福山城
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伏見桃山城から移設した伏見櫓(05年10月)

その他の写真

新幹線福山駅に降りるとびっくりする。目の前に伏見櫓、筋鉄門、復元湯殿、復元月見櫓と土塀が現れる。ここから見るのが最高である。伏見城から移設したという伏見櫓が良い。落ち着いた感じが長い年月を感じさせる。復元天守もあるが、あまり目立たない存在である。城内も公園化が進み、市民の憩いの場と言った感じ。復元鏡櫓が文書館になっているが、開館日が少ないのが難点。登城日も天守閣は開いているのに、文書館は閉まっていた。

 

福山市重要文化財  福山城鐘櫓  昭和54年10月26日指定(現地説明板より)

 築城当時より城下や近隣諸村に時の鐘をつげた遺構で江戸期には鐘と共に緊急時武士を招集する太鼓も備えていた。当初は柿ぶきか桧皮ぶきであったが明治以後荒廃が激しくたびたびの補修のため原形をとどめない状況であった。昭和54年銅板ぶきとし旧規に復したものである。 城地内に鐘櫓が所在するのは全国的に例がなく貴重な文化財である。 福山市教育委員会

福山市重要文化財 鐘櫓

ソーラーシステム全自動鐘つき装置

太陽電池で鐘が自動的に、次の時間に鳴ります。午前6時・正午・午後6時・夜10時

1985、創立18周年記念 2000、創立33周年記念(全面改修)

贈 福山中央ライオンズクラブ

 

月見櫓(現地説明石碑より)

 月見櫓はもと京都、伏見城内にあったものを移築したものといわれ、本丸の東南隅に位置し、望楼の役割を成していた。 明治の初め頃とりこわされたが、昭和四十一年(一九六六)に天守閣とともに外観復原した。

湯殿(現地説明石碑より)

 京都、伏見城内にあった御殿とともに移築した建物で、国宝に指定されていたが、昭和二十年(一九四五)の戦災により焼失した。 昭和四十一年(一九六六)に内外ともに復原したものである。

鏡櫓(現地説明板より)

福山城本丸東側に位置した2層2階の櫓。元和5年(1619)水野勝成が10万石の領主として福山城を築いた時に建てられ他物です。明治6年廃城の際に取り壊されましたが、市制50周年記念事業のひとつとして昭和48年外観復原されました。

 

福山城(福山城博物館パンフより)

 元和5年(1619)徳川譜代の臣、水野勝成が備後10万石の領主となり、ここ福山に城を築いてから福山の城下町としての歴史は始まりました。その後、水野氏5代、代わって松平氏1代、阿部氏10代と廃藩置県にいたるまで、福山城が藩治の中心となったのです。明治6年廃城となり、天守閣、伏見櫓、筋鉄御門、御湯殿を除いて、ほとんど取り壊されました。しかも、昭和20年の戦災により、天守閣と御湯殿を焼失しましたが、昭和41年秋に市制50周年記念事業として、天守閣と御湯殿、月見櫓が復原されました。幸い焼失を免れた伏見櫓、筋鉄御門は昔日の姿を止め国の重要文化財に指定され、城地は国の史跡として保存されています。福山城は近世築城の最後のものとしてその完成された築城術の粋を誇るもので、全国城郭中屈指の名城としてたたえられていました。