平成16年度・福王子神社秋季大祭

「おいで」 (10月10日)
おいでとは、お祭の準備・飾りつけの日です
蔵から御神輿を出して、拝殿にて飾りつけです
一週間後が、本番の大祭です
  


晒しを外して、綺麗に丁寧に乾拭きしてから装飾品を飾り付けていく
  







ここからは、御室の鉾宿の飾り付けです
今年度の鉾宿は、内藤様宅です
自宅と、三軒となりです
  




海の幸・山の幸をお飾りして
村田宮司様をお迎えして、神事の始りです

神宿る鉾宿って感じですね〜!

大祭前日の夜、鉾宿前にて 奉納・御室太鼓!!!




平成16年10月17日 大祭当日
写真には写ってませんが、今年は70人の勇士が集まった!
六ヶ村の中で、ダントツの数だ!!!
流石、地元って感じです
  鉾宿7時集合し、神社へ・・・  

拝殿より御神輿を出して、台棒の取り付け


新しく作った、各村の旗!


さあ〜いよいよ京都福王子神社を出発(AM9:00)
太鼓連が、盛り上げてくれてます!


各、休憩所の接待

 私の家族

御室村の接待所



いよいよ私の地元、世界遺産の
御室仁和寺・二王門の中へ・・・いざ!!!



この石段で事故が無いようにと、心配!

   
福王子神社は、第五八代光孝天皇の皇后班子女王を祭神として奉祀している。
御室仁和寺の守護神としてその歴史は大変に古く昔は福王神とか福王子宮とも呼ばれていた

今から1100年の昔、光孝天皇が今の御室大内山の麓に、国家の安泰と仏法の興隆を願っ
て伽藍の建立に着手され、その完成を見ないうちにお亡くなりになったが、第五九代宇多天皇
が先帝のご遺志を継がれ、母君の班子女王とともに仁和寺をご造営になられたのである。

班子女王は、非常にお気軽に自ら散策やお買物にもお出かけになられ、庶民に親しまれた方
であったことが記録に残されている。

昌泰三年(900年)班子女王がお亡くなりになり、頭陀寺に葬られたが、その陵墓がこの辺で
あったところから、この地に班子女王を奉祀する福王子神社が造営されたと伝えられている

その後、平安時代から鎌倉時代初期にかけて、とくに歴代の仁和寺法親王から厚い御崇敬を
受け仁和寺の鎮守神として奉られてきた

当時の社殿は、応仁ニ年(1468年)の都の大部分が焼き尽くされたといわれる応仁の乱によ
り、御室仁和寺の全ての堂塔伽藍とともに焼失してしまった

現在の社殿は、寛永ニ一年(1644年)徳川三代将軍家光公の寄進により、仁和寺の宮、覚
深法親王が五重塔、仁王門等の堂塔伽藍の再建整備と同時に造営されたものである

その後も仁和寺とのつながりはそのまま続いており、毎年の10月に執行される秋の大祭の御
神輿巡行の神事の際に、仁和寺に参内し奉幣を受ける儀式が、
今も往時のままに行なわれている。 

また、福王子神社は、仁和寺の守護神であるとともに、庶民に親しまれた班子女王の御遺徳
を偲び、地元の御室村、福王子村、鳴滝村はもとより、班子女王の父君のあたられる桓武天
皇の一品大政大臣仲野親王が住まわれていた中野村、常盤村、山越村を含む旧六ケ村(西
は広澤池、南はJR山陰線、東は嵐電妙心寺駅附近迄)の地域の産土の大神として、広く氏子
から尊敬崇拝され、今日に至っているのである。

以上のように、福王子神社は、仁和寺との古いつながりを持ち、皇室と深い関係にあった格式
のある由緒深い神社であり、御紋には皇室の十六紋菊が使われている。 

[文責 宮司:村田健史氏]

踊ってます
二王門を潜って、次は勅使門へ・・・
踊ってます、差し上げてます


シ〜ンと、厳かに・・・

これぞ、親子のご対面なのです!
詳細は、京都福王子神社へ問い合わせて下さい
近日、説明文UPさせて戴きます
絵になるね〜〜!!!
最高の祭じゃ〜〜〜!!!
大祭一番の「祭男」と私は思ってます!
宮司さんは、さぞハッピを着て、御神輿をかきたいでしょうね〜〜!

やっと、下りてきました
今年は、獅子も頑張ってた!

  
神社に帰ってから、散々踊りました!!!



も〜皆、くたくたになってます


ほんと天気も良く、最高でした!!!


この笑顔が、大成功を物語ってます!

鉾宿で労をねぎらって、乾杯!

御室村若中会 万歳!!!
お疲れ様でした、また来年宜しく!!!
私、(一応、若中頭です!)



祭が終われば、後片付け(大祭の次の日、月曜日)


  

  
飾り物を綺麗に拭いて、ケースに終い込む
  


そして、再び蔵へ・・・



鉾宿も同様に、片付けです





労をねぎらって、御室村の後宴です
これで、平成16年度 福王子神社秋季大祭の終了です


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