平成16年度・ずいき祭

神幸祭
(平成16年10月1日)
朝早くから、お化粧 準備が始まったのだ
  
娘の櫻子も二年目なので、慣れてる様子
  

  
では、いよいよ出発
お天気が良すぎて、暑かった!
  

  
私は、何時もの様に装束を着て、奉行を務めます!        長男の欅と・・・


ここからは、還幸祭
(平成16年10月4日)
  

  

  

途中、偶然 中学時代の恩師に出会いまして
短い時間の中で、懐かしみを感じさせて戴きました!
奥村先生、お元気で何よりでした
ありがとうございます!!!
(双ヶ丘中学の金八先生で、散々ご迷惑をおかけしました・・・)








    

北野天満宮ずいき祭・由緒
北野天満宮ずいき祭りは、数ある京都の秋祭りの先陣を切って10月1日から4日間にわたっ
て行われます。「ずいき祭」の名称は、祭礼期間中御旅所に奉安される「ずいき御輿」に由来し
ますが、その歴史は古く、このずいき御輿を中心とした、西ノ京を始めとする氏子の祭りは、室
町時代には行われていました。この祭りに、明治時代になって神幸祭(神様が氏子区域を巡
行する祭)が取り入れられ、現在の形が整いますが、この神幸祭は、一度絶えてしまったもの
が氏子の人々の手によって復興されたものです。毎年8月4日に行われる当宮の例祭は、か
つては北野祭と称し、官祭として本殿祭と神幸祭が一体となって行われていましたが、応仁の
乱により神幸祭が途絶え、長らく中断されました。明治の初め、この神幸祭の復興を願った多
数の氏子有志が梅風講を組織し、諸具を整え、祭典の必要経費を負担すること等を条件とし
て府に請願した結果、明治8年、私祭として許可されたのです。再興なった神幸祭は、10月1
日に西ノ京御輿岡の御旅所へ渡御、3日間駐輦の後本社に還幸(還られる)という現在の日程
に定められ、従来の北野祭の8月4日には例祭として本殿祭だけが斎行されるようになりまし
た。また、ずいき御輿も祭礼期間中御旅所に供えられ、10月4日の還幸祭にあわせて氏子区
域を練り歩くようになりました。ずいき祭では4日間にいくつかの祭典がおこなわれますが、中
でも10月4日の還幸祭は特別の意味を持ちます。単に「巡行を終えた天神様が本社に御帰り
になる」というだけでなく、「おいでまつり」の別名が示すように「大宰府で御隠れになった菅原
道真公の御霊が神様として初めて北野の地においでになる」という御鎮座の由来を回顧し、再
現するという意味もあるのです。かつては氏子区域の人々も1日は平素のように家業に従事し
ましたが、還幸祭の行われる4日には親類縁者を招いて御馳走を作り、晴れ着をきて、行列に
供奉したり、沿道から御輿を拝んだりしたといいます。年に一度、御鎮座の往時に思いを致
し、御神霊を「お迎えする」ことで氏神としての天神様を改めて意識し、感謝する心が育まれる
のです。


内容・神事
第一日目、10月1日には午前9時半から鳳輦(ほうれん)に[御霊]を移す出御祭が行われたあ
と午後1時導山をはじめ三基の鳳輦と松鉾他が本社を出御、宮司以下神職をはじめ氏子崇敬
者らが供奉、約150人余が祭列を整え氏子区内を巡行して午後4時頃西ノ京の御旅所に到
着、着御祭に引き続き氏子地域より選ぱれた女児による「八乙女田舞(やおとめたまい)」が
奉納される(拝観自由)。鳳輦は還幸祭の4日迄ずいき神輿とともに御旅所に駐輦され、その
間御旅所には多くの出店が連日午後10時頃まで軒を並べ祭り気分で賑う。二日目は御旅所で
表千家久田宗也宗匠による献茶祭、三日目には、西ノ京七保会による甲御供奉饌(かぶとの
ごくほうせん)行われる。こうして御旅所での三日間に亘る神事を終え、10月4日午前10時御旅
所で出御祭が執り行われ、午後1時出御、牛に曳かれた御羽車も加わり祭礼の行列が氏子区
内を巡行して午衝4時半頃本社に還御、午後5時還幸祭が行われる。5日には午後3時半より
后宴祭があり、拝殿前にて「八乙女田舞]が奉納される(拝観自由〉。


ずいき神輿
西ノ京の神人により、ずいき神輿という野菜、乾物等で趣向をこらした絢欄華美な神輿が御旅
所に奉られ、10月4日に巡行する。これはかって北野祭(例祭)にお供えとして奉られた野菜
を、慶長の頃から一基の大型神輿として作り飾りつけるようになり、屋根はずいき芋(里芋の
茎〕で葺き、神輿の各部はすき間もなく穀物や蔬菜(そさい)・湯葉(ゆば)・麩(ふ)などの乾物
類で覆われている。
四隅にさがる見事な瓔珞(ようらく)は乾燥した金盞花(きんせんか)の花をびっしりとつけたも
ので、神輿の四面には、謡曲や昔話から採った人物の造り物などが取り付けられている。江
戸時代には八基ほどが各町から出ていたが、今日では西ノ京の2基のみとなっている。








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