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塩村克己とは

  日本中央競馬会 栗東 田中章博厩舎所属 調教助手

  1987年デビュー(同期:武豊・蛯名正義)
  2002年引退 調教助手に転身

  通算勝利数  289勝

  生年月日  1969年 1月 5日

  身   長  160p  

  体   重  48s

  血 液 型  A型

  出   身   大阪府大阪市北区(中津)


  重賞勝利   89年 阪神牝馬特別(GV)       ルイジアナピット
                   93年 中日スポーツ賞4歳S(GV)   ネーハイシーザー
                94年 産経大阪杯(GU)             〃
                      京阪杯(GV)                〃
                     毎日王冠(GV)               〃
                    天皇賞・秋(GT)       〃
               95年 マイラーズC(GU)        ビッグショウリ



   幸か不幸か、スーパージョッキー武豊と同時にデビューする。
   デビュー当初、同期では、蛯名正義を押さえて、二番手の評価を与えられ、実にデビュー年に、
  33勝を挙げる。
   しかし、落馬事故等が多く、その才能はなかなか、開花しなかった。 一度は、左腕の骨折で、
  騎手生命さえ危ぶまれたが、フリーとなり、調教をつける馬さえいない時に、布施正調教師(今
  は、引退している)に、「乗ってみないか」と声をかけられた。 そう、その馬が、後のGT馬、ネ
  ーハイシーザーである。
   ネーハイシーザーとのコンビでは、中距離の重賞で、活躍し、実に3度のレコードタイムを記録
  する。 中でも94年毎日王冠で叩き出した、1分44秒6のスーパーレコードは、未だに破られて
  いない。
   布施正調教師や、師匠である小林稔調教師の引退などもあり、99年から、騎乗数が激減、ま
  た、大事な時期になると、落馬負傷を繰り返し、騎乗馬を他のジョッキーに獲られる。
   今年も、最も期待できるお手馬のゴールドーメーカーで、落馬骨折。
   長期休養からは復帰したものの騎乗がほとんど有りませんでした。
  
   10月21日付で、以前ユウトウセイに乗せていただいた、田中章博厩舎所属となりましたが、
  2002年春、とうとう騎手を引退。 同厩舎にて調教助手となりました。
   彼のやや内気な、優しい性格は、調教助手に向いているでしょう。

   いつかは、調教師となり、活躍してくれるのが、管理人の夢です。
   ネーハイシーザーの子供を管理して、天皇賞・秋を勝つっていうことが出来たら最高ですね。