二見城
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二見城跡にある模型(08年9月)

JR和歌山線の大和二見駅で降りて、南へ1キロほど。吉野川が大きく蛇行して、丹生川が合流する辺りが城址。五條市二見5の妙住寺一帯が城址。堀跡や土塁の残骸が残ると言うが、わからなかった。ただ、寺の脇の畑に木製のミニ天守閣?(写真)があった。松倉重政が慶長13年(1608)に1万石で入部、二見氏の旧城址を拡張整備し城下町を開き、2008年で400年。それを記念した行事にでも使われた物なのだろう。元和元年(1615)に九州の島原へ4.3万石に加増転封。ここ五條では7年の短い年月だったが、名君の評価が高い。寛永7年(1630)に57歳で病死。養子勝家の時、島原の乱がおこり、斬罪断絶。松倉が島原に移った後、幕府は五條に代官所を置く。それも城から離れた所に。城の命は短い物だったと想像できる。