福王子神社大祭

正月明けの七日は七草粥の日ですね〜
発祥の地としても有名な神社でもあります!

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福王子神社や仁和寺など詳しく紹介説明して下さっています


毎年10月の第三日曜日が大祭の日です
福王子神社から出たお神輿が、御室仁和寺(世界遺産)の山門を駆け上がります

それはもう一見の価値あり!
御室太鼓の演奏も、いい!!

一度見て下さい

 京都・御室・仁和寺内


平成15年度の大祭

まずは、鉾宿準備
今年(平成15年度)の、御室の鉾宿様は、大野様です
立派で綺麗なお宅で感動致しました
  
鉾の飾り付け
  
夕刻、福王子神社宮司 御祓い式典
  
夜、御室太鼓 奉納       大野(鉾宿様)氏とKi
  
今年の御室の若中(若い衆たち)
 何やら気合を入れている
この手甲に刺繍してくれたお店が三京さんです
ここをクリックして三京さんのHPを覗いてみて下さい
ページの下方に写真アリです!


福王子神社は、第五八代光孝天皇の皇后班子女王を祭神として奉祀している。
御室仁和寺の守護神としてその歴史は大変に古く昔は福王神とか福王子宮とも呼ばれていた

今から1100年の昔、光孝天皇が今の御室大内山の麓に、国家の安泰と仏法の興隆を願っ
て伽藍の建立に着手され、その完成を見ないうちにお亡くなりになったが、第五九代宇多天皇
が先帝のご遺志を継がれ、母君の班子女王とともに仁和寺をご造営になられたのである。

班子女王は、非常にお気軽に自ら散策やお買物にもお出かけになられ、庶民に親しまれた方
であったことが記録に残されている。

昌泰三年(900年)班子女王がお亡くなりになり、頭陀寺に葬られたが、その陵墓がこの辺で
あったところから、この地に班子女王を奉祀する福王子神社が造営されたと伝えられている。

その後、平安時代から鎌倉時代初期にかけて、とくに歴代の仁和寺法親王から厚い御崇敬を
受け仁和寺の鎮守神として奉られてきた。

当時の社殿は、応仁ニ年(1468年)の都の大部分が焼き尽くされたといわれる応仁の乱によ
り、御室仁和寺の全ての堂塔伽藍とともに焼失してしまった。

現在の社殿は、寛永ニ一年(1644年)徳川三代将軍家光公の寄進により、仁和寺の宮、覚
深法親王が五重塔、仁王門等の堂塔伽藍の再建整備と同時に造営されたものである。

その後も仁和寺とのつながりはそのまま続いており、毎年の10月に執行される秋の大祭の御
神輿巡行の神事の際に、仁和寺に参内し奉幣を受ける儀式が、今も往時のままに行なわれて
いる。 

また、福王子神社は、仁和寺の守護神であるとともに、庶民に親しまれた班子女王の御遺徳
を偲び、地元の御室村、福王子村、鳴滝村はもとより、班子女王の父君のあたられる桓武天
皇の一品大政大臣仲野親王が住まわれていた中野村、常盤村、山越村を含む旧六ケ村(西
は広澤池、南はJR山陰線、東は嵐電妙心寺駅附近迄)の地域の産土の大神として、広く氏子
から尊敬崇拝され、今日に至っているのである。

以上のように、福王子神社は、仁和寺との古いつながりを持ち、皇室と深い関係にあった格式
のある由緒深い神社であり、御紋には皇室の十六紋菊が使われている。
 
[文責 宮司:村田健史氏]

 
さぁ いよいよ世界遺産の 御室仁和寺の中へ・・・
 これが、親子の対面です
(詳細はつづく・・・)
  
厳かな、式典のあと、また元気に仁和寺を後にして・・・
 また、福王子神社へと還ります

御尽力頂いた役員一同での後宴(旧御室村奉賛会)

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