上山城
[ ホーム ] [ 上へ ]

 

二の丸跡に建つ模擬天守閣(08年11月)

その他の写真(ここをクリック)

JR奥羽本線「かみのやま温泉駅」でおりると、駅正面、小高い所に建つ天守閣が見える。もちろん当時のものではない。再建模擬天守閣である。ブラブラと町を散策しながら坂道を登ると、二の丸に再建された天守閣に出る。よくぞこんな物を作ったものと感心する。山形県唯一の再建天守閣である。そこに上山市民の熱意が感じ取れる。本丸には現在月岡神社が建つ。この辺一帯は月岡公園となり、よく保存されている。温泉旅館街を抜けて行くと武家屋敷群に出る。数軒が公開されており、庭を見学できる。母屋は藁葺き曲屋で、よく似た中クラスの武家屋敷のようだ。でもこれだけよく残った物である。この武家屋敷を見るにつけ、天守閣の存在が気になるのは私だけか。城主は代々譜代大名が占めており、奥州の押さえとしての藩であったのか。

上山城跡(現地説明板より)

上山指定文化財(昭和三十二年四月二十日指定)

天文四年(1535)伊達氏の手から高楯城を奪還した武衛義忠が、ここ天神森に新たに築城して上山城(別名月岡城)と称したと伝えられる。戦国時代の上山は最上氏の被領下にあったと見られ、置賜地方を領する伊達氏や、下っては上杉氏との領界にある境目の城として防衛の最前線の基地となっていた。  元和八年(1622)最上氏改易後は松平(能見)、土岐、金森、松平(藤井)各氏の居城となった。この内最も城郭・城下が整備されたのが土岐時代で、内外に二重の堀を巡らし本丸には居館、三階櫓、角櫓が聳え、その下段に二の丸北の丸を備え東には枡形を伴った大手門を構えたその壮麗な姿が堀の水面に映えたと言う。しかし元禄五年(1692)土岐氏の転封と同時に幕命により破却され、以後は入部した領主による部分的修復に止まり旧に復することなく幕末を迎えた。今の上山城は昭和五十七年二の丸に再建されたものである。  上山市教育委員会

月岡神社縁起(社前掲額より)

祭神 徳川勘解由左衛門尉利長公・従四位松平伊豆守信一公

祭神利長公ハ東照公五代ノ祖長親公ノ季子ニシテ後チ松平氏ヲ冒ス則チ松平家ノ祖先ナリ  祭神信一公ハ利長公ノ御子ニシテ幼名ヲ勘四郎ト稱シ東照公ニ従ヒ大小戰役ノ功大ニ顕ハレ其驍名一時ニ鳴ル世ニ稱シテ鬼勘四郎ト云ワレタリ則チ松平家興隆ノ祖ナリ  當社ハ明治維新ノ後奮藩士族及旧領内庶民ノ協力ニ依リ両公ノ英霊ヲ奉祀セントシ明治十年六月社殿ヲ創建シ同年十月許可ヲ得テ月岡神社ト稱ス同十五年五月村社ニ列セラル同四十年八月左記祭神ヲ合祀シ同四十三年五月幣饌供進神社ニ指定セラル