松山城
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紫竹門と小天守閣(72年6月)            紫竹門と天守群(05年5月撮影O氏)

市の中心に鎮座する小高い山上に、松山城の小さな天守閣が見える。この城は規模も大きい。三の丸は官庁街になり、市民グランドになりして利用されており、残りの二の丸の一部と本丸だけが、昔日の姿をわずかに残しているのみである。昔の表道がある三の丸から入ろうとしたがわからず、ぐるりと大きく回って裏手に出て、ケーブルとリフトのかかる方から登る。更に少し行くと道に出て、ゆるい石段となり、最初の櫓の石垣に出る。右にぐるっと大きく回ると、いよいよ本丸への門へと続く。この辺の曲がりくねった作りは、まさに見事、さすがは本丸の入口にふさわしい。ふと前方に目をやると、天守閣が石垣の所に、綺麗な顔を覗かせている。本丸は、案外に広々とした感じである。どうだろう、この人の多さは。小天守が放火で焼けて、ぽつんと大天守だけが立っていたと言うことであったが、今目の前にある天守は、大小天守、渡り櫓と、一連の連立天守群が見事に、どっしりと石垣の上にあり、人々を見下ろしている。入口の門から内部へ。門と渡り櫓、石垣の見事な組み合わせがあり、更に進むと、ちょっとした広場に出る。ここが最終的な本丸なのだろうか。大天守閣の入口から、天守閣へ。閣の内部は、何処も似たようなものである。急な階段、太い柱、暗い室内、落ち着いた感じ。この暗い室内に、自分を溶け込ませていく。(72年6月)

重要文化財 紫竹門

城郭の大手と搦手の仕切りをなし、この門の北側に紫竹が植えられていたのでこの名がある。天明四年(1784)年雷火のため天守閣とともに焼失し、嘉永期の再建と見られる。昭和十年国宝に指定されたが、同二十五年法の改正により重要文化財となった。同二十六年・四十六年・平成四年・五年に修理が行われた。(現地説明板より)