長崎のハウステンボスと平戸へ行った。
ハウステンボスでは、孫たちが乗り物に乗ったりしている間写真を撮っていた。
「7人の薔薇の騎士たち」と称し、7人の作者が薔薇をテーマにした作品を競っていた。
そこで何枚かシャッターを切った。
昼は、長崎名物の皿うどんを食べた。
夜は、花火を見物した。レザー光線の花火は見応えがあった。
平戸では、聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂、最教寺等を見学した。
夜の食事のひらめの刺身は絶品だった。


 皿うどんとちゃんぽん
鎖国時代、日本で唯一の開港地として外来文化を受け入れ、独自の文化を育てた長崎は、料理にも異国の味が漂うと言われます。中でもちゃんぽん(チャンポン)・皿うどんは、深い関わりのあった中国の影響を受けて長崎が生み出した日中混合の庶民の味として、名物のひとつとなっています。
ちゃんぽん(チャンポン)の語源には諸説あります。

1.中国、福建省の方言で簡単な御飯の意味の、喰飯(シャンポン)がなまったもの
2.ポルトガル語の「チャンポン(混ぜる・混合するの意味)」がなまったもの。
3.当時の中国人の呼び方である「チャン」と日本人の「ポン」を取ってチャン+ポンと名付けた。など、料理の特徴と同じように語源まで諸説が混合しているようです。
貧しい
ちゃんぽん(チャンポン)の由来も諸説あります。「明治初年、長崎人である本吉某が、丸山にて支那うどんをちゃんぽん(チャンポン)と名付けて開業したもので、ついにちゃんぽん(チャンポン)は支那うどんの固有名詞となった」と文献に残されています。また「勝海舟が丸山でちゃんぽん(チャンポン)を食べとても喜んだ」とも語り継がれています。この他、福建省の人たちが長崎市内(現在の新地中華街や館内)に出て、庶民相手に商売をするようになった頃、その明治30年代に、陳平順が貧しい中国人留学生に安くて栄養のあるものを食べさせようと、野菜くずや肉の切れ端などを炒め、中華麺を入れスープで煮込んだボリュームたっぷりの料理を作り上げ、ちゃんぽん(チャンポン)と名付けたとも言われています。
どの説にしても、麺好きの日本人の嗜好を巧みにとらえた、その名の通りまさに日本と中国が混合(ちゃんぽんになった)した料理と言えます。



フランシスコ・サビエル        
1506
年に、ピレネー山脈の西南、ナバラ王国(現スペイン領バスク地方)に生まれ、パリの聖バルバラ学院で神学を学んだ。1534年にイグナティオ・ロヨラとともにキリストへの奉仕を誓い、イエズス会の創立に参画。ポルトガル国王の援助を得、東洋への布教活動に努めた。 1542年にインドで活動を始め、1547年にはマラッカで日本人ヤジロウと出会い日本開教を発願。1549年に鹿児島に上陸し、わが国に初めてキリスト教を伝えた。山口を中心に西日本各地で布教し、日本におけるイエズス会の基礎を作った。2年余りの滞日の後、中国に渡り、1552 年、広東近郊の上川島で死去。1622年にロヨラとともに聖人に列せられた。  サビエルに関する同時代の文献は、没後42年目に出版されたトルセリーノによる伝記が最も広く普及しており、その増補版とともに各国語に訳され、数十種類を数える。ベッソン・コレクションでは、1819点のトルセリーノによるサビエル伝のほか、ルセナによる伝記など、主要な文献60種余りを所蔵している。



最教寺と子泣き相撲
弘法大師にゆかりの深い寺で慶長12年(1607年)松浦鎮信により建立され、西の高野山と呼ばれている。霊宝館には、国の重要文化財である
「絹本着色仏涅槃図」をはじめ、日本密教美術品や外国伝来の仏教美術品が展示されている。

節分には子泣き相撲が行はれるので有名である。
子泣き相撲の由来
慶長12年法印公鎮信は、かねてからの願いであった密門の再興を勝音院(最教寺建立前にあった寺院)の住職竜呑和尚につげてこう言われた。「この地は弘法大師ゆかりの聖地であるので、ここに密教釈迦の道場を建立しようと思う。ついては和尚、どこにでも替え地をあげるので、他に最適の地を選び移られたし」と。しかし和尚は「密禅あに異なることあらんや」とこれを拒否した。法印公は、三度懇願したが和尚は拒否の回答。法印公はついに奉行に命じ、勝音院を焼き払わせたのである。火炎天を焦がす中に、和尚「尽未来際障りをなさん」と叫んで割腹し、自らの臓腑を巻き付けて本尊薬師如来(現在早岐浄禅寺にて祭る、県指定文化財)を死守した。弟子英鉄もまた師の後を追って焼死した。時に、慶長12年3月10日であった。
その後、両僧の亡霊がしばしば法印公を悩ましたが、一日最教寺に参詣した時、赤子の泣き声によって亡霊が退散したという。両僧の墓は最教寺境内にあり、弥陀を象徴する梵字を彫った自然石が立っている。310日には慰霊祭が行われている。
こうした縁起の本もとに節分の行事として子泣き相撲が伝承され現在に
至っている。赤ちゃんの泣き声によって邪気を払い、かつ身体健全、健康増進を願うお祭りである。
弘法大師にゆかりの深い寺で慶長12年(1607年)松浦鎮信により建立され、西の高野山と呼ばれている。霊宝館には、国の重要文化財である「絹本着色仏涅槃図」をはじめ、日本密教美術品や外国伝来の仏教美術品が展示されている。
節分には子泣き相撲が行はれるので有名である。

平戸のひらめ
天然ヒラメの日本有数の水揚げを誇る平戸。冬の五島灘で獲れるヒラメは、しっかりと脂がのり、身はキュッとしまってコリコリとした歯応えがあり口の中には甘みが広がる。特に、「えんがわ」は一度食べたら忘れられない美味しさ!
『平戸ひらめまつり』は、その旬のヒラメの美味しさを余すところなく伝えるヒラメの祭典です。



カスドース
カスドースは400年前平戸に渡来した、ポルトガル人により伝えられた。
製法は、カステラの生地を卵黄に浸し熱した砂糖蜜に通す。
陛下もお気に召してお買い求めになられたとか。
ガイドいわく「高貴な方には、あんなのがお口に合うのでしょうかね、私にはもうひとつ
ピントきませんが、話の種にお買い求め下さい。」

ハウステンボスと平戸

風車

花火

花火

ばら

皿うどん

聖フランシスコ・ザビエル
記念聖堂

聖フランスシスコ・ザビエル像

寺院と教会の見える風景

最教寺三重大塔

カスドース

ひらめ