丸亀城
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天守閣(70年11月)

11月13日の金曜日、キリスト教的には良い気持ちのする日ではない。市内に入ると前方の小高い丘の上、丸亀城の天守閣が、木々の緑色の上に見せてくれた。慶長二年から生駒親正が、五年の時をかけて築いたが、元和元年の「一国一城令」により、はかなくも消えたのである。寛永十七年に山崎家治が五万三千石で入封し、現存する天守閣及び石垣などを築いたのであったが、三代で断絶し、その後、万治元年京極高和の居城となり、明治の破却令まで続くのである。城を目標に車を走らせると、案外簡単に搦手門に着いた。搦手口に車を捨てると、本丸に続く長い石段を、一歩一歩登って行った。石垣の一つ一つには、戦国の荒い息遣いが、感じられる。小高い丘を下から順々に石垣で巻いていったもので、一番高い所に本丸があり、その一つの隅に、天守閣が秋の空の下で、固く入り口の扉を閉ざしていた。天守閣も一つそこに建つ時、何とも侘びしいものである。特にこの天守閣のように、天守閣らしいものは。遠い日にそれと並んでいたであろう他の櫓や門や塀が、頭の中に浮かんでは消えていく。大手門の方へ、石段を下りて行く。なだらかな搦手とは違い、急であり又広い道である。それが鉤型に曲がっている門跡を過ぎる。見事な石垣がきっと睨み付けるようにして、前方に立ちふさがる。前方下に、大きな大手門が見えた。典型的な枡形の配置になっており、堀を渡る石の道があり、冠木門に至る。そこを90度曲がると、堂々とした櫓があり、その四辺形の前面と左面が石垣であり、右手に櫓門がある。そこの櫓門を通ると、又ここに四辺形の場があり、右手と前方に高い石垣があり、二重に敵を防ぐように出来ている。そして左手から見返り坂のゆるい坂道を天守閣へと登れるようになっているのだが、私達はその坂を下りてきたことになる。見返り坂を大手門に行かずに真っ直ぐ進むと御殿表門、長屋の方に行く。あまりにもきれいなためにこの御殿表門は復興の物かと見間違うほどである。大手門から右に取るとこの表門、左にとって動物園を通って搦手門の方に帰る。家族連れが、動物と秋の短い日を楽しんでいる。本丸の石垣の美しいのは、この大手門から望むのが、一番と素晴らしい。それにしてもこうまで、堀、石垣がきれいに残っているのも、珍しい例なのではないだろうか。(70年11月)