七尾城
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本丸石垣(71年11月)

七尾市内へ。国道159号線に出てしばらく行くと「七尾城こちら」の、案内板が見えてくる。その案内板に沿い左手に曲がると、七尾城資料館が、鉄筋三階建てで建っている。一階二階と展示品が並んでいる。畠山家守本尊がある「この仏像は、畠山家の本尊故に、ここに血を流した人を弔うために、拝観者は線香を手向けてください」と。重くたれ込めた雲のせいか、山際に入ったせいなのか、もう夕方のようにぼんやりと暗く、黒ずんでいる。時計を見ると午後三時二十五分、まだ夕方までにはだいぶ時間がある。山頂に向かって歩き出す。畠山一族が、一歩一歩喜怒哀楽をこめて登ったその大手道をたどる。石の柱が立っている。おそらくあれが、本丸跡なのであろうか。遠く高い所に来た感じである。道の左手に、低い石垣の跡があり、かっての屋敷跡、調度丸か。案内板の所にある井戸、右手から登っている道、これが大手なのだろうか。そこから更に急な石段を登り、遊佐屋敷跡へ。この辺りが城の運命を左右した感じがする。重臣たちの相次ぐ反逆と、畠山当主の座を巡る、毒殺に次ぐ毒殺。畠山氏の末路の陰湿なものが、杉木立の暗いじっとりとした湿り気のうえに重なり、ふいっとその辺の木陰から、血糊をつけた武者が、湧き出てくるのでは、という錯覚におちる。左手に道をとると本丸、右の方が二の丸、三の丸へと続く。とりあえず本丸の方へ。本丸に出ると、七尾湾からその町並みが、一望に望むことが出来る。暗い杉木立を通り抜けてきた目には、その景色が何かしら、眩しい。明るい。ここに立ち、初めてこの城の持つ意義が、わかるような気がする。畠山歴代の当主はここに立ち、初めて何かしら、一抹の安堵を感じたのでは無いだろうか。その本丸の角に、石の柱に刻まれた、七尾城趾という文字だけが、気高く、かっての畠山氏を彷彿させる。その奥の、少し小高い所に神社があり、後はベンチを2、3個残すのみで、何もない。ただただススキの白い穂が、かすかな風に揺れるのみ。本丸を降りて、二の丸の方へ。途中、大きな石が一つ。何故この山頂に、こんな大きな石があるのだろうか。二の丸も、少ない光りの中に、寂しげに秋を演出していた。(71年11月)

七尾城址(現地説明板より)

応永13年(1406)畠山満則が天嶮の利を占めて築城した戦国時代唯一の山岳城であり天正5年(1577)落城まで171年間能登の行政文化を支えた勇将上杉謙信が本丸台から詠じた越山保得能州景勝風光に富み天にそそり立つ樹木の年齢と苔むす石垣に戦国の興亡の歴史を物語る。(七尾市観光協会)