御土居
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北野天満宮境内西側に残る御土居

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御土居は京都市内に数ヶ所現存する。ここ北野天満宮、境内西側に残る土居もその一つ。石垣で補強されているが、もともと石垣は無かったものだろう。時間が早かったせいか、上部への立ち入りは出来なかった。秀吉は防御のためにつくったとは思えない。都を囲んでも直ぐに破られるのは目に見えている。洛中と洛外を分けたい別の目的があったのではないだろうか。京都の経済を立て直すための公共事業的なものを、目的にしたのでは。

史跡 御土居

 御土居とは豊臣秀吉が、長い戦乱で荒れ果てた京の都市改造の一環として外敵の来襲に備える防塁と、鴨川の氾濫から市街を守る堤防として天正19年(1591年)に築いた土塁のことです。 そのほとんどが江戸時代に取り壊され、現存するのは北野天満宮の境内ほか数箇所となっており、昭和40年10月27日に都市計画の重要な遺構として「史跡」の指定を受けています。(北野天満宮天満宮の説明板より)