文化財建築探訪
近代和風 : |
名称 | 所在地 | 資料・記事 | |
諸戸家住宅![]() |
三重県桑名市 | 国指定重要文化財。 桑名の豪商諸戸家の本家に当たる家。通称西諸戸家。コンドル設計の洋館がある旧諸戸家(東諸戸家)は、堀を隔てて隣接し、「六華園」として通年公開されている。 |
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蘆花淺水荘![]() |
滋賀県大津市 | 国指定重要文化財。 日本画家山本春挙氏の邸宅跡。本邸の修理工事はほぼ完了。宗教法人記恩寺として予約公開されている。二階洋室の隣りにアトリエがある。 |
滋賀県立近代美術館特別展「春挙と蘆花淺水荘」(’03) |
旧広瀬家住宅![]() |
愛媛県新居浜市 | 国指定重要文化財。 住友総理代人広瀬宰平氏の旧宅。 新居浜市を見下ろす山手にあり、隣接して別子銅山近代化に情熱を燃やした氏の記念館がある。 皇居前広場の楠正成銅像は別子開鉱200年記念献上品によるもの。 著者が訪れたとき、玄関受付には小泉元首相が地元議員と写した写真が額に入れて飾ってあった。 |
初代広瀬宰平氏ほか住友歴代総理事の人物伝については、住友グループ広報委員会のHP、住友人物列伝に詳しい。 京都高瀬川一之船入南端にある数寄屋造り邸宅廣誠院は宰平氏子息広瀬満正氏が晩年を過ごした屋敷。 |
旧伊庭家住宅![]() |
滋賀県大津市 | 国指定重要文化財。 住友総理事伊庭貞剛氏の旧宅。西洋館も附設。 伊庭貞剛氏は住友総理代人広瀬宰平氏の甥。58歳のとき、「事業の進歩発達に最も害するものは、青年の過失ではなく、老人の跋扈である」との信念から総理事就任から4年で引退し、ここを終焉の地と定め隠棲した。 この |
諸戸家住宅 | |||
平成14年重文指定を受けた諸戸家の屋敷のうち。庭園の見学会が春と秋の2回行われている。庭園は四季おりおりに菖蒲や藤の花々、紅葉、松の緑で彩られ見応えがある。石の築山もあって石の多い庭である。建物は傷みが目立ち、内部公開は行われていない。但し広間の庭に面した建具は開放されており、庭から室内を見ることが出来る。 | |||
![]() 写真右端、石畳道のカーブしている箇所に主屋と表門がある。居住、事務棟である主屋は土蔵風の大きな建物で右側には接続して瀟洒な洋室がある。主屋とは別に接客用の建物である広間、洋館、玉突場が表門から大きな石のある広場を進んだところにある。広間は床の高い建物で、縁の中間柱も省かれて、庭園がよく見晴らせる。写真の左端広間の屋根右後方、林が少し切れたところには2代目諸戸静六さんが建てた旧諸戸家(六華苑として公開)の洋館塔屋が見える。後方の水平線は木曽三川の揖斐川、長良川である。 |
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旧伊庭家住宅 |
近代住友発展の基礎を築いた住友総理事伊庭貞剛さんが引退後に居住した住宅。明治37年竣工。洋館の設計者は重文大阪中之島図書館を設計した野口孫市氏で、ちょうどその時期、中之島図書館は建築中であり、この洋館設計にも能力の限りを傾注した。住宅は瀬田川の右岸石山寺に近い小高い山の上にあり、昔、瀬田の鉄橋を渡る東海道本線の列車から、車中の住友人が顔を窓ガラスに押しつけて故人を懐かしく想い出したという場所は、東海道新幹線と名神高速道路が正門の近くを横切り、和館から庭を眺めていても轟音がすさまじい。現在は住友活機園として年2回、一般にも特別公開されており、よく手入れの行き届いた庭園と建物を、案内付きで見学することができる。ちなみに近くの安土にあるヴォーリズ設計の伊庭邸は、貞剛さんの4男で美術家であり、また当地で宮司と村長をやった伊庭慎吉さんの旧宅である。この人の製作した貞剛さんのブロンズ像が洋館2階の展示室に置かれている。 |
蘆花淺水荘 | |||
大津市膳所の琵琶湖岸に建つ近代和風建築。本屋2階にアトリエと洋間があるが、外観は伝統的な日本建築。建築当初は書院前の庭園が琵琶湖に直接繋がって、名前のとおりの蘆の淺瀬であったが、今は湖岸道路が通り琵琶湖の眺望は望めなくなった。 | |||
旧広瀬家住宅 |
平成15年4月、東京駅、中尊寺白山社能舞台などとともに重要文化財に指定された近代和風建築。主屋の暖炉を持つ和室、階段室、二階の眺望室と最初期の洋式トイレ、広大な料理場、新座敷など見るべき所が多い。 |