京都地方自治ネットレポート20061026
人事評価制度などの競争的人事管理制度を考える
【はじめに】
 2005年に「公務員給与制度見直し」の人事院勧告が行われた。新給料表が提示され、これまでの1号昇給の刻みが4号に分割細分された。これは評価制度などを導入した際に、成績により個々人に、いま以上の格差がつくように昇給細分という給料表を採用したものである。現在(2006.10時点)は、この評価に基づく給与制度については国家公務員の一部で試行が行われている。この十数年のあいだ、民間ではグローバル競争の中で給与決定や処遇などに、より競争的な賃金制度・人事制度の導入が広がった。今回の「公務員給与制度見直し」は、明らかにこうした十数年の民間での動き、制度の考え方を踏襲したものであると言える。
 国の計画などをみると、約5年間は試行を繰り返すことになっている。しかし地方公務員の場合には、よく内容を検討もしないで「直ちに成績に基づく給与制度にするんだ」「いまの時代の必要性だ」という拙速で稚拙な説明しかできない人事当局、理事者などもいて、こうした競争的な給与制度が押しつけられる危険性が非常に高い自治体も生まれている。
 いま、書店などのビジネス誌コーナーでは、これまで民間で大流行の「成果主義、成績主義、目標管理制度、評価制度」などという人事・給与制度は弊害をともなっているという主張や検証をした本が、多数出回っている。そして、経営者向けのビジネス書などは、「どうすれば社員が働くのか」「どうすれば社員のモチベーション(意欲の源になる“動機”を意味)が高まるのか」ということを主題にした書籍が出始めたのである。しかも、これらの書籍の内容は、実は「人参をぶらさげて馬を走らせるがごとき競争的な人事給与制度は、かえって人のやる気を無くすものである」ということがほぼ確実なこととして実証的に述べられている。
 同時に、提言的な内容として、公平性や社員の連帯感の確保、達成感など実感できる仕事のすすめ方が必要で、人事管理の方向として協調的、民主的、集団的な合意などが大切なことであり、これが満たされないとやる気が向上しないと述べているのである。「成果主義、成績主義シンドローム」ともいえるこれまでの競争的な人事管理とはまったく逆の人事管理への提言なのである。

 こうした最新の人事管理研究の到達点から見れば、いま公務員に入れられようとしている制度見直しは、意図すること(公務員がよりやる気をもっていきいきと働く)とはまったく逆の効果があると言うことになる。したがって、実施されれば市民・住民にとっては許し難い悪政であり、大変な税金の無駄遣いとなる危険性をはらんでいることになる。しかも民間では業績に関わることなので、こうした人事政策の失敗は経営陣が退陣を含め責任をとっているが、公務員ではこの種のあやまりはだれも責任を負わないのが“つね”である。したがって、責任を取らないだけに“いま”真摯に検討する姿勢が人事担当者・理事者には要請されるのである。
 京都自治労連の傘下の労働組合で、いわゆる“働きがい”や“やる気”について正面から問うたと思われるアンケートはいくつかあるが、次のアンケートについての若干の分析からこうした競争的な人事管理問題について考えてみたい。
 一つは、京都市職労「いきいき働きがいアンケート」(2003年集計・2356人回答)、二つは舞鶴市職労「職場ぎすぎす改善アンケート」(2006年集計・468人回答)である。また、京都自治労連06春闘アンケート(5765人回答)の「働きがい」項目回答を含め考えたい。

【現場では「やる気」喪失が広がっている。“やる気”を取り戻させることは非常に重要な人事課題】
 京都市職アンケートで、「いまの仕事に働きがいを感じているか?」という質問には9.1%が大いに働きがいを感じ、52.4%がまあまあ感じている。働きがいについてのプラスイメージは61.5%ということになる。常識的に言えばまだ「やる気」を残していると言えるのかも知れない。逆に27.9%があまり感じておらず、7.5%がまったく感じていないとなっている。この結果から35.4%が、働きがいからみるとマイナスイメージを持っており、おそらく「やる気」も減退していると類推される。
 なお、「働きがい」に関していえば職種別(事務・専門・技術職など)に20%近い違いがあり、専門職の方が「働きがい」がある度合いは高いといえる。

 京都自治労連の06春闘アンケートの「今の仕事にやり甲斐・働き甲斐はありますか」の項目では、「ある」が27.04%、「ややある」が38.09%で、65.13%がプラスイメージである。逆に「あまりない」が19.93%、「ない」が6.44%で、26.37%がマイナスイメージとなっている。
 舞鶴市職アンケートでは、「これまで真剣に仕事がいやになったことがある」と考えたことがある人は58.5%にのぼり、その内約7割の人が具体的な内容を記入している。

