京都地方自治ネットレポート20060421
(報告)ナショナルミニマムと最低生計費試算結果
1.ナショナルミニマムとは何か・・・ナショナルミニマムの定義と憲法25条
 ナショナルミニマムは国民的最低限と直訳されるが、国家が国民に保障する最低限度の生活水準のことを言う。
 ナショナルミニマムは最低限度の所得保障をさすものとして論じられてきた歴史的経過がある。これを狭義的とするならば、今日的には、広義的にとらえ、所得保障だけでなく、住宅・教育・保育・医療・介護など基本的な生活維持機能や環境・文化・税制・公共施設等、生活に関連する全体を含むものとされている。前者を「所得保障のナショナルミニマム」、後者を「包括的ナショナルミニマム」と言い換えることができる。ナショナルミニマムとだけ言う場合は後者をさすものとする。今日の日本において、「ナショナルミニマムの確立」とは、憲法第25条の「健康で文化的な最低限度の」生存権を人間の社会生活の諸分野において制度的に具体化することである。
 そして今、ナショナルミニマムについて、この狭義と広義のナショナルミニマムの区別と関連を統一的にとられ、労働運動と社会運動の共通の戦略目標とする課題が問われているといえる。

2.最低生計費と所得保障のナショナルミニマム
 貨幣経済社会にあっては、包括的ナショナルミニマムの一部をなす所得保障のナショナルミニマムはその根幹をなすものといえる。同時に、今日の情勢は教育・保育・医療・介護など生活の共通分野について、徹底した応能負担原則に基づく、社会サービス・現物給付を含む包括的なナショナルミニマム確立の必要性を増大させている。
 では、所得保障のナショナルミニマムは、いかなるもので、いかにあるべきか。稼動者と非稼動者の所得保障の関係はどうか。稼動者であっても、賃金労働者とその他の者との関係はどうか。

1)賃金のナショナルミニマムの欠如
 今日、日本の施策としては、ナショナルミニマムが狭く狭く解され、もっぱら非稼動者を対象とする生活保護基準が唯一それとされてきた。非稼動者のもう一つの年金制度は、最低保障年金制度がなく、所得保障のナショナルミニマムとして機能していない。働く労働者のナショナルミニマムは労働基準法がそれにあたるものであり、第1条で「労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を満たすものでなければならない」とし、最低賃金制に関する規定を設けている。しかし現行最低賃金法は、この労働基準法の理念が消され、経済・経営が優先されて、「労働者の生計費」はほとんど無視され、最低賃金額は今日では、生活保護基準を下回っている。現在日本において最低賃金制度と生活保護制度の関係は切断され、基軸となるべき賃金のナショナルミニマムが成立していない。賃金のナショナルミニマムの欠如という片肺逆立ちの関係の中で日本の(所得保障の)ナショナルミニマムは混迷している。

2)生活保護制度でも生計費原則が後退
 憲法25条に基づく生活保護基準は、60年代マーケットバスケット方式による最低生計費を根拠にし、朝日訴訟の闘争を通じて、一定の改善がすすめられてきた。その後基準算定方式は一般低所得世帯との比較、水準均衡方式に変更された。昨今において、老齢加算の削減・廃止など、今日の国民生活水準の低下を理由に保護基準の切り下げが行われている。更に日本の生活保護制度は、国際的にも異常な保護の「補足の原理」の濫用により、受給者を極端に狭めているという問題点を持っている。ここでも、憲法25条の具体化であるはずの最低生計費を基準にして保護費を決定する当たり前の原則が後退している。

3)最低生計費を所得保障のナショナルミニマムの基準に
 ここで言う最低生計費は、生命を維持するぎりぎりの絶対的最低生計費を意味するのでなく、憲法25条のうたう「健康で文化的な」人前で恥じない生活を補う最低生計費を意味する。更に言えば人間の発達を補うものでなければならない。この最低生計費はいかなるものかが今回の試算の結果である。
 最低生計費をまずもって現行の最低賃金の唯一の算定基準として要求し、また、全国一律最低賃金制度の確立を図ることが重要である。そして全国一律最低賃金を基軸に他分野の所得保障のナショナルミニマムの確立が図られるべきである。しかしまた、最低生計費に基づく全国一律最低賃金制度の制定のためには一定の時間が必要とされているもとで、所得保障のナショナルミニマムの確立のためには、生活保護基準の切り下げを許さず、生活保護制度の改善を要求し、それを当面の現実的運動の軸として、全国一律最低賃金制度確立をめざす2正面の運動が必要であろう。同時に賃金の前提となる雇用の安定を図る制度確立と失業対策の改善が必要である。
 つまり最低生計費に基づいて全国一律最低賃金制度確立をめざすとともに、当面生活保護基準を改善し、少なくてもその切り下げを許さず、生活保護基準を上回るよう現行最低賃金制度の改善を一歩一歩、求めていくことの運動が重要である。そして働く人の(底なしの)貧乏人(ワーキングプア)を作らないこと、働く意思と能力ある者には安定して働けるようにし、失業者への失業給付の改善をはかることなどの制度要求を求めてたたかわなければならない。

