尼崎城
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城内小学校南側にある石碑(04年3月)        城址公園の模擬石垣と塀(04年3月)

その他の写真

阪神尼崎駅で降り、南東に行くと庄下川に突き当たる。これがかつての外堀の跡である。庄下川左岸に尼崎城址公園があり、隣が中央図書館。図書館を含めて模擬石垣と白塀が建てられ、尼崎城の一端を想像させてくれる。図書館の隣には桜井神社がある。境内には天守閣棟瓦が鎮座している。三の丸址の石碑もある。城内小中学校の敷地が本丸跡である。変貌が著しく、昔日の地形を偲ぶのは無理である。城址公園に復元された石垣、阪神電鉄のレンガ造りの建物、線路の北にそびえる高層建築物、まさに中世、近世、現代の時代の移り変わりを象徴している。現代の高層天守閣が、尼崎城の変貌を見つめている。

 

尼 崎 城 跡 (四角堀・伏見門跡) (小学校南側石碑横説明板より)

 尼崎城は、現在の北城内・南城内の約300M四方の地域に築造され、三重の堀を持ち、現在の庄下川も西側の外堀として利用されていました。沖から見ると城全体が海に浮かんでいるかのように見え、美しく水に写る姿は「琴浦城」の名称で親しまれていました。本丸(現在の城内中学校付近)には高さ約18Mの四層の天守閣が築かれていました。  この尼崎城は、元和4年(1618)から数年かけて、譜代大名の戸田氏鉄によって築城されたものです。  現在地あたりは二の丸の前の内堀と中堀を結ぶ横堀や「四角堀」と呼ばれる内堀と外堀とを結ぶ桜堀のあったところで、この付近に「伏見門」がありました。戦国時代までの中国街道が旧町場を抜けて通っていました。           尼崎市教育委員会

 

城 内 小 学 校 南 側 石 碑

右側       昭和大典記念

正面      尼  崎  城  址

左側       明治二十一年 以城岩石材築尼崎港

 

桜 井 神 社 (境内説明板より)

御祭神   桜井信定公他歴代城主

当神社は、廃城後、藩主桜井家の治績を偲び永く遺徳を讃えんものと、創建団体、信愛社を結び、旧尼崎町、別所を中心に、旧藩地間の有志を募り、明治十五年、西二の丸跡に建立したものを、昭和三十六年、現在地、西三の丸跡へ遷宮した。  本社には、郷土開拓の祖ともいうべき歴代の尼崎城主の御霊をおまつりしている。又、十二代城主忠告公(亀文と号す)の歌碑や、天守閣の棟瓦、巽櫓のシャチ瓦、尼崎市々章の原形の槍の鞘等、その創建の由来にかゝわる諸種の文化財が保存されている。  末社に、尼崎瓢箪稲荷社等が有る。

 

尼 崎 城 天 守 の 棟 瓦 (神社境内説明板より)

古い奴とお笑いでしょうが「古城」の歌中に あーあー仰げば侘し天守閣 と有ります様に私は元和九年(一六二三)築城されてより明治六年(一八七五)まで、天守の上より、又、地上に降り立ってからも、尼崎の人々の生活がうまく行きます様に祈り続けて来ました。長い間生き続けてきましたので表面がくたびれておりますが、中味はまだまだしっかりしております。どうぞ末永く可愛がって下さい。

 

桜 井 神 社 裏 の 鳥 居 脇 の 石 碑

正面   尼崎市発祥之地  尼 崎 城 址

左手   尼崎市城内史蹟  櫻 井 神 社

右手   旧三ノ丸

裏面   昭和五十年十一月吉祥建之