京都地方自治ネットレポート20060413
2006年の京都府知事選挙をふりかえって
□はじめに
 京都府知事選挙の結果は、衣笠洋子候補「民主府政の会」が得票269,740票(得票率34.4%)を獲得、現職の山田啓二候補「活力京都の会」は得票514,893票(得票率65.6%)で、下馬評通りの現職2期目となる山田氏の勝利に終わった。元京都社会労働問題研究所所長の宮田栄次郎氏は、「投票率は低く43〜47%、山田候補53〜62万、衣笠候補30〜38万票」と予想していた。これまでの知事選挙および京都市長選挙、各政党の最近の得票動向などを考えると妥当な予想?なのかもしれない。しかし今回は宮田氏の予想も覆す低投票率(38.44%)となった。この原因は何なのか。かつて革新の牙城とまで言われた京都の政治が再び革新的に再生する可能性はあるのか、などを問題意識に今回の知事選挙を振り返ってみたい。

□低投票率について
 今回の知事選挙の投票率の低さはなにか。「今の政治に不信と批判があるからや」「いや投票に行ってもムダや、なにも変わらないと思ってはる」「いや無関心がすごーく広がっている。選挙の日も知らないんとちがう」などの声が今回の選挙後聞こえてきた。選挙と生活改善への期待感(多くの人の困難を改善する展望)とが大きく乖離しているのは事実である。期待のないところに行動(投票という)は生まれないのだろう。期待感のなさという点では、魅力のない府の行政と現職山田知事の存在が、投票率減少につながったことは疑いない。
 しかし、この視点で見るとアンチテーゼとしての衣笠候補にも、事態の打開への期待感は見出せなかったのではないか。山田知事に投票したという山科区男性は「選択肢がなかった。別に山田知事を応援したわけではない」(赤旗4/11)と言っているという。なぜ衣笠氏が現政治へのアンチテーゼ、不信と批判に対する受け皿にならなかったのかを分析することが、少なくとも「革新陣営」が前へ出るための糸口が見えるのではないか。
 争点(具体的な問題だけではない、ことが社会正義に関わることや民主主義に関わることも重要な争点となる)がハッキリした選挙は確かに投票率が上がる。
 1970年の京都府知事選挙は歴史に残る(投票率72.96%)選挙だった。この時期、5期20年の蜷川京都府政は、例えば通産省パンフに「内陸型工業団地」の写真に「長田野工業団地」(公害のない全国的に最大・唯一の内陸工業団地)を掲載し、自民党政府すら評価せぜるえない民主府政に成長していた。この時期はまた日本の高度成長が一区切りし、財界などが土建開発型の国土づくりをテコにあらたな経済市場を求めた時期でもあった。1972年6月田中角栄氏が「日本列島改造論」を打ち出すのである。こうした経済情勢を反映しこの選挙の最大の争点は、政府の方針にとっての対抗物と見なされていた京都府政(俗に革新府政と言われた)とリーダーとしての大きな存在である蜷川知事打倒なのか、革新府政擁護なのかという「保革の一騎打ち」というのが争点だった。
 また話は少しそれるが、沖縄がまだアメリカの施政権下で那覇市の市長に瀬長亀次郎という沖縄人民党の人が市長になった時、アメリカは、市に対する財政支援を中止した。これに対し市民が納税運動で、自らの市政を守ったという話がある。今日、これほど住民が期待と希望を託している自治体、または首長というリーダーがいるのだろうか。また、政府はこうした地方自治を育てようとしているのだろうか。
 今日の地方政治の低投票率は、憲法・地方自治の陳腐化・反動化を表していると言わざる得ないのである。


□マスコミに判断を奪われる、マスコミ扇動社会がすすんでいる
 低投票率問題でこんな話も聞こえてきた。テレビで知事選挙はほとんど報道がなかった。テレビでは、民主党のメール事件と党首辞任、新党首選びと小沢報道(このおかげで、小沢氏は首相にしたい人の3位に浮上したようだが??)ばかりが垂れ流されていた。ある喫茶店の方は、従来のお客さんの話題にも出なかった。水をむけても、「ヘェ〜」という反応くらいだったという。
 社会と自らのくらし、政治や行政への関心と参加を住民の中にどう育てるのかということは、今後の少子高齢化社会にとっても大きな課題であり、行政に関わる人々、官民の労働組合、市民運動、すべての政党の行動の中に位置付けられるべきだろう。この点で、日本のマスコミの変革についても住民的議論と住民的な関与を求めないと、スポンサーと国家に操られる支配の道具としての存在だけが、ますます強化されることになる。


□争点と運動という問題
 今回の選挙の論戦では、山田陣営は演説会での応援弁士達の話を総合すると、現知事は良くやっており「争点」はない、という論調で一貫している。衣笠陣営は、北部の医療・医師不足問題、乳幼児医療無料の拡大、住宅改修助成、30人学級の実現など具体的な内容に踏み込んでいたが、賛否を分ける争点にはならなかった。また、憲法問題(自民党の改憲試案、憲法改正投票法案提出がせまる中での)という国政の基本についての態度を衣笠陣営は「憲法改正反対」という意思表示と現知事の姿勢を問うたが、山田知事は論争をさけた形で知事選挙は終わった。
 したがって、従来通りというか「共産党対非共産」という奇妙な枠組みのなかでの論戦(「共産党に政権は渡せない」「蜷川府政は暗黒府政」など、よくもまあ28年間もおなじ宣伝文句で…(^^;)…)を山田陣営は行い、衣笠陣営とのズレを意識的に追求する選挙に終始した。自民党も民主党も、京都では共産党に対抗する勢力であって、与党として責任をもって政策を明らかにする力がすでに衰えているとしか言い様はない。京都府政に真の与党はないのである。今後、首長選挙のこうした構図での矛盾をもっと暴かないと京都における政治の堕落は止められない。
 また、今後の運動構築という点では今回選挙の票の出方の分析(批判的調査を政治学者や社会学者・経済学者の協力を得て行う必要)が必要である。同時に、お隣の滋賀県では、知事選挙を前に全県で「新幹線草津駅建設」の賛否を問う住民投票の直接請求運動が展開されたことは、争点を明らかにするという点で学ぶべきものがあると思う。


