八幡山城
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山頂の石垣(67年11月)

市内に入り、城下町の狭く曲がりくねった道を、八幡山城址へ。案内板を頼りに、右折左折しているうちに、ロープウエーの下の駅に着いた。上で資料館を見る。とりわけ珍しい資料も無かったが、その中の一つに、鉄砲が武器として導入されたため、小さくなってしまった矢入れと矢を見た。形式化してしまったと言うそれを見たとき、なんか人間の哀れな保守性を見た思いであった。いらないものなら、捨ててしまえばいいのに。資料館を出て、村雲御所の方に、いうなれば天守閣へと向かう。山城と言う特色を、否応無く見せている。下は険しい崖、そしてこの頂上付近の台地には、その高低を利用して、石垣を作り、巧みに天守閣、二の丸、三の丸が形作られている。ちょうど大きくも無く小さくも無く、手ごろな大きさである。関白秀次が城にしては、小さすぎる感も有るが、それでも、攻めるに難しい城であったということは、想像がつく。石垣の一つ一つの石は、後の時代に、修復したものなのであろう。それにしてもよく、こんな山城を作ったものである。石材や材木を、ここまで上げるのには、大変な労力であったろうに。(67年11月)