上田城
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    南北櫓(68年9月)                       東虎口櫓門と北櫓(2011年8月K氏撮影)

上田駅に着く2、3分前「左側に見えるのが、上田城跡でございます」という車内アナンスをしたので見ると、なるほど「上田城跡」と、白い文字があり、その高台には櫓も見える。駅を下りて一番近い道順をたどって、城跡虎の口に着いた。夕暮れ近く、西の山々の影に太陽も無くなりかけ、その赤い残光の中に、二つの櫓が浮かびあがり、黒々としてどっしりと落ち着きのある形。二層の左右の櫓は、同じような形、大きさである。堀に写った姿、木間越しの姿など、短い残照を惜しむ様に。左右の櫓の建っている場所から神社を通り、裏手の方へ。そこにも一つ、二層の同じような櫓が建っていた。こちらのは一つ寂しそうに、夕焼けに顔を染めていた。堀の周りを又裏口の方に、ゆっくりと歩いてみる。小高い丘になっている本丸跡は、真田幸村が徳川秀忠の大軍を前に、おおいに戦った事もある。その城も破却の運命にあい、寛永三年に仙石忠政が再築。その時の櫓なのか、それとも後の時代のものなのであろうか。三基のうち二基の櫓は、上田の遊郭となっていたのを、買い戻したもの。昌幸、幸村、信之がありし日の面影を求めようとすれば、どこに求めたらいいのであろうか。上田の町にある空気を、土を、水を、それらにしか求められないのであろうか。信州上田城ありし日、そこは猿飛佐助などの忍者も活躍した事なのであろうか。(68年9月)