□選挙のやりやすさとやりにくさ
 山田陣営は官製の団体ルートの支援の呼びかけ、非共産政治勢力の各勢力への要請などを通じての選挙活動が行われた。今回は、今まで以上に街頭では見えない(ポスターやビラなどもほとんどなかった)選挙だった。衣笠陣営も「会」に参加する個々の労働組合、団体の構成員の減少・高齢化等々の組織力の低下が指摘されている。同時に、同じパターンの選挙戦が続いていることから、選挙に対する組織内でのとりくみの形骸化もかなり広がっている。「これまでの伝統や革新の歴史はすべて忘れて再出発する」くらいのことをやらんとどうにもならんという意見も結構聞くのである。こうした、選挙への期待や関心を遠ざける、硬直化した選挙パフォーマンスを打開するための本格的で民主的な議論を、様々な段階で開始することこそ時代をすすめるカギではないだろうか。
 また、労働団体の政党系列化は89年の労戦分裂以来さらに激しくなっているのではないかと思われ、職場での様々な政治潮流が組合に結集し、団結と階級的な運動を緊張感を持って追求したきた姿が変わりつつあるように思われる。
 具体的な選挙戦術は、公選法の規制(規制緩和の嵐の中で、なぜかこの部分だけ規制がますます強まっている)などが強まる中で、プラスター宣伝の一般化などあたらしい工夫が行われている。だれでも気軽に出来る行動を見いだすことは、選挙への参加を広げるためには欠かせない。最近、選挙運動員の中で、電話を忌避する声も聞くし、ビラ宣伝の効果の減少はだれもが言うようになっている。ラジオやテレビの有効活用などは検討課題ではないだろうか。

□資本と「住民のくらしと地域づくり」との対抗関係で考える
 京都府政研究会や京都市政研究会などで、これまでの関西財界の京都開発計画などとの対抗関係の中での政治の枠組みと選挙の特徴などが分析されてきた。もともと高度成長期をひとつの頂点に、日本の財界は国内産業の育成と対外競争力の強化(日本資本主義の発展にそって)という視点で、政府への政治的・政策的な関与を行ってきた。具体的には土建国家の建設と公共投資による内需拡大が大きな柱であった。こうした基本ベースのなかで、関西財界なども様々な開発を中心にした政策を自治体にも要求してきたのである。
 日本政府は財界の要求に応え、公共投資を軸とする国と地方財政の出動、産業基盤の整備と称する道路・橋・港湾・鉄道整備などの土建国家事業を推進してきた。しかも特徴は地域への財政投下(俗に言えば地域に金を落とす。これへの期待感の促進。)が行われ政治と結びつき、「地域の期待」を醸成して政権政党有利の基盤を支えてきたのである。このなかで「要求型」選挙(どういう金の使い方をするか、どういう金を地域落とすかということ)などと言われるような選挙戦も展開されてきた。
 こうした経済的な基盤は、1985年のプラザ合意を境に変化しはじめ、90年代半ばからはハッキリとグローバル経済という基盤に立った選挙に移り変わってきたと考えられるのである。
 なぜ、自治体選挙に期待感が薄れ投票率が低くなったのかといえば、経済的な問題で言えば、グローバル化と構造改革は地方の役割を低下させ、なかんずく地方への財政支出・資本の投下などが縮小するからである。つまり経済的な今後の期待感は当然薄れる地位になるのである。今回の知事選挙で、衣笠陣営は「格差社会」問題を正面から取り上げた。グローバル経済下での積極的な問題提起だった。しかし、具体的な政策課題や宣伝方法は従来の枠であった。また例えば戦術として格差社会の象徴になっている、アルバイト・パートなどの非正規労働者(この層が選挙に行かないのではとも言われているが…)へのアッタクなどの行動へは未挑戦だった。このような経済情勢の中での矛盾に政策・戦術上も切り込むにはどうするかという点の突破が必要である。
 また、一般的に「福祉の充実」などの政策だけでは選挙民の感性に届かないとも言われている。「勝ち組、負け組」社会は弱者への冷たさ(差別と無視)と個々人の分断を伴うのであるから、連帯と対話抜きに、単純な社会批判は受け入れない、という専門家の意見もある。こうした社会の中での変革のエネルギーは、小単位での様々なネットワーク形成への日常の努力が不可欠である。選挙はそうした基盤を意識して戦術が考えられる必要があるのではないか。
 全国的な自治体再編と、グローバル経済化における地域経済と地方の政治方向という点での研究活動や探求が遅れているように思う。こうした方向を今後の検討テーマとして、今回のレポートを閉じたい。



日向誠ひゅうがまこと(自治体問題研究家)

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