解説   忠 度


 藤原の俊成に仕えていた人(ワキ)が、俊成の死後に出家して、西国行脚に出ました。
 須磨の浦に近い山中の、桜の木の下で樵の翁(前シテ)と出会いました。日が暮れて来ま したので一夜の宿を乞いましたが、老人は桜の花の下ほどの宿はないと「行き 暮れて、木の下蔭を宿とせぱ、花や今宵の主(あるじ)ならまし」の和歌を引例 しました。そして、その歌の作者薩摩守忠度は、この木の下に眠っているから と、回向を勧めます。旅僧は、その言葉にしたがって回向を始めますと、老人は悦びを表し、姿は消え失せます。
 夜になって旅僧の夢枕に、忠度の霊(後シテ)が現われ、自分の詠歌が、千載集に読み人知らずとして記載きれているのが、心残りである。僧は俊成の身内にいたのであるから、都に帰ったら俊成の子の定家にこのことを伝えて、忠度と作者名を記して欲しいと訴えました。その後、忠度の霊は都落ちから一の谷にて討死した有様などを語リ、跡弔い給えと僧に頼んで、夜明けともに姿は消え失せました。


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