 これらのアンケートには時間差等があるが、「やる気のなさ」という気分が公務員攻撃とあいまって、職場で強まっていることが予想される。これだけの比率で職員が「やる気をなくしている」実態があり、“やる気”を取り戻させることは非常に重要な人事課題と言えよう。

【現場の職員が“やる気”が「出る」又は「無くす」原因はなにか】
 京都市職アンケートで職場で起こることで、なにが「やる気」が出たり無くしたりの要因になったを見るために、職場の変化と「働きがい」のクロス集計がされている。「働きがいを感じない(あまり+まったく感じていない)」割合が高かったのは、「職場の雰囲気が悪くなった」(52.2%)、「上意下達の仕事が増えた」(48.3%)、「執務環境や作業環境が悪くなった」(47.9%)だった。職場の人間関係や仕事のすすめ方が大きな作用を及ぼしていることを示している。背景には仕事量と人員数などが合理的でないことも考えられる。逆に「働きがい感じる(あまり+まったく感じていない)」割合が高いのが「サービス残業が相当ある」(67.0%)だった。ワーカーホリックとも言える状況があることを示している。

 京都自治労連06春闘アンケートの「やり甲斐・働き甲斐を感じるのはどんな時ですか(3つ以内でお答え下さい)」項目をみると、「住民から感謝の言葉を聞いたとき」51.57%、「職場の仲間と共同して仕事している実感したとき」40.09%、「自分でたてた目標を達成したとき」33.39%となっており、自治体労働者らしく地方自治の主人公である住民からの評価を喜びとしている。また、職場での連帯感、仕事の達成感が職員の働きがいに大きなファクターであることを示している。

 舞鶴市職アンケートで「やる気をなくす原因」の具体的記述で一番多かったのが、「人間関係」である。トラブルとまではいかないが、人間関係でかなり神経をすり減らしている実態があった。このことと関わってコミュニケーションの欠如やチームワークのなさを嘆く記述もかなりあった。一方で、「みんなと一つになって仕事が出来た」時に“やる気”が出たという記述がある。
 次に「職場の忙しさ」ということが大変多く書かれている。そのことが、仕事の配分の不公平感、異動の不公平感につながっている。そして、その不満の矛先の一つとして上司への批判という流れが読みとれる。もちろん、個別、個々にこれらの問題を指摘しているものも数多く、上司の問題にしてもその個人の資質に関わる批判が大半なのだが、通して読み比べていくと“やる気”をなくしていく流れとなっている。また、「はかどらないから、失敗して落ち込み、何のためにやっているのか」と考える職員も多い。住民から「喜ばれた」時に“やる気”“やりがい”を感じるという記述も多く、仕事への達成感の感じ方が重要であることを示している。「気の持ちよう」など個人の問題としている意見も数多くある。

【「やる気」を伸ばすベクトル、なくすベクトル】
 組合員のやる気についての回答や記述は、前向きな職場をつくるためのヒントを豊に示している。ヒントの1は、「連帯感」あふれる職場づくりである。みんなといっしょに仕事をしたという気持ちが「やる気」を増進させ、逆にやる気を無くした事例として、人間関係の悪さコミュニケーションの悪さを嘆く声が本当に多かったのである。
 二つ目のヒントは「公平感」である。人事異動での不公平感がやる気をなくす例として舞鶴では多くの記述があった。さらに、多忙な状況の中で回りとの仕事の較差に気付いた時、その不公平感からやる気を無くしている。
 三つ目は「達成感」である。達成感を感じる環境にあれば、ますますやる気が出るし、逆だと「むなしさ」から「やる気」を無くすのである。

【言われる「公務員制度見直し」でやる気はでるのか】
 それでは、いま人事院や政府が提起している「公務員制度見直し(成績主義・評価制度・目標管理)」という手法で公務員のやる気が増進し、仕事がより効率的・情熱的にすすめられるのかを考えたい。
 第一に「連帯感」をすすめるためであるが、個々人バラバラに目標管理や評価査定などをするより、「人員配置や仕事の配置を集団できちんと議論しみんなが納得し決める仕組みをつくる」ほうが“やる気”になるということである。
 「目標管理制度は、管理職と職員が少なくとも年に2度はきちんと話し合う場をつくるという意味でも、コミュニケーションも前進する」とはある市の交渉の席での人事担当者の回答であった。こうしたやり方でしかコミュニケーションを前進させられないとするなら、職場での上司と職員の溝が深まっている現状の中で、機能するどころかより溝をつくる結果になると考えられる。
 第二に「公平感」の問題だが、京都市職アンケートは「能力や業績で基本給・一時金に差をつける賃金制度についてどう思う」かを聞いている。こうした制度の肯定的な回答が少ないのは労組の意見が浸透しているからなのかどうかは分からないが、否定的な意見のトップ(70.3%)が「評価の公正が問題」としている。
 第三に、達成感という問題である。目標管理制度について、「市民から職員は目標を持ってやってくれと言われている」から導入するという、訳の分からない提案の例もある。自治体がいったい住民に責任と展望をもった目標をどれだけ確立しているのだろう。住民が求めているのは実はその「目標」なのである。自治体が自治体としての目標を失ってはいないか。格差社会という構造の問題点が最近多方面で指摘されている。こうした社会にどんな行政が必要か考えてみる必要がある。
 地方自治法の第一条に自治体の役割が示されている。あらゆる自治体の仕事に「住民の福祉の増進」という地方自治法第一条に示された目標が入っているのだろうか。いまの社会構造のなかで、自治法に示されたこの目標を議論する必要を感じる。職員は地方のボスや政治家など有力者(えらそうにしている)の横暴に不快感を持っている。それにへつらう上司などは軽蔑の対象でもある。自治体労働者の達成感は「住民に喜ばれる」仕事でえられるのである。

