症状に逃げることを止めて3年目。現実が、どんどん見えて、プライドも負けん気もボロボロになりながら、本当の自分を知り、自分の足で歩き続けていくことを実践していたころです。しんどくても苦しくても、自分が生きているんだという充実感を掴んだ日々。これが現実なんだ、これが自分なんだ。その自分で歩き続けるんだとあふれ出る言葉をポエム風に書きあげました。ちょうどその時期に、森田療法とリフレーミングを体得し、責任の大切さと重さをどっぷり背負って、赤い鞄の中身を捨てていきました。すると、大切なものが、くっきりと見えてきました。自分の体の責任者は自分であると知りました。幸せの秘訣は「健康と健忘」という意味がわかった頃でした。心にも、体にも、余裕が必要なんですね。何かを誰かを「愛する」というのも、余裕が必要なんですよね。余分を流すと余裕が生まれました。
「固定観念の枠は柔らかく」思い込みの思考は、大損ですよ。メールを読む時は、思考と感情を真っ白にしてくださいね。丁寧に行動するのも同じですよ。丁寧に動くには、よく観ることからですね。当たり前は、何もないんですよ。心にも、体にも、余裕が必要なんですね。何かを誰かを「愛する」というのも、余裕が必要なんですよね。余分を流すと余裕が生まれました」
「思考は理想、行動は現実」見えてきましたか?基準を行動においてみましょうか。思考に基準をおくので、しんどいんですよ。ほら、思い込みは、自分の中で、自分を操作しているのですよ。過去の思考が、今の行動の操作をしているのですよ。魔法使いではありませんので、目の前のコップは、自分の手を差し出して、その手に取ってくださいね。丁寧に意識して動くことで、視野が新鮮になり、ぐんぐん広がりますよ。
あなたにお訊ねしますね。「太陽の色は、何色でしょうか?」。「白」が多かったですね。思い込みは「赤」。時間によって色が異なるとの回答もいただきました。丁寧に意識してみると、思い込みに捉われている自分を知ることができますよ。太陽は、東から昇ってくると教えてもらったかな?西へ沈むのかな?今、自分がいる地球が回っているんですよね。今日も視野を広げていきましょう。太陽の色へのメッセージ。クリーム色、オレンジ色、グレー色、銀色などなど、ありがとう。
「当たり前のように、そこにあるものに、目を向けるなんてしたことがなかった」。
これがメール療法の基本になるんですよ。
思い込みに捉われる自分の行動を、自分が感情という形で操作していますね。不安は、知らないから、湧いてくるものであり、頭で作り出すもの。知ると、体で掴むので、現実の悩みになり、工夫という行動へ繋がります。「イメージとは違った」「思っていた通りの人だった」。よくありますね。責任を体得していない方は、変化を怖がります。経過と継続で、現実を知る視線を養っていくのですね。誰かのせいという気持ちを抱くのは、人間誰しも経験しています。自分を守る手段の一つです。充実感がない、満足がわからないとおっしゃる方は、この辺りを意識してみましょうよ。自分の今は、誰の今でもなく、自分自身の今なのです。
居心地の悪さは、人生の教科書ですね。心地よさを知っている方は、居心地の悪さにどっぷり浸って知っているからですね。知ると、悩みます。悩むと考えます。工夫が生まれます。自分で動き始めますよ。まず知ることですよ。
結果より経過を見る癖をつけよう。その前に、結果に自分の思考や視線が先走っていることを知ってみましょうよ。コツコツは、毎日5分だけで十分ですよ。
「しんどい」。どこの声かな?体?心?頭?体のしんどさは現実。心のしんどさは無意識の逃げ。頭のしんどさは妄想。「私は、今、何がしんどいのだろうか?」と訊ねてみましょうよ。自分自身にね。季節の変わり目、お疲れもありますでしょう。体の声を素直に訊いてあげましょう。疲れたら休む。何もしない時間があっていいのよ。
心ざわざわの特徴は、「ヘルプはしない」ことです。そして「サポートは喜んで贈ります」。
他人のそれは当てにならない。自分のそれが一番理に適っている。そして、傾聴ができるから、それは活きている。
笑いは、感情で刺激された行動ですね。感情ではありませんね。行動なんですよね。
感情はコントロールができない部分です。人間は、適応能力の非常に優れた生き物です。つまり、慣れるという高度さを持っています。例えば「痛み」に対して、慣れが生じることが多々ありますね。これは、我慢するという行動ですね。「笑い」はどうでしょうか?これは、慣れない部分だと思います。感情を行動で適応させようとするのは?自分自身です。
思い出してくださいね。
「高嶺の花を羨むより、足元の豆を拾え」。この足元の豆って何だろう?足元にあるのは、何だろうね?まず、足元を見て、知ることから始めたいですね。ほら、靴下のメルマガを思い出してくださいね。左足に右用の靴下を無理やりに履いていた方がたくさんいらっしゃいましたよ。
お母さん。娘さんに、わざと負けてあげる愛を贈っていますか?
