2003/1/26

台湾の最新葬儀事情レポート

台湾の葬儀事情今昔

 鳴り響く爆竹にチャルメラ・銅鑼、ご近所中に悲しみを響き渡らせるために雇われる「泣き女」、音楽隊にぞろぞろと導かれる葬列の様子など、台湾の伝統的な葬儀には音が欠かせない。死者を無事に送り出すという本来の目的に違いがあるわけではないのだが、沈黙を良しとする日本の葬儀が「式」であるのに対し、台湾のそれは「祭」である、という印象を受ける。

 しかし、日本でもご家族、あるいは自分自身の死に対する色々な考え方がマスコミなどでも取り上げられるようになり、そうした生活者のニーズが生前予約を含めた様々なサービスを生み出してきているように、台湾でも葬儀の仕方は徐々に(もしかすると劇的に)変化してきている。特に、台北市内などでは自宅葬に代わって「殯儀館」と呼ばれる市営の斎場で告別式が執り行われることが多くなってきており、そこでは爆竹も鳴らないし、有名な「泣き女」も存在しない。司儀(=司会)が自分も鳴き声で故人を失った悲しみを切々と訴える伝統的な方法も、ここでは「うるさいから」という理由で最近では殆ど見かけなくなってきている。

 日本では変化しつつあるとは言え、お葬式はまだまだ「厳格」な場所であり、伝統的な葬儀を行うと思えば宗派ごとに作法が違ってくるのだろうが、台湾では作法という点についてはそこまで厳格ではない。もちろん守るべきものは守りながらではあるのだが、一方で新しいもの・合理的なものも次々と取り入れられていたりする。例えば、出棺の前に親族が故人の棺の周囲を反時計周りに3周する、というのが伝統的なやり方なのだが、斎場の間取りや時間の都合で時計回りに一週だけ、という手順が葬儀社によって作られ、それが一般的に浸透していたりする。また、出棺時に遺族が手にしている黒傘も、もともとは日本統治時代に台湾に取り入れられたものらしい。

 ここではそうした台湾の葬儀について、今回の取材で私自身が感じたこと、興味深かったことを中心にレポートする。

 

台湾の宗教事情

台湾には道教、仏教、天主教(カトリック)、基督教(プロテスタント)、果ては天理教や創価学会、一貫道(韓国)までさまざまな宗教が存在するが、「国教」は存在しない。ただ、台湾人自身も「台湾には迷信が多い」というように一般的に日本よりも信心深い人が多く、街のいたるところで見かける廟では線香があげられたり、果物が供えられたりしている。ただ、そうした行為は決して宗教儀礼として行われているのではなく、むしろ習慣として生活の中に定着してしまっているような印象を受ける。

 例えば廟というのは道教のものであるが、そこには道教の神々だけではなく、仏教の観音菩薩や儒教の聖人、果ては天上聖母(航海安全を願って自らの身を捧げた中国福建の女性)や関聖帝君(三国志の武将・関羽。商売の神として祭られている。第一殯儀館の隣に位置する行天宮の主神もこちら)など民間信仰に属する神々達も一緒に祭られていたりする。むしろ主神として祭られているのは民間信仰の神々の方が圧倒的に多い。

 また、台湾では仏教信者が圧倒的に多いのだが、道教の廟が8000社あまりに対して仏教寺院の数はその半分以下。対して道教の信者は仏教信者の1割にも満たない。つまり、台湾では「大多数が仏教を信仰し、民間信仰の主神を拝むために、道教の廟に参詣している」のである。

つまり、これは伝統的な中華思想をもとに「仁」「考」を説く儒教、現世利益を追求する道教、仏教などの様々な宗教観念を環境・状況に合わせて独自につくられた、一種の「民俗宗教」が生活習慣として定着しているのだと解釈すると判りやすい。日本でも正月には神社に参拝、結婚式はキリスト教、ご葬儀は仏教という状況があるが、それによく似ている。ただ、台湾の場合は日本よりも信仰が強く生活に入り込んでいるだけの違いである。

 

 葬儀の場合でも事情は同じだ。

 道教式に「陰陽五行説」に従って葬儀の日取りを決めたと思ったらお経をあげるためにお坊さんを呼び、西洋式の献花を済ませたと思ったら、洋型霊柩車の後には洞簫・笛子を持った音楽隊が先導して葬列が組まれ、そして遺族は日本から持ち込まれた習慣である黒い傘を差す・・・。宗教としてとらえると台湾の葬儀は非常に混沌としている。

 斎場では大部分が仏教式で、残りが道教式になるのだが、そこには仏師と道士の違いはあるものの、全体の流れとしては殆ど違いがない。場合によっては飾り物だけでは区別がつかないことすらある。それも台湾に根付いている宗教が台湾独特の「民俗宗教」であり、それに従って葬儀も行われるからだと考えると非常に判りやすいだろう。

 

台湾のご葬儀の流れ


 


「火化」の様子

 ここでは副葬品である「紙」「紙銭」を燃やしている。

 中央にいるのは道士。仏教式の場合は仏師が担当する。

 

 

 

 

 

 

 

「出棺」の様子

 音楽隊の演奏に導かれ、黒傘をさした遺族が故人を見送る。

 棺にはこの写真では仏教式の覆いがかけられている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「晋塔」

葬儀が終了すると、納骨を行う。

昔は墓に納めていたが、特に土地不足の台北ではこうした巨大な納骨堂に納める場合が多い。

右は納骨堂内部の写真。

 

 

