1999.9.26作成

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  1.エピローグ

 篠山市は平成11年4月に、4町が合併(今田町、丹南町、西紀町、篠山町)して誕生しました。丹波篠山は山奥であるというというイメージが、合併によってどう変わるのかわかりませんが、この新しい市の誕生を祝い、今後の発展を期待するとともに、私にとっては「篠山盆地が篠山」という想いも大切にしていきたい気がします。

 見出しは「よもやま話」となっていますが、<よもやま=四方山>なので、まさに四方(しほう)を山に囲まれた篠山盆地の話ととらえ 、私個人の話が中心になるとは思いますが、いろんな方から聞かせていただいた<そんなこともあったのか>といった話も紹介していきたいと思います。

                   

   

  2. 篠山川の流れ

 篠山で育った(大学の4年間と、社会人になっての2年間を除き)私にとって、川が東から西に流れていることは当たり前でした。篠山川が加古川となって瀬戸内海に注いでいるということも、まあ当たり前でした。<まあ>と付けたのは、それはそうなんだけど、JR丹波大山駅の付近から西北へ流れて川代峡谷を抜け、ぐるっと北の方を回ってから南下するのが、何となく不思議な印象でした。今から思うと、<水は低い方へ流れて行く>ということと、<北の方は私たちが住んでいるところより標高が高い>というのが私のイメージで、氷上郡の方が高いのに、どうして篠山川は氷上郡の方へ流れて行くんだろうと思っていたのでした。

   

   3.JR福知山線開業100周年に思う

 最近でこそ福知山線を走る列車を、電車と呼ぶことに違和感はなくなりましたが、少し前までは「ディーゼル」であり、子どもの頃は「汽車」でした。SLは今でこそ、希少価値とあの力強さで、多くのファンを魅了していますが、昔はあの煙に困ったものでした。汽車で大阪まで行くとき、三田を過ぎると汽車は峡谷沿いを多くのトンネルを抜けながら宝塚まで進みます。トンネルが近づくと汽笛が鳴り、煙が入らないようにと開けていた窓を閉めたものでした。今年、開業100周年になるということです。

 ところで、その福知山線について2つの話を。1つはJR古市駅のことです。子どもの頃、大阪行きのプラットホームの柱に、<福知山線で一番標高の高い所にある駅>だと示されているのに気づきました。これも不思議な感じがしていました(福知山の方には、もっと高い所にある駅があるはずだと)。「京都五億年の旅」(法律文化社)という本に出会い、地質に興味をもつようになり、氷上郡柏原町へ行くときの鐘ケ坂(R176)越えのことと、このことが結びつきました。トンネルまでは少しの上り坂なのに、トンネルを抜けると大きなカーブがある急な下り坂。つまり、篠山盆地は氷上郡より標高の高いところにあるのだと。この感じは、旧西紀町から氷上郡春日町に行くときも味わえます。また、福知山線が国道176号線と違って、わざわざ川代峡谷のような線路の敷きにくい所を通っているということも、むしろそちらの方が敷設しやすかったからだと理解できました。

 もう1つは、福知山線武田尾の峡谷と山陰本線の保津峡の対比です。どちらの峡谷も、それぞれに思い入れがあり好きなところです。篠山からは、大阪へ行くのも京都へ行くのもほぼ同じ時間で行けます。京都府の亀岡に車を置き、京都市へ出かけたことも何度かあります。そんな中、大阪から篠山口まで帰るのと、京都から園部まで帰るのは、いろいろな面で雰囲気的に似ているところがあるなと感じました。その1つが福知山線武田尾の峡谷と山陰本線の保津峡ということになります。武庫川も保津川も先行性河川で、土地が隆起していく中を川が流れて深い谷が築いたということで、どちらの川も蛇行しながら流れています。今のように川から少し離れた所を、長いトンネルを抜けて電車が走るようになり、その景色が見られなくなったのが残念です。どちらの電車にも乗られた方は、次の各駅名と電車からの景色を思い浮かべながら、同時進行の頭の中での旅をしてみてください。 何となく似ていませんか?            

福知山線:大阪駅〜宝塚駅〜武田尾駅〜三田駅〜篠山口駅

山陰本線:京都駅〜嵯峨駅〜保津峡駅〜亀岡駅〜園部駅 

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