本楯城
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本楯城残存土塁(10年3月)

その他の写真

国道112号線、寒河江バイパスの脇、寒河江市本楯1丁目が城址。バイパスの両側には車社会の全国共通店が並び賑やかだが、一歩道をそれると、昔ながらの懐かしい集落が広がる。本楯地区公民館から西側一帯が城址で探すこと少し。近くにいた農家の主婦に確認する。「ホンダテ城址はどの辺ですか」の問いに「ええ、モトダテ」と返される。おかげで土塁も石碑も確認出来た。土地の持ち主が立てた石碑もあり、土塁上にはリンゴの木が数本。寒河江バイパスがもう少しずれていたら、消滅の運命に。ここは地区の人々が大切に守ってきたことが想像できる。とっくに消える運命の土塁を守ったのも土地の人々、頭が下がる思い。

本楯城址の石碑文面

文治五年鎌倉幕府政所別当大江広元が功によって源頼朝から寒河江荘が与えられた 広元は妻の父多田仁綱を目代として遣し荘内を治めさせた 仁綱が入部して居館を構えた場所がこの本楯である 東西百拾間南北百間濠巾拾壱間 単濠単郭式の館城であった  昭和五十八年十一月 寒河江市文化財保護委員会