豎霊と台湾人の死生観

 台湾では通夜は近親だけで行われる。今回は残念ながら実際に遭遇する機会がなかったので詳細は判らないが、自宅で行う場合は遺体を安置し、「霊堂」をたてる。霊堂の傍らには「紙」と呼ばれる紙製の模擬家屋や召使い、家財道具一式が揃えられる。この「紙」はあの世で故人が生活に困らないようにするためのもので、車やテレビは言うに及ばず最近ではパソコンや携帯電話など、現実の生活に必要なものはおよそ全て用意されていると言って良い。また「紙銭」「銀紙」と言われるあの世で使うためのお金が用意され、供養の度に「霊堂」の前で焼かれる。

 台湾では一般的に、宇宙は次の3つの世界から成り立っていると考えられる。

・「天庭」=天界。神々の住む世界

・「陽間」=人界。人間の住む世界

 ・「陰間」=陰界。鬼魂の住む世界

 これら「紙」「紙銭」というのは故人がこの「陰間」での生活に困らないようするためのものだ。もしこの贈り物をしておかないと、故人の霊が鬼となり、残されたものに災いをもたらす。例えば日本だと「極楽浄土」というなんの心配もいらない世界が待っていると考えるのが一般的だが、現世利益を重視する台湾では逆にあの世はこの世の延長であり、当然お金の心配も必要だというのが非常に興味深い。

 これは遺体を公共の安置所に運んだ場合でも同様である。さすがにスペースはないために「霊堂」と「紙」を一緒にした非常にコンパクトなものではあるが、ここでも紙製の僕人が用意され、「紙銭」が焼かれる。

葬儀の日取り

 日本でも一般的に友引などでは葬儀は行わないが、台湾では陰陽五行の考え方に沿って葬儀の日程が決められるため、日本よりもさらにややこしくなる。もともとは7日ごとに供養を行い、49日目に告別式を行うという考え方をベースに陰陽士や風水士の指示に従って日取りを決めるのだが、この期間は現在では短くなってきている。ただ、それでも遺体の安置期間は日本より長く、死後平均14〜21日というのが相場らしい。通常は3日〜60日間の間に日取りが決まるものだが、場合によっては半年、1年という場合もある。

 殯儀館などに遺体を搬送した場合は冷蔵保存室に入れられるが、自宅で保存する場合は暑い台湾のことだからなおさら話が大変になる。台北市内などでは少なくなってきてはいるが、台中などではまだまだ自宅葬が多く、このため自宅保管用冷蔵庫の貸し出しなども行っている、という話だった。

 また、仏教の一部、キリスト教などに場合を除くと、通常大晦日から旧暦の1月15日までの間と、「鬼月」と呼ばれる旧暦の7月の1ヶ月間は葬儀を行ってはならない。この「鬼」というのは子孫から十分な祭祀を受けずに陰間をさまよっている死者のことであり、「鬼月」にはあの世の鬼門が開き、大挙してこの世にやってくる。日本のお盆が先祖のための祭りであるのに対し、台湾では鬼をなぐさめるための祭りになっている。こうした考え方もまだまだ根強く残ってはいるものの、台北市内では結構例外もあり、正月や鬼月でも時々葬儀が行われている、とのことだった。

 こうして日取りが決められた後は、案内状を出すことになる。

 案内状には通常の内容の他、故人の年齢・葬儀の日取りによって「○歳の人は告別式に来ないでください」という案内も記載される。運悪く(?)それに該当してしまった人は自宅なりお墓なりに別の場所で改めて伺うことになる。

 

宗親会

現在の台湾では葬儀の手配などは殆どが葬儀社の人間が執り行っているが、昔は「宗親会」という組織が大きな役割を果たしていた。この「宗親会」というのは言うなれば「近くに住んでいる、同じ姓の人々の集まり」であり、系譜をたどれば親族になる人もいればよそから引っ越してきたただの同姓の人も加入できる、という組織である。中国人が移民した地で作られてきたものらしく、街の青年団的なものから黒道に近い性格を持つものまでさまざまな宗親会が存在するらしい。

台湾の人々ももともとは中国福建省や客家系からの移民だったため、こうした宗親会は北部では少なくなっているものの、特に南部や客家系住民の住む場所ではまだまだ多く見られる。

 葬儀での宗親会の役割は棺桶の購入・搬入に始まり、納棺、式場の設定、飾り付け、事務方などのあらゆる裏方仕事および埋葬地への棺桶担ぎ、墓穴掘りと埋葬までも行う。葬儀に使われるテントや棺桶につける飾りなどの道具類も宗親会のものであることが多い。もともと葬儀専門の組織ではないとはいえ、葬儀レンタルの事業と共通するところは多く、役割、人手、道具、設備の面からだけみても宗親会の存在は葬儀には欠かせないものだった。

 現在ではもし宗親会と絡む場合は彼らと葬儀社が協力して葬儀を行うことになる。事務処理の仕方、法事の執り行い方、用品の売買や式の進行方法など、葬儀に対するあらゆる要望を宗親会がとりしきり、葬儀社側は実際の手足となって動くことになる。

 葬儀社では伝統を守りながらも効率、価格を考えて顧客に新しい葬儀の提案を行い、自社のサービスや品物を売っていきたいと考えている。そうしたときに宗親会とは協力しなければいけない間柄ではありながら、色々と問題が出ることも多い、とのことだった。

 

 

【参考資料・文献】

●「アジア読本 台湾」 笠原政治・植野弘子編                                                                             河出書房新社

●「新アジア生活文化読本 台湾 〜美麗島の人と暮らし再発見」 高橋晋一                                三修社

●「台湾それ行け探偵団」」 河添恵子編                                                                                         トラベルジャーナル

 

【取材協力】

●龍厳人本股份有限公司 台北服務処のみなさん



ご意見・ご批判などがございましたら管理人までご連絡ください。