稲作民俗の源流 Folk customs of rice growing

上北之垣内における 「日 待 講 」を見る  
                    小泉芳孝

1、この稿では現存する旧山本村の五っの日待講の内の上北之垣内における講の内容を、残されている古文書等の資料を辿りながら、講の成り立ちと変遷の状況を記してみたい。
   文責 小泉芳孝  調査 藤井謙治・林弘良  小泉芳孝(日本民俗学・郷土史家)
                         
   
1) 古文書の内容
  残されている古文書としては、表題を「日待順番表」とした和綴じのものが、大正二年一  月十五日・大正十二年一月十四日・昭和二十六年一月十四日・昭和五十五年一月十四  日の4冊と、封書により保管されている昭和五十六年吉日付けの「申し送り事項」があり、その内容は次の通りである。

◎ 「日待順番表」  大正二年一月十五日  上北之垣内
 順番
 小西・小泉・木村・藤井・小泉・川原・藤井・小泉・西尾・岡本・小泉・小野・斉藤・小泉

 申合セ  
   一、日待勤講之節ハ一戸毎ニ金五銭ヅツ当家ヨリ集金スルモノトスル
   二、同勤講三時規定ノ桝ヲ以テ白米ヲ集ムルコト
   三、講中申合セ順番日待ニハ左(下)之献立ヲ以テ相勤ムルコト
 献立  御酒  一升
   一、平皿(里芋・大根・鱈) 
   一、小皿(青菜ノ志タシ)     一、煮染(大根・里芋・牛蒡)
   一、汁 (豆腐才切・味噌汁)  一、組重(田作リ・数ノ子・牛蒡・豆)
   一、御飯   右(上)之通リ相定メ候也

◎ 「日待順番表」  大正十二年一月十四日  上北之垣内
 順番
 木村・東・中川(申ニ出ニヨリ一時休)・斉藤・小泉・小泉・小西・小泉・小野・藤井・中川・小泉・林・川原林・林・藤井・小泉・西尾・
 申合セ
   一、日待勤講ノ節ハ一戸毎ニ金五十銭宛当家ヨリ集金スルモノトス 但シ御神酒料
   二、同勤講ノ節、規定ノ桝ヲ以テ白米ヲ集ムル事  
   三、講中申合セ順番日待ニハ左ノ(下)献立ヲ以テ相勤ムル事
 献立
    御酒  一升
   一、平皿(里芋・大根・鱈)    一、小皿(青菜ノ志タシ)
   一、煮染(大根・里芋・牛蒡)   一、組重(田作リ・数ノ子・牛蒡・豆)
   一、汁 (豆腐才切・味噌汁)   一、御飯
      右之通リ相定メ候也

 ○ 申し合わせの追記分として
   一、日待当日寿宝寺住職ノ祈祷料ハ他垣内ト申合ワセ順番日待ニ限リ金五十銭トス
      昭和四年一月十四日
   一、日待御神酒料ハ一戸ニ付キ金五十銭宛集金スルモノトスル
      右(上)昭和二十年一月協定ス
   一、日待当日寿宝寺住職ノ祈祷料ハ他垣内ト申合セ順番日待ニ限リ金二十円トス
   一、日待御神酒料ハ一戸ニ付キ金二円宛集金スルモノトス 
      右(上)昭和二十三年一月協定ス
 申合セ
   一、当垣内ニ新ニ加入セントスルモノハ電車線路以東ニシテ従来ヨリ当部落ニ居住シ当該垣内ニ加入セシモノニ限ルコト 但シ其ノ新ニ分家セシモノモ是ニ準ズルコト
  二、前項以外ノモノハ理由ノ如何ニ不抱加入ヲ断ルコト 但シ第一項ノ親族又ハ有縁者ハ協議ノ上特ニ加入セシムルコトヲ得ルコト
  右(上)ノ通リ協議ノ上申合セス 昭和二年一月十四日

 ◎ 「日待順番表」  昭和二十六年一月十四日  上北之垣内
  順番表
 木村・斉藤・小泉・小泉・小西・小泉(昭和38年ヨリ一時休ム)・小泉・小野・中川・林・川原林・藤井・小泉・西尾 計 十四戸