3.包括的ナショナルミニマムについて
 包括的なナショナルミニマムの確立は、諸外国でも未達成で21世紀の課題といわれている。 それは、1枚の青写真を完成させれば、それで終わりというものでない。ナショナルミニマムの水準は社会の発展と人間発達とともに発展するものである。
 ナショナルミニマムは資本主義の本質である利潤第一主義、とりわけ今進められている新自由主義とはあい対立する関係にあり、ナショナルミニマムの確立は、それとのせめぎ合いの中で進められる。ナショナルミニマムの確立の度合いはそれを必要とする階級と支配階級との力関係で決まるが、支配階級である資本家階級は、社会の安全装置という限りにおいて、ナショナルミニマムの幅を狭め、支配維持に利用さえしている。セイフティネット論が新自由主義の立場から唱えられていることには注意しなければならない。
 私たちが求めるナショナルミニマムは、弱肉強食の市場に人間を放り出し、傷つきずたずたになったものを受けるだけのセイフティネットではない。人間尊重のナショナルミニマムでなければならない。

4.なぜ今、ナショナルミニマムか
 ・・労働者・国民の状態と制度確立が求められる背景
  
1)進行する格差社会とワーキングプア …国民生活の悪化      
 @・生活保護受給者の急増(100万世帯突破全人口の1%超)と生活保護基準以下の収入しかない所帯8%超(20%以上と推定する学者もいる。先日のテレビの生活保護の特番では10%〜20%と)
 A・15〜34才非在学男性労働者… 250万円未満28.1%。200万円未満14.8%
  →→20%近くがワーキングプア。女性単身世帯では30%以上がワーキングプア。
 (生保基準(京都市)215万円(税社会保険料加算)、京都総評最低生計費試算2,225,112円
 B・国保未納所帯470万(資格証明書2000年9.7万世帯→04年30.6万世帯)
 C・就学援助所帯の急増(97年78万人→04年134万人)(生保基準の1.1〜1.5倍)

2) 生活と福祉のもっとも基礎となる雇用の流動化と破壊
 @・企業内に囲いこむ年功的終身雇用制の破壊とそのもとでの企業内福祉の後退
 A・非正規・不安定雇用の急増…1591万人(05.3)。若年層は48.2%。
   公務職場にも拡大
 B・現行最低賃金(京都時給682円。月額h8,D22換算で12万円)は生活保護基準以下であり、賃金所得だけでは「最低限度の文化的な生活」が維持できない事態が進行。

3) 新自由主義による連続する社会保障の改悪と公的責任の後退
 2002年国会… ●サラリ−マンの保険3割負担などの医療制度改悪
 2004年国会… ●保険料の自動引き上げなどの年金制度改悪
 2005年国会… ●ホテルコスト導入などの介護保険法改悪
  ●社会保障原理に反する「応益負担」(定率1割負担)導入の障害者自立支援法
  ●生活保護の高齢加算・母子加算の削減・廃止開始
  ●郵政民営化
 2006年国会… ●医療制度「改正」関連法案(審議中)
  改悪案の主な内容
 @高齢者を狙い撃ち(1割負担から2割負担。ホテルコスト導入。病院つぶしと病院追い出しなど)
 A保健証一枚でだれでも同じ水準の医療が受けられるという日本の優れた医療制度の根幹を崩す「混合診療」容認
  ●公的責任交代の行革関連5法案(20日衆議院通過)
   市場化テスト法案では、国保料の徴収、取立てクレジット会社が可能に。

