野仏庵は、古美術愛好家で知られる上田堪庵の創立によるもので宗教法人悟心会の経営、近世初頭の漢詩人・書家として名高い石川丈山が隠棲した洛北一乗 寺の詩仙堂前に所在する。 東山を借景とした清境と、陶庵席以下、数席をかぞえる茶席など 好評を博している。 庵の正門は、明治・大正・昭和の元老、公爵西園寺公望が、維新前夜、 新撰組に追われて一時京都府下の丹波須知村に潜んださいの寓居の門を移したもの。新た に「野仏」の二文字(南禅寺官長・勝平宗撤師筆)をかかげ、正面通路突き当たりに、石造の 野仏を祀る 茶席 陶庵席
陶庵”は西園寺公望公の雅号。正門同様、この席も丹波須知村から移築され、陶庵席と名
ずけられた。当時の面影をつたえる貴重な茶室。 多宝塔
この多宝塔は、7m下の弁天堂付近にあったものを、雨月席(雨月物語ゆかりの茶室)の前
に、据え直したものです。 雨月席と待合との間にある、つたい、延段です。
雲”を表現しています。
主屋の脇にある石段を降りると、それは、あります。 上の、写真で男性が、腰掛けている極小さな、茶席の拡大写真ですが、障子と畳が無いでしょ。実は、ここに重さ数トン以上の、大きな坐像さんが来るのです。 来ました来ました! 小さな茶席からの、写真です。
巨大クレーンに、吊られた坐像が、確認できます。 重要文化財の金銅山王(比叡山)神本地
懸仏を奉祀する、講堂と、主屋を越しての、作業となりました。 雨月席横まで下りてきました。 巨大クレーンは、ここまでで、あとは、人力です。 三又で、なんとか坐像を、席の中にいれました。 坐像の下に、台石を入れなくては成りません、しかも、2つ! 特殊な三又の組み方をしてます、企業秘密で、お見せできません。 2つめの台石が入りました 坐像が、鎮座されたのが、写真左の茅葺屋根のもと茶室、手前が待合、写真右、茶室・雨月席です。「雨月物語」の作者、上田秋成ゆかりの茶室。秋成は 茶を愛し、とくに煎茶を好んだ。この茶室様式にもそれがしのべる。 クレーンとの、中間点よりの撮影。うーん、よく届いたなー!と、今もって関心する。 写真では、判りにくいが、京都市内が少し望める。 この、巨大クレーンである。表道は、非常に急な坂道で、クレーンの手前の、アウトリガー(足)を見て頂きたい、2m50cmもの、高低差があったので、枕木 を、井形に積み上げて、「おい、おい、大丈夫か?!・・・」と言うような体制での作業でした! アクセスマップ |