娘さん、息子さん。敬う気持ちを丁寧に意識していますか?
怒りを具体的に表現するのは難しいという方が多かったですね。人間って、触れられたくないところを無意識に抑えていると、守ろうと意識だけが働きます。そして、そこを触れた人を、無意識に攻撃をしてしまいますね。
好きや嫌いは、堂々と持っていてくださいね。自分が好きか?自分が嫌いか?前情報のない、頭が真っ白の時に、問いかけてみたいですね。自分が好きと決めるのは自分なんですよね。自分で決める=責任の所在は自分にある=大人。そして、自分が好きなものは、自分の管轄にあります。他人のそれと異なりますね。お互いが強要しない、お互いがそれぞれの「好き」を知っているだけでいいんですよね。あなたの好きは、堂々と好きでいてくださいね。
皆さんが、今、一番悩んでらっしゃるのは「学びの不足」であると、私は考えています。若い頃の私が、まさしくこれでした。経験の不足とも言えますが、知識は他人の考えであり、それに振り回される自分の幼い感情が、許せない時期もありました。大きな引き出しに、あれもこれもと突っ込んで、必要な時に、何を使ったら良いのかがわからない状態になっていませんか?容量オーバーにも気付かずに、重たくなると、引き出しを閉めてしまいますね。頑固と呼ばれる性格は、引き出しが重たくて開けたくないからでしょう。
思い込みで文章を読む方が、かなり多くいらっしゃいますね。丁寧に、文字を読む。意識して、文章を読む。あなたはいかがですか?岡本は、出来ない自分を知り、現実のちっぽけな自分を知り、自分のレベルを知り、大きな引き出しをやめて、小さな引き出しをたくさん作りました。「私の今には、これが相応だな」。そして、丁寧に文章を読むことを始めました。すると、益々、自分の知らないことが多いのを知りました。井の中の蛙大海を知らずの蛙だったなと思います。今は、蛙は蛙なりの大海を目指して、コツコツです。コツコツとは、「学びの充足」を体で知恵にしているのです。知らないことを知ると、知っていることを知るのです。
自分が動くと景色が変わります。ゆっくりと動くと、色が鮮やかになります。のんびり行くと4時間で着く、急ぐと一日かかるよという言葉が聴こえてきました。途中の景色に素敵なお土産があるのですね。経過を楽しめる人は、今を知っています。そして充足を知っています。今日も一緒にコツコツと知っていきましょう。一つずつです。ガツガツすると、疲れますので、一つだけを、知っていきましょう。何が要らないか?そして何が必要か?