5.ナショナルミニマム確立を諸分野の運動をつなぐ共通目標に
 京都社保協では憲法25条に基づく「ナショナルミニマムの確立」の目標は、社会運動諸分野の運動をつなぐ、共通の戦略的目標になるものと確信して活動を進めている。
 社会保障の分野は、広義的には社会保障の重要なテーマというべき雇用や賃金(最低賃金制度)を含め、年金、医療、介護、障害福祉、生活保護など多岐にわたっている。同じ分野であっても更に多くの種別・制度に分かれ、それぞれの団体の運動や要求もそれに沿って動いている。各団体においては当然自分たちの固有の運動が優先され、同じ社保協内にあっても、すべての団体間で本格的な共同を作りあげるには正直大きな努力が必要である。政府は今、新自由主義による社会保障全般の全面的改悪を「時間差と分断」という手法で攻撃をかけてきている。この分断攻撃を許さず、分野を超え、連帯と共同を拡大することこそが最大の反撃であり、われわれはそのように進まなければならない。
 大衆運動は、生起する問題と要求に従い個別具体的に進められる。
障害者自立支援法の「応益負担」に反対する昨年来の京都の運動は、障害種別ごとの「沢山の軸」が一つになり、外への大きな共同を広げ、また、法案が通った後も持続して運動が続いているという点で、大きな財産と教訓を残した。京都社保協はこの「応益負担」原則導入はナショナルミニマムを侵害するものと捕らえ、単なる支援でなく共同の立場で取り組んできた。
 昨年、京都では全国に先駆けて、松島松太郎さんを原告とする「生活保護・老齢加算の削減取り消し訴訟」を求める裁判(生存権裁判)」が提訴された。京都社保協は、この生存権裁判闘争を憲法25条の実現・ナショナルミニマム確立の運動の重要な梃子として位置づけ、朝日訴訟のような大きな運動に広げたいと考えている。また、昨年2回にわたって「人間らしく生きる権利 憲法25条を語り合うつどい」を開催し、低年金者、最低賃金生活者、住宅や国民健康保険の問題に関わる人、学生無年金障害者訴訟、外国人無年金者訴訟、原爆被爆者訴訟、中国残留孤児訴訟等の社会保障裁判の原告などを交えて、バラバラに取り組まれている諸分野の運動の交流を行った。憲法25条に基づく「ナショナルミニマムの確立」という共通の目標が諸分野をむすびつけている。

6.労働運動と社会保障闘争について
1)社会保障闘争を並列的な課題でなく一層重要な労働運動の戦略課題として
(社会保障闘争の意義と位置付け)
 今日、経済社会の「構造改革」があらゆる分野で押し進められ、生活を直撃して、雇用と国民生活の不安定化が進行している。リストラによる失業者の増大し3百数10万人と常態化している。。賃金破壊、雇用破壊による低賃金不安定労働者の急増し、非正規労働者1500万人時代に突入し、雇用者3人に1人が非正規労働者と言う事態になっている。そして年功賃金・終身雇用制など企業主義の崩壊が進行し、労働者の生活を維持する機能の比重は「企業的なもの」から「社会的なもの」に移ってきている。
 一方社会保障構造改革は、公的責任を後退させ、社会保障の営利化・市場化を進めている。そして応能主義から応益主義へと費用負担構造も転換し、国民負担の拡大をもたらしている。その流れの中で、2002年の3割負担導入などの医療制度改悪、2004年の年金制度改悪、2005年の介護保険や障害者自立支援法、また生活保護制度などの分野で社会保障の連続改悪が次々と実行された。さらに2006年の今国会では、高齢者を狙い撃ちにする医療制度改悪と言うだけでなく、「混合診療」容認のレールを引くなど、保健証一枚でだれでも同じ水準の医療が受けられるという日本の優れた医療制度の根幹を崩す重大な改悪法案が審議している。
 こうしたもと所得の再分配機能が、社会保障でも、税制でも後退し、所得格差が拡大している。社会保険の空洞化が進行し、「国民健康保険滞納所帯450万突破」「国民年金の未納・免除者の増大1000万人超」という深刻な事態になっている。。未納理由の調査結果によれば、「経済的困難」をあげるのが圧倒的多数である。ここにも貧困と所得格差の拡大の深刻さが現れている。
こうした情勢は社会保障の連続改悪に反対し、ここの社会保障の充実を求めるたたかいと共に、この国のナショナルミニマム(国家が国民に保障する最低限度の生活水準)確立をめざすたたかいが極めて重要であることをしめしている。
そして雇用形態の変化や格差の拡大など以上のような社会構造の変化が進む中にあっては、所得の再分配機能を拡大させる社会保障闘争を、労働運動そのものの一層重要な戦略課題として、位置付け直す必要がある。そして社会保障は憲法・平和の課題と共に全国民共同の直面する重要課題となっている。