  申合セ
   一、日待当日寿宝寺住職ノ祈祷料ハ他垣内ト申合セ順番日待ニ限リ金三十円トス
   一、日待当家ハ垣内費用トシテ一戸ニ付金十円宛集金スルモノトスル(組員ノ申合セニヨリ七円ヲ十円ニ変更ス)
     右(上)昭和二十六年一月十四日定ム
  申合セ改正
   一、日待当日寿宝寺住職ノ祈祷料ハ他垣内ト申合セ順番日待ニ限リ金五十円トス 但シ毎年他垣内ト問ヒ合ス事
    右(上)昭和二十八年一月十四日
    昭和三十二年一月十四日申合セ改正
     神酒料従来十円ヲ二十円ニ改正
 申合セ改正
   一、日待当日寿宝寺住職ノ祈祷料ハ他垣内ト申合セテ決メル事
   一、日待当家ハ垣内費用トシテ一戸ニ付金二百円宛トスル
 献立
   一、御酒  二升
   一、鶏肉一人当リ七十匁程度(但シ牛肉デモ差支エナシ)ニ限ル
   一、茶菓子ハ蜜柑ト外ニ一種類トス
     右(上)厳守スルコト   昭和四十年一月十四日
 申合セ改正
   一、日待当家ハ垣内費用トシテ一戸ニ付金一千円宛トスル 
      但シ献立ハ従来通リトスル
◎ 「日待順番表」  昭和五十五年一月十四日  上北之垣内
   順番表
  木村・斉藤・小泉・小泉・小西・小泉・小野・藤井・中川・林・川原林・藤井・高尾・西尾・中嶌  計15戸
 申合セ
  一、日待当日寿宝寺住職ノ祈祷料ハ他垣内ト申合セ順番日待ニ限リ金三十円トス
  一、日待当家ハ垣内費用トシテ一戸ニ付金十円宛集金スルモノトスル(組員ノ申合セニヨリ七円ヲ十円ニ変更ス)
           右(上) 昭和二十六年一月十四日定ム
  申合セ改正
  一、日待当日寿宝寺住職ノ祈祷料ハ他垣内ト申合セ順番日待ニ限リ金五十円トス
    昭和三十二年一月十四日申合セ改正
    神酒料従来十円ヲ金二十円ニ改正
 申合セ改正
  一、日待当日寿宝寺住職ノ祈祷料ハ他垣内ト申合セテ決メルコト
  一、日待当家ハ垣内費用トシテ一戸ニ付金二百円宛トスル
 献立
  一、御酒  二升
  一、鶏肉一人当リ七十匁程度(但シ牛肉デモ差支エナシ)ニ限ル
  一、茶菓子ハ蜜柑ト外ニ一種類トス
     右(上)厳守スルコト  昭和四十年一月十四日
 申合セ改正
  一、日待当家ハ垣内費用トシテ一戸ニ付金一千円宛トス 
    右(上)厳守スルコト  昭和五十二年一月十四日
    但シ献立ハ従来通リトスル

◎ 「申合せ事項」  昭和五十六年吉日  上北之垣内 (封書により保管)
  申合せ
  一、日待当家喪中の節は百ケ日を限度とす
  一、主親族の場合は五拾日を限度とす
  一、各組員も是に準ず
 順番表
 1、木村 2、斉藤 、3小泉 4、小泉 5、小西 6、小西 7、小野 8、藤井 9、中川 10、林 11、川原林 12、藤井 13、高尾 14、西尾 15、中嶌
 上記の通りであるが、内容としては「講員名」「住職祈祷料」「垣内費用」「垣内の範囲と加入の条件」「献立」「喪中の取り扱い」等が主なものとなっている。
 尚この中では屋移り日待ちに関する記載は無いが、当該垣内の中で本屋を新築された時には当家よりの申出により、順番表に関係無く講の当屋を勤めることになっている。又この場合は定められた献立に従わなくても良いようである。

 2) 床の間の掛け軸

  紙本着色で、絵柄は上部に太陽と月輪を描き、その下に光背又は日輪を放つ女性と思しき神を中央に配し、向かってその斜め下左側に朱色の房らしきものを手にする男神と、同じく右側には弓を持つ男神がいずれも衣冠束帯姿で立っておられる。軸装の裏面に三社・講中という文字が見えるため、伊勢神宮を中央に賀茂神社(又は春日大社か)・石清水八幡宮の祭神を描いたものと思われる。その他軸装の裏面には補修した為に不明な箇所もあるが、安永九庚子極月吉と前述の三社・講中の文字、又軸箱の蓋の裏には日待表具箱とあり、その右に安永九庚子歳、左側に極月吉日と書かれてる。そしてその下方には講員と思われる源右衛門以下13名の名前が記されており、この軸が西暦1780年の12月に13名の講員により新調?されたものと思われる。