自分のものは、自分が決める。
自分のことは自分しか知らない。
他人のことは自分は分からない。
自分の視線を、自分へ向ける。
あなたとの繋がりに感謝します。
「意識して丁寧に行動していると、とても体が疲れます。でも気づきました。頭は疲れていないんです。体が疲れていることを知ると、何故か食べ物に執着しないで、自然な眠りにつく日が増えてきました。自分の体を労わることに、丁寧に動いている自分がいるのだと知りました。摂食障害が心を守ってくれているのだから、体は自分で守ろうと思います」
今日も、今、コツコツですね。一緒にコツコツと歩んでくださってありがとう。
私が、なぜ摂食障害を10年以上抱えていたか、克服する過程で、何が邪魔をしたかを考えました。まず、知ることから逃げていた自分がいました。知ることをしなかった間、摂食障害を抱えていました。知ることをしたその日に症状を手放しました。現実を知ったということです。頭ではわかっているんですというのは、ぜんぜんわかっていないということを知りました。そして、摂食障害が、自分を守ってくれた転ばぬ先の杖だったことと、自分は井の中の蛙大海知らずだったことを、克服して痛感しました。摂食障害を抱えているから、何もできないというのは、言い訳です。逆なんですよね。何かあるから、摂食障害で自分を守っているんだということを知りました。
皆様、それぞれの回復過程を歩まれており、皆様、それぞれの歩みは異なりますが、共通する部分もあります。回復過程の道筋は異なりますが、どの方にも共通するだろうと私が考えていることは、皆様、本人様も親御様も関係者の方々も、それぞれが一人の人間であるということです。それぞれが一人の人間として、自分という責任を背負って、自分の人生を「いわゆる大人に成長する」ことが、この摂食障害の回復克服とも言えると思っております。「ヘルプはしません」。そして「サポートは喜んで贈ります」。サポートは、贈る側も成長するのだと、改めて知った自分にうれしく思いました。出逢いに感謝し、繋がりに御礼を申し上げます。
コツコツと歩む姿に贈ります。「愛する人を、心で護る。それが愛なのです」心ざわざわ3より抜粋。
比較という感情には、「思い込みの思考」と、プライドと負けん気が絡みます。そこに、失敗したらどうしようという怖がりの性格が絡みます。それらがもつれてしまいます。私が10数年ここから抜けることができなかったので、摂食障害を抱えておりましたが、この部分を手放したその日に、症状がすべて消えました。今、サポート側になり、ここでもこの比較という「感情」があると、非常にややこしいことになるなと思うことが多々あります。比較って感情になるんですよね。冷静な判断という客観視ができると、成長の度合いを知ることができますが、感情になると、サポート側も非常に邪魔になる感情ですね。思い込みが強いと、今を誤解してしまいますね。視野が狭くなっているんですね。そして、その今を変えたくなくて、がっちりと鉄の鎧をまとっている。重いし、動きにくいんですよね。鉄の鎧を着ているのも、今の自分。それでいいんですよね。それを知ること。まずは、それが第一歩ですね。変えよう、変わろうと、焦らないでいいんですよ。今のままでいいんですよ。今を知ることからですね。人って、いろいろな感情があって、いろいろな自分がいて、それらを大きくひっくるめて私。これも私、あれも私、大きく捉えて一人の人間、いろいろある自分が、それぞれ点。点が繋がると線になり、線が合わさって、面になっていくという感覚ですね。私は、渦中の時は、それぞれが孤立した点だったんですね。
一点一点が、バラバラの点で、どれもこれも、私ではなかったんですね。
お母様から同じ内容の質問が続きます。「お客様に出そうと思っていた茶菓子を娘が食べてしまいます。病気で食べるのだから、食べないでとは言えないのでどうしたらいいのか・・・」お母さんの視野の向きを換えましょうか。食べたことを気にしているのはお母さん。母親としての躾は、食べてしまったことは事実ですので、食べてしまったと謝ることを教えてください。「病気なんだから、傷つくから言わないで」という本人さんの視線を換えましょうか。食べてしまったことに捉われずに、そのことを正直に話し、自分から謝るということを覚えることですね。後悔だけでは、事実を知らないので、お互いが見て見ぬふり。
何が問題なのか?誰の問題なのか?知ると反省になります。トラブルが生じた時に、そのトラブルを「知る」。責任の所在は、どこに、誰にを知ることで、次の行動が見えてきますよ。
