備中松山城
[ ホーム ] [ 上へ ]

 

天守閣(68年6月)

デーゼル列車に乗って、備中高梁へと向かう。この線は高梁川に沿っているので、その谷の岩、山肌が目に飛び込んできて退屈しない。この線路と高梁川の間に国道がある。30分ほど走ると、高梁駅に着く。駅からタクシー乗り狭い曲がりくねった道を行くと、古い土塀や家が目に入ってくる。さすが5万石の城下町らしいたたずまいと作りである。町をぬけて棚田の間を曲がりくねりながら、山の斜面を登り始めた。なんとも狭い道である。10分か15分くらい進んだろうか、車道の終点に来た。歩いて、急な山道を登って行くと、大手門跡の石垣が見えてきた。昔はすばらしかったであろうにと想像させるのに、充分なるみごとな門構えである。右手に断崖があり、その上に石垣を積んで土塀が白い表面を、緑の木々の間に美しく見せている。門の前面も石垣で、コの字型になっている。その門の左手に、国宝の土塀が5メートルくらい残されており、なんか場違いのようにぽつんとしてあった。この大手門から本丸を眺めるのは、すばらしい圧巻である。築城者はよくここを、大手門としたものである。攻めてくる敵は、ここまで来て、この構えを見た時、アッと息を飲んで、気を削がれるのではないだろうか。もちろん、規模が小さいせいかもしれない。故にこんなことが出来たのかもしれないが。おもむろにそこを通り、三の丸に出る。小さい小さい。コンパクトな団地サイズの城の、三の丸のようである。でも親切に何々櫓の跡とかが、書いてあるのがなによりもよい。門跡を通り、二の丸に出る。三の丸ぐらいの広さ。正面に目を向けると、二層のこぢんまりとした天守閣がある。緑の木々の中に、何百年の長い年月をじっとたたずみ、人々の戦いの歴史を見てきた、老人のようであった。屋根瓦の黒と腰板の黒が、白い壁に映えて美しい。特に出窓の様になっている、その窓にはめ込まれた格子が、校倉のように重なり合っている。ぐるりとその周りを回り、二重櫓の方に行く。なんか、こっちの櫓の方がぴったりくる。何も飾りの無い。無駄な物を省いて建てた櫓は、矢間がきれいに並んでいる。この櫓のもっとも美しい面が、谷の方を向いているために、そっちからの観賞が出来ないのが残念である。天守閣より、約百年古いらしい。天守閣の中へ入る。入口は付け櫓になっていた。そこに石があり、戦いの時の落し石なのであろうか。そこから階段を上り、天守一階に入る。45坪あるいうが、とてもそんなにあろうとは思われない。一画の方に、城主の間というものが一段高く作られてあった。いざ篭城の時、城主が座するところ。二階は古瓦などが展示してある。二重櫓の方に行く。中は本当に戦いのために便利な様に作られており、こんな狭い所に篭城したら、食べ物などはどうなるのだろうと、不思議に思わせる。一階に、「大石良雄腰掛けの木」という古い朽ちたものがあった。(68年6月)