こ う ぎ ん か い    よ う せ ん の う       え ん か く
高吟会 涌泉能の沿革
高吟会代表 高林 白牛口二こうじ



|  京都における喜多流の歴史は、流祖の時代より始まり、現在まで延々 |
| 四百年近い歴史を持っています。                  |
| その京都の喜多流を、最初から支えてきた家は、堀池家でした。その堀 |
| 池家の芸事の後継者として、堀池延叟に嘱望され、由緒ある京都の喜多 |
| 流を託されたのが、私の父、高林吟二です。京都在住の喜多流者として |
| の責任を感じ、それを護持し伝えてきました。堀池の家が断絶したので |
| はありませんので家名は継がず、藝系を伝える証として家紋と伝書を引 |
| き継ぎました。高林の家は、代々京都禁中の能奉行などを勤めた家柄で |
| す。高林吟二の実父宗三郎は、喜多流としては極めて初期に、謡教授に |
| 任ぜられています。                        |
|  私は、昭和10年に生まれ、父のみの薫陶を幼少の頃より受け、京都 |
| の喜多流の伝承を守って今日に至っています。昭和46年に、喜多実十 |
| 五世宗家により、喜多流の職分の一員に加えられましたが、その年に父 |
| は、脳溢血で倒れました。1年後になくなりましたとき、私は36歳で |
| した。                              |
|  その後、息子の呻二が高等学校を卒業するのを待って、昭和57年4 |
| 月に、この「涌泉能(正式名称は喜多流涌泉能です)」を始めました。 |
| それより毎年春秋二回、能を二番ずつ、休まずに続けてきています。平 |
| 成13年からは、孫の昌司が加わり、能が三番になることもあります。 |
|  高吟会という名は、創始者高林吟二が、自分の名前から取りました。 |
| 謡を高らかに吟ずるという意味です。                |
| 涌泉能と命名した理由は、次の偈に由来しています。         |





|  これは「動静(ドウジョウ)天地(テンチ)を以(モッ)てす、視  |
| (ミ)よ哉(ヤ)涌泉(ヨウセン)の美(ビ)を」と読みます。動静は、|
| ここでは禅語の読みに倣って(ドウジョウ)と読みます。意味は、動な |
| る時も、静なる時も、天地を以て為せ。そうすれば、その「藝」(ワザ |
| オギ)は涌泉(ヨウセンと読みます。足の裏、土踏まずのこと、即ち足、|
| 能の足運びを意味しています。)の美しさに現れる。足運び・足の美し |
| さは、能の生命です。鈿之翁(ウズノオキナ)は、高林吟二の雅号です。|
|  この偈(ゲ)は、故高林吟二「鈿之翁」が、私達能を志す者たちに、 |
| 指標(ミチシルベ)として与えた語です。京都市北区等持院の高林家稽 |
| 古場入口にも、掲出されていますし、涌泉能の番組の冒頭にも掲げられ |
| ています。                            |
|  由緒と伝統のある、京都の喜多流の流れを汲む者は、この偈の持つ趣 |
| 旨を、常に念頭に置いて、修行に励んでいます。           |
|  舞台活動としての高吟会は、この「涌泉能」です。稽古場としては、 |
| 地元京都の自宅稽古場の他に、京都府宮津市、鳥取県の鳥取市・用瀬町 |
| 鹿野町、三重県の津市・松阪市・一色町、滋賀県の近江八幡市・彦根市 |
| 福井県の丸岡町、静岡県静岡市、東京都等、京都を中心に各地に稽古場 |
| があります。指導には、白牛口二と呻二が、分担してあたっています。 |


平成12年6月14日

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