叱る、怒る、教える。違いを知ってくださいね。摂食障害に怒るのではなく、一人の人間として、躾をするのは、周囲の大人の役目ですね。
人間関係は、実はとても単純なのですね。それを複雑にしているのは、それぞれ自身の感情の先走りだと思います。自分の感情は、どーんと抱いて、たっぷり浸る。ここをしないから、先に走っていくのですよ。知るというのは、その後に続くものですね。知るとは、感情は入りません。ただ単純に知るだけです。分かる、理解するへと繋がるのは、まず知ることですね。そして、やっと受け入れる、認めることが出来るのです。足元の豆を見ずに、空の色ばかりを観ていても、手探り状態の体は、何も掴めないですね。喜怒哀楽。どの感情も抱いていいんですよ。自分を守ろうと踏ん張るから、見て見ぬふりをして、感情を無視するのですね。
怒りがわいてくる自分を知ることですよ。その怒りをあるがままに知ることですよ。
喜びがわいてくる自分を知ることですよ。その喜びをあるがままに知ることですよ。
その時に他人の感情を勝手に読まないこと、失礼ですものね。他人の視線で、自分の感情を観ないこと、自分に失礼ですよね。確かに、渦中の時の岡本も複雑でごちゃごちゃしていましたが、今は、実に単純になりました。「高嶺の花を羨むより、足元の豆を拾え」です。自分自身に失礼のない生き方を選択しました。苦悩して、しんどい日々を、自分自身と歩く道のりを選択しました。今、コツコツと生きています。自分で。自分が。
ヘルプは、今の自己満足。サポートは、将来への責任を視野に捉えた知識の提供。サポートをするという知識を贈りますので、それを知恵にするのは、自分自身の行動なのですね。出来ないことは出来ないのです。出来るように工夫するには、知識が必要です。最初は、真似をするから始まりますが、知らないことを知るのが真似であり、そこへ工夫を入れると、自分のものになります。結果を真似するのではなく、経過の工夫を、自分で知っていくことが必要ですね。充実感や満足感というのは、結果ではなく、経過に生じる自己の感情なのです。気づくのは、後で冷酒のようにじわじわなのですね。
どんな感情も抱いていいんですよ。抱くと知るのですよ。知るから、放置が出来るのですよ。無視ではなく、抑えるではなく、まず知ること。感情はたっぷり抱いてくださいね。
岡本の若い頃。回復過程の途中のある日。自分も他人も、誤魔化すことができないと知りました。10個の引き出しに宝物が溢れている顔をして、何でもできる人を演じていました。
自分に嘘をついていました。10個の引き出しを開ける知恵がなかったのでした。引き出しを開けたことがなかったのです。頭を下げて、1個の引き出しを開ける方法を教えていただき、1個だけ引き出しを、自分で開けてみました。引き出しは引いて開けることを初めて知りました。自分の引き出しに入っていたのは、小さな輝く自分が一つでした。1個の自分を、10個に見せかけて、自分にも他人にも嘘をついていた自分を知りました。
その日から、1個の自分でコツコツ始めました。厳しい現実を知りながら。大海を探す前に、今いる井の中を見始めました。辛い現実を、一つ。苦しい現実を、一つ。同時に、充実を一つ。同時に、満足を一つ。やがて、本当の宝物は、自分が持っているのだと知り、それを自分で磨くので、輝くのだと体得しました。要らないものは捨てました。現実に必要なものを、拾い直しました。意外に少なくて驚きました。思い込み、他人への負けん気、他人からの称賛を欲する気持ち、ピノキオのような鼻が入った「比較」という箱は、私には要らなくなりました。今、赤い鞄に入っているものは、「自分だけが自分なのだ」という気持ち、「そのままで、しばらく放置しておく」という気持ち、そして「あなたを愛する」という気持ちだけです。
「雀百まで踊り忘れず」今日も、丁寧に引き出しを開けています。そして、必ず自分で閉めています。カチッと音が聴こえるまで。
嫌な感情や恥ずかしい感情も含めて、表出できる環境があれば、感情が豊かに育つと言われます。感情放置ができるのが、大人ですね。豊かな感情があると、選択して放置ができるのですね。
「心ざわざわ」4〜自分らしさの独り言〜より。「人間は死ぬまで生きるんや」 そう語ってくださった恩師を思い出します。確かにそうですね。 生きる道のりのすべてにおいて、結果よりその過程が大切だと奏で続ける「心ざわざわ」の心に、30年経った今も、その恩師の言葉は響いています。あなたの心に奏でる音色に、あなた自身が気づいていますか?