3) 講箱に収められたその他の物品 

 三方・へぎ・かわらけ・花筒・ローソク立て等床の間の祭壇を飾るための品々と共に、大正三年一月 寄附者 小野榮吉と書かれた木の「桝」があり、又古文書の大正二年一月十五日及び大正十二年一月十四日付けの申し合わせで「日待ち勤講の節、規定の桝で以て白米を集むること」とあり、当時は当屋がこの桝で各講員宅へ白米を集めに回ったものらしいが、いつの時から途絶えたのか記録には無い。

2、 この稿では現在の日待講の1月14日から1月15日に掛けての勤講の内容等について、時系列的に記してみる。

 1月14日の行事

1) 当屋は事前に各講員宅へ勤講の知らせと共に、垣内費用を集めに回る。
2) 当屋は床の間の正面に三社祭神の掛軸を掛け、その前にお灯明・榊・お神酒及び三方の上に野菜(根・実・葉)・肴(スルメ等)・洗米・チリメンジャコを供える。
3) 当屋は寿宝寺住職にお願いし、事前にご祈祷をして頂く。(祈祷料は規定の額)
4) トンドの準備と左義長の組み立て
 (1)  当屋は前以て青竹(真竹・淡竹)5本を準備しておく。その他左義長を組む為の材料や道具として日の丸の扇子・縄・藁・  鎌・鉈・運搬車等、必要なものを左義長を組み立てる場所に準備しておく。
  (2)  午後3時になると各講員は、正月飾りの門松・注連飾り等と藁2束づつを当屋の定めた場所に持ち寄り、左義長を作るた  めの準備をする。
  (3)  組み立ての順序として左義長としての三角錐を作るため、青竹5本の内の1本を折り曲げて三角の枠を作り、それを底辺 として各コーナー部に3本の青竹の根元を縄でしっかりと固定し、又中程でも固定して櫓状の構造物とする。そして五穀豊饒を祈ってのものか、青竹の各枝に一握りづつの「藁しべ」を数多く、穂先の部分で結わい付ける。
 一方では正月飾りのしめ繩を、長くつなぎ合わせそれに藁を巻き付けたもの(通称:腰巻き)を作り、前述の三角錐の中程まで巻き付ける。そして三角錐の先端に日の丸の扇子を結び付け、又トンドの際に左義長を恵方の方へ倒すための引縄を取り付けて完成となる。
 尚、残った青竹の1本は2m位の長さに切って割り、トンドの際の火箸とする。
(4)  残った正月飾りや藁・竹の火箸やトンドの際に必要な道具等を運搬車に積み込む。清掃も
(5)  完成した左義長を当屋まで運び、屋根にもたせ掛けて終わる。
5) 午後6時になると講員全員が当屋に集まり、床の間の掛軸と祭壇の前で拝礼したあと、お下りとしての洗米・チリメンジャコとお神酒を頂いたあとで、定められた献立(屋移り日待ちは別)により食事をした後、囲碁・将棋・トランプや近ごろではカラオケ等に興 じながら、祭壇のお灯明の火が消えぬようお守りしつつ午前0時をもって、講員全員が床の間の祭壇に拝礼したのち当屋を辞する。
6) 当屋は講員が帰ったあとも、明朝のトンドの際の提灯のローソクに火を移すまで床の間のお灯明の火が消えぬようお守りする。

1月15日の行事

 1) 午前6時に講員全員が当屋に集まりお神酒を頂く。
 2) 当屋は床の間のお灯明の火を、左義長を先導するための提灯のローソクに移す。
 3) 当屋主人は前述の提灯の火を消さぬよう、トンド焚きする場所(ここ数年は遠藤   川北側堤防上となっている)まで先導する。
 4) 先導の提灯の後を、前日当屋の屋根にもたせ掛けてあった左義長を、講員全員が担ぎ上げ「ワッショイ」「ワッショイ」の掛声と共に。指定の場所まで運ぶ。
 5) 又この後を当該垣内の家族が続き、共にトンド焚きの火祭を行う。
 6) 指定の場所では左義長を、恵方の方角へ倒れるように足場を決めて立てる。
 7) 立てた左義長の腰巻きの中に持ち寄った藁や正月飾り等を入れ、講員全員が藁を   一把づつを持って提灯のローソクの火を移し、一斉に先に入れた腰巻きの中の藁に火をつける。
 8) 火が上部まで燃え上がり、先端の「日の丸の扇子」に燃え移るのを見計らって引縄を引き恵方の方角に倒す。
 9) その後は家族も全員で火を囲み、家から持参の餅を焼きながら食し、又「ノミの口」「ブトの口」等と言いながら悪虫封じや、一年の無事息災を祈りつつ日の出を拝する。又子供達は書初めの紙をこの火にかざし、高く舞い上げて書道の上達を祈る風習も。
 10) 時間は前後するが便所の正月飾りは別にして、離れた場所で火を移して焚くようになっている。
 11) トンドの火がほぼ無くなった頃、講員全員は当屋に挨拶をして帰宅する。
 12) 当屋は最後に火の始末をして、トンド焚きを含めた日待ちの行事を全て終了する。

