シンポジウムより |
近畿舞鶴自動車道の事前調査として、七日市遺跡(氷上郡春日町)と板井・寺ケ谷遺跡(当時、多紀郡西紀町)の発掘調査が行わた。この調査により旧石器文化の研究に大きな前進がもたらされた。当時の自然環境や人々の生活について、神戸で開かれたシンポジウム「旧石器時代の人間と自然」(昭和60年12月7・8日、県埋蔵文化財調査事務所)で報告された最新のデータをもとに、丹波地方のリアルな原風景を再現し、神戸新聞社の大町聡記者が紹介したものである。 |
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丹波の最終氷期ごろの山地は、より高くより険しかった。急斜面の岩肌は、寒冷な気候によってはがれ落ち、麓に穏やかな斜面を形成した。多紀アルプスはこうして形成され、一方、南部では岩くずが武庫川をせき止めた。盆地は湖水状態となり、水は川代峡谷から加古川へあふれ出た。 |
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寺ケ谷遺跡を取り巻くように見つかった泥炭層。その中央部を、姶良火山灰の赤っぽい帯が区切る。 |
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瀬戸内海、日本海から内部へ数十キロ、東経135度線の通る日本の中央部「丹波地方」に、二万五千年前に人間が居住していた。板井・寺ケ谷遺跡と七日市遺跡の調査で、旧石器時代人の生活がかなりわかってきた。 |