じっくりと耳を傾けて、身体を預けて、自分のテンポにしてみましょうね。それはそれは、素晴らしい心の輝きです。
あなたの感情
恥ずかしい?
あなたの感情 まだ眠っているようね
恐い?
あなたの感情
すべてが目覚めると
感情は人間の宝物
ガラスのケースから出して磨いてあげて
もっと輝くはずよ

「ダメ」では納得しない。子育ての中、4歳児くらいの子供さんに「ダメよ」という教え方では、その子供なりの持論のプライドが傷つきます。5歳児前後では、現在という感覚がわかってくるので、変化を知り始めます。同時に、人と比べるという言葉がみられます。今、自分を見つめながら、自分を育てる経過を歩んでらっしゃる方は、「〜しなければダメ」という思いが、自分のプライドを傷つけているかもしれません。変化を不安に思う気持ちと何かや誰かと比較する気持ちで、自分と接していると、自分が納得しないままで、自分が自分との信頼関係を築くのには無理が生じますね。それらと並行して、自分の体を置き去りにしている食行動や負荷が大きなエネルギーの消耗行動では、納得できない上に不満が募ってきます。現在という感覚がわかってくる時期に、自分を切り開いていく行動が多くなり、体で経験を重ねて、成長していくのです。そして、納得するという言葉には、「こんなもんかな?」というグレーの感覚も育っていくと思います。客観視や一歩引くという感覚ですね。回復とは、大人になることなのです。大人とは、諦めではなく、納得が増えることであり、好い加減を知ることなのですね。そう固定観念の枠が柔らかいってことですね。焦らず、諦めず。コツコツと。まず自分で知ること、気づくこと、それを行動すること。大事なことは、転ぶことなんですよね。たくさんたくさん転び、痛くて辛くて泣く。そして、いろいろなことを体得し、体で掴んでいくのですね。
「きっかけ」という言葉を知っているかどうか?「きっかけ」は、きりかけであり、きるという完了を意味して、かけるという始まるという意味を同時に表す。分かりやすくいうと、視野を換える。今までの視野を完了して、新しい視野を始める。他人の称賛に基準を持つ人は、経過を知らないのですね。経過を知らない方は、楽しむという進行形を知らないのですね。楽しいというのは、今です。今が楽しいのですね。
短絡的な思考では、スタートと同時にゴールを求め、ゴールは誰かの称賛になっています。楽しむを知っている方は、ゴールがあり、同時にスタートなのです。リセットではなく、積み重ねのコツコツですよ。
日々波があって当然。当然は意識することで、感謝になり、感謝は自分を穏やかにしてくれますね。そして、充実につながると思います。意識した日々は、満足充実を呼んでくれる。後になってわかることもある。一気に全部ではなくて、一つをゆっくり、じっくり。一つだけでいいので、じっくり取り組むこと。答えは明日でいい。出ないかもしれないけれど、それでいい。すっきりしないのが人生。すべてを抱えて、ぼちぼちと歩くのが人生。

◇NPO法人 心ざわざわ Top
since 2003/5/1 Copyright (C) kokorozawazawa 2011 All Rights Reserved