岐阜城
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天守閣(67年7月)

大阪発9時50分、長野行き「第一ちくま」に乗る。乗客はいたって少ない。のんびりと足を伸ばして、岐阜に向かう。こんなのんびりした列車も、久しぶりに乗る。12時9分に、岐阜駅に着く。城下町らしく曲がりくねった道を、小高い丘の方に向かって、タクシーは行く。やがて公園の前に着く。タクシーの運転手「ここを真っ直ぐ行くと、ロープウエーがありますので、それに乗ってください。そうすると、城に行きます」ロープウエーの駅をゴンドラは、ガタンガタンという音と共に登って行った。金華山は、前に稲葉山と呼ばれていて、その山上に斎藤道三が城を築き、のち信長が奪い去り、その後岐阜城となり、天下の名城として名を知られた。山全体は原生林が生い茂り、その山麓一帯は、公園となっている。ロープウエーを登るにつれ、眼下にはその原生林が、その昔、武士を悩ませたことであろうと思われ、その目を更に前の方に向けると、長良川が小雨の中で、雨霧の中に消え入るように流れていた。山上駅に着く。雨もやんでいる。駅より天守閣まで、かなり急な石段が続いている。道の両側は、木々の枝が張り合って、天守閣の姿を見る事が出来ない。雨に濡れ、足元の石がすべる。三の門跡、馬返しの跡、こんな所まで馬で来たのであろうかと感心する。また雨が降ってきた。雷も直ぐそばで鳴っている。大きな雨玉が傘を叩く。視界が見る見るうちに小さくなってくる。前の道しか目に入らない。何時とは無しに、道だけを見て歩いていた。突然目の前に、雨に霞んだ天守閣が、おおいかぶさってきた。思わず足を止め、その重圧より逃れようと、後に戻った。薄いピンクのその天守閣は、コンクリートの物とはいえ、戦国の世を思い出させた。ふっと気がつくと、又ひとりでに、天守の入り口に足は向いていた。外に比べ、中は展示館、何の魅力も無い。急ぎ足でそれらの展示品を見て、最上階へ。そこからの眺めも雨にさえぎられて、何も見えない。時間が気になるので、又大急ぎで降り口へ。外に出る。何時のまに雨がやんだのであろう。はるか遠方まで見渡せる。長良川あたりに霞みがかかっていて、高い山から下界を見ているような錯覚を覚える。ふと、満足感が横切る。少ない時間を割き、雨の中登った苦労が、この一時で、何の言葉も消えてしまった。(67年7月)