2)賃金闘争と所得の再分配としての社会保障闘争の関係
 生産を現実に担い価値を生み出している労働者の所得保障を基軸として生活水準を向上させることは、ナショナルミニマムの確立を中心内容とする社会保障拡充と相互に深く関係している。
 第1次の所得分配としての賃金闘争は、企業内のたたかいだけでなく国民的なたたかいに発展させる必要性と根拠がある。第1次の所得分配としての賃金は労働者の所得保障のカナメであり、この改善向上は、当該労働者のためになるだけでなく、社会の担い手を強くし、地域経済への波及等社会的意義を持つ。公務員賃金は、一定規模の民間企業賃金水準と連動していて、それがまたひとつの標準賃金とされ、関連する多くの労働者の賃金水準に大きな影響を及ぼしている。今、意図的な「公務員攻撃」で、公務員の労働条件と賃金の切り下げが行われ、労働者全体の労働条件に悪影響を与えるものとなっている。「公務員敵視」の分断攻撃を見抜き、公務労働者の賃金闘争が民間労働者と同じく、あるいはそれ以上に社会的意義をもっていることを共通の理解に広げる必要がある。公務労働者の賃金水準以下の所は、それへの引き上げを目標に賃金改善闘争が必要と言える。その点で賃金・労働条件改善闘争でも、企業内だけでなく、地域や国民の共感をひろげてたたかう必要がある。
 「企業内だけでなく、地域や国民の共感をひろげてたたかう」とするならば、そのためには、また、企業内外の未組織労働者や非正規労働者などの要求を捉え、賃金底上げをはかる闘争が決定的に重要である。そしてて最低賃金やリビングウエッジなど法規制による賃金底上げを求める運動を労働者と国民共同の社会的運動として取り組まなければならない。
 このような第1次の所得分配としての賃金闘争によるだけでは、格差の溝と貧困の拡大を避けられないのが現実である。ここに社会保障の重要性がある。税と社会保障により第2次の所得分配(所得の再分配)を富める者から貧しきものへいかに行うか、階級社会における大きな対決点の一つがここにある。
 稼働する労働者の立場から見れば、第2次の所得分配(所得の再分配)闘争として位置付けられる社会保障闘争は、労働運動が賃金闘争と共に正面から取り組むべき課題であり、今日の情勢(非正規労働者の増大や企業主義の崩壊等)はその比重を一層大きくしていると断言できる。

3)全国一律最低賃金制度確立を基軸としてナショナルミニマム(国家が国民に保障する健康で文化的な最低限度の生活保障制度)の確立を
 「人たるに値する」最低限度の所得保障としての全国一律最低賃金制度確立は「稼動者にかかわるナショナルミニマム」といえるものである。今日、稼働者のナショナルミニマムとしての全国一律最低賃金制度が無いもとで、あるいは多くの労働者が低賃金と劣悪な労働条件のもとに置かれているもとで、非稼働者らすべての国民を対象とするこの国のナショナルミニマムを確立する上で障害になっている。そしてそれに代わる現行の生活保護制度は、重要な役割を果たしていると同時に、厳しい制約があることなど諸矛盾と諸問題に突き当たっている。
全国一律最低賃金制度を基軸としてこの国のナショナルミニマムを確立する必要がある。その点で、全国一律最低賃金制度確立は社会保障闘争と深く関連した重要課題であり、労働運動の重要課題と言うだけでなく国民的共同の運動として広げる必要がある。
 今回、実証的根拠を持って京都総評が打ち出した最低生計費試算結果は、全国一律最低賃金制度確立やそれを基軸としてこの国のナショナルミニマム確立、および現行の生活保護基準など諸制度の改善の重要な根拠を与えるものとして活用すべき大きな意義をもっている。

7.社会保障拡充と主に所得保障のナショナルミニマムに関わる
 基本的な要求課題(案) 
1)「人たるに値する」「健康で文化的な最低限度の生活を営むことができる」最低生計費を補う全国一律最低賃金制度確立の法制化を求めます。当面の緊急要求として、現行地域最低賃金が現行の生活保護基準を上回るよう求めます。
2)最低生計費と全国一律最低賃金を基軸に以下のこの国のナショナルミニマムの確立を求めます。
 @障害や加齢等により働けない者への所得保障のナショナルミニマムとして、無拠出の最低保障年金制度創設を求めます。
 A農漁民、商工業者等の最低生計費を補う所得保障制度を求めます。
  「自家労賃」を正当に評価し、最低生計費および全国一律最低賃金との連動をもとめます。
  また特に、安全な食と自然環境及び国土の保全に必要である、第一次産業の保全のため、その従事者への直接の所得保障と生産費を補う価格保障を適切に組み合わせた制度の確立を求めます。
 B「人たるに値する」最低限度の所得に対して課税しない課税最低限の引き上げを求めます。
  社会保障目的であれ、消費税の導入、増税に反対します。
 C最低生計費原則に基づき生活保護基準を改善し、必要な人が適用されやすいよう制度と運用の改善を求めます。高齢者加算の減額・廃止など生活保護基準の切り下げに反対します。
 D低所得者に対する住宅・教育・保育・医療・介護など、基本的な生活維持費用の(市場化でなく)社会化による低廉化、無償化を前進させ、基盤の整備と共に国民全体への波及を求めます。
 E憲法27条の勤労権を保障する諸制度の確立と改善を求めます。
  ・少なくても最高裁判例の解雇4条件を下回らない「解雇制限法」の制定を求めます。 
  ・失業給付や職業訓練、公的就労、雇用促進の施策の拡充、拡大を求めます


田阪 啓 たさかひろし(京都社保協事務局長)


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