3、言い伝え・由来・変遷・記録等

 当垣内では、ほぼ変わる事なく日待ちの勤講と共に左義長によるトンド焚きも行われているが、他の垣内ではトンド焚きを簡略化されている所もあるように聞いている。又以前は「日待ち」としてのオコナイの趣旨より精進潔斎して一夜を寝ずに夜明けを待ったものと思われる。当垣内の日待ち講はいつ始まったのか、前述したとおり床の間に飾る掛軸は、安永九年(西暦1780年)の年号があり当時(室町〜江戸期)広く信仰の対象として流布したとされる「三社託宣」のものと思われるが、この時を起源としているのか、大正二年の古文書までの記録が一切無いため、勤講の内容等も含めて不明である。特に「三毬杖」として宮中行事で正月を締めくくる行事を語源としている「左義長」によるトンド焚きといつから、どのように結び付いていったのか、又神事ごとである「日待ち」を寿宝寺の住職に祈祷をお願いするのも少し奇異のようにも思われるが、明治初期までの神仏習合の形が今に残っているのかも。
 その他昔はトンドの火を竹の火箸に移して持ち帰り、竈に火を移してアズキ粥を炊き皆で祝ったものと聞いている。又誰かの句に「黒焦げの餅見失うトンドかな」があるが、このような微笑ましい風景が絶えることなく続いて行って欲しいものと願っているが、開発の進むこれからの時代、材料の調達や焚く場所等将来はどのように変貌していくのか、今現在を流れの中の一頁として書き記してみた。   


上記内容の詳細は、下記の本で御覧になれます。

2001年2月下旬に、「稲作民俗の源流―日本・インドネシアー」として出版。

題名『稲作民俗の源流―日本・インドネシアー』
         上記本の写真と内容 詳細は左をクリック!

お読みになった方からメールをいただきました。

 「稲作民俗の源流―日本・インドネシアー」を読んでお礼のメールをいただきました。 2005年8月5日 21:36
ディスカバリーチャンネルなどででリポートされている方から
 とても中身が濃く、何度もまだまだ読み込める可能性を秘めた素晴らしい御本です! 
 御本の中にもありました「先祖と一体になる」という言葉!素晴らしい表現ですね。
 これは「感謝」の枠を超えた人生観であり、宇宙観であり、哲学だと感じました。


 ========== 切取り線 ============ 切取り線 ==== 

特別特価(筆者発送分のみ)
下記の郵便振込 講座番号に4000円をお振込ください。

定価5000円+消費税を、4000円(本の郵送料+消費税は当方負担)に
    ー著者直接の、予約申込ー                  

           名 前          
          郵便番号
          住 所          
          電話番号                  FAX番号  
          Eーmail          

 4000円(本代+郵送料+封筒込み)を下記の郵便振込 講座番号へお送りください。


『郵便振込』 講座番号 00920-7-40389
       加入社名 小泉芳孝
       通信欄  稲作民俗の源流〜日本・インドネシア〜

 なお発送は、上記が当方に到着しだい発送させて頂きます。    ※お問い合わせは、ここへメールをお送り下さい。   

下記のホームページでも紹介されています。

「文理閣」 http://www.bunrikaku.com/gazomokuroku-1.htm
「TRC図書館流通センター」 http://www.trc.co.jp/trc/book/book.idc?JLA=01011874
「アマゾン」 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4892593745/qid%3D989599708/249-6037261-0581962
「歴史全般リンク集」 http://www2m.biglobe.ne.jp/~Accord/KENSAKU/v13f-new.htm

かつては、下記のホームページでも紹介されていました。
「ヤフーショッピング ー民間信仰リンク集」 「紀伊国屋」 「ヤフーブック」 
「丸沼書店」  「歴史全般リンク集」 「朝日ネット」「喫茶店・京童」 「神奈備掲示板」 


                             次へ


『竹取物語』研究所(竹取の翁・かぐや姫
  ここに掲載の写真および記事の無断転載を禁じます。
  copyright(C) 1999 Yoshitaka Koizumi. All rights reserved.