 評価制度・成績主義を試行した職場の職員から聞いた。「課長はパソコンに向かっている時には、評価シートばかり見ている。目標の話も上司の押しつけだけになってくるし、こちらはどう切り抜けるかということで、本当に住民ため地域のための仕事なんて話にもならない。あんなことばっかりやっとらんと住民のための仕事せんかい、税金泥ボー。」という話である。上司のつらさも分かるような気もするが、この制度が職場の上司と職員の関係をより乖離したものにしている実例である。連帯感と達成感の両方を損なう結果となり、“やる気”の高揚とはかけ離れたものである。
 上司に対する不満がかなり職員の間で鬱積している。中間管理職や理事者がこうした状況を把握しているのだろうか。「官僚的」管理方法だけが伝承され、威圧的・高圧的に対応する管理職が目立つという記述が舞鶴市職アンケートでも出されていた。点数を付ける権限を上司がもつことが、その人の人間的な幅を広げ職員とのコミュニケーションも豊かになるのだろうか。むしろ官僚制を強め職員の疑心暗鬼は広がるという結果が大多数なのではないか。円滑な人間関係の調整や仕事に精通する学習機会をどれだけ広げるかということの方に力も時間も割いた方がよほど上司のためではないか。
 自治体により違いはあるが、中間管理職を手足のごとく動員する動きも聞く。働かされ方のルールもなく超勤手当も出ないなかでのこうしたあり方は、中間管理職のスキルアップにもならなければ、モチベーションも低下することはあっても向上することはまずないであろう。
 国家的な行革の流れは、それこそ「地方自治体とは何か」をかけて住民と職員・労働組合が協力し闘う以外にないだろう。同時に、自治体労働者のなかに自らの自覚との葛藤、行革の流れの中で一部に指摘される職場規律を含めた“あまさ”のような実態に、公共性をもつ職場と仕事から「これでいいのかという思い」をめぐる矛盾もまたアンケートに反映していると思う。

【みんなが気持ちよく職務を遂行できる人事管理は】
 アンケート結果を検討してきたが、結局「評価に基づく」「給与制度見直し」は、職員の“やる気”の向上にはつながらないと言うことである。
 アンケートを通じて、職員の“やる気”と“働きがい”を作るためには、仕事の分担や個々人の役割について自由で民主的な討議の中から確立していくことが必要だという結論に達した。そのためのシステム・制度づくりこそ「職員の力を引き出し、発揮させる効率的な行政体制」と言える。
 京都市職アンケートの「あなたは働きがいをもって仕事をしていくために強く望むことはなんですか」という項目で、トップが人員配置のアンバランスの改善40.8%、次が人員の増員36.7%、休暇など権利行使が出来る31.0%、研修等の保障30.6%となっている。択一式だから、選択項目以外の様々な要望があるとはいえ一定の状況が示されている。舞鶴市職アンケート結果も同様であるところも注目できる。
 結論的に言えば、民主的な仕事の配分とすすめ方の合意。それぞれを尊重しつつ「話し合える」職場づくりがなによりも必要なのである。その際、自治体職場の仕事の原点が地方自治法第1条に示される、「住民福祉の増進」であることの原則からブレてはならないと考える。

 “やる気”の問題について検討してきたが、人事給与制度をめぐってもう一つの主張がある。“努力したものが報われる”人事給与制度というものである。アンケートなどでこのことについての「割り切れなさ」が多数あった。実は、人事院や地方自治体の「給与制度見直し・成績主義賃金制度」の説明でもこのことが言われるが、実際には、個々人に点数をつけて努力していても引き下げがあるというもので、“努力したものが報われる”とはとても言えない代物である。
 「生活の糧としての賃金」と同時に“努力したものが報われる”人事給与制度ということについての議論は今後必要ではないかと考える。あたらしい人事管理・給与制度を考える上での課題である。

−以上−


小川進おがわしん(労働問題アナリスト)

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