薬師岳登山(2003年)

9月19日(金)
  自宅出発(10:10)−−八王子インターより中央高速へ−−折立着(18:20)仮眠

9月20日(土)
  起床(5:00)−−折立登山口出発(5:45)−−三角点(7:15)−−太郎平小屋(9:00)−−
  薬師峠キャンプ場(9:20)テント設営−−キャンプ場出発(10:40)−−薬師岳山荘(11:30)−−
  薬師岳山頂(12:10)15分休憩−−キャンプ場(14:00)

9月21日(日)
  キャンプ場出発(6:40)−−太郎平小屋(7:00)−−三角点(8:35)−−折立登山口着(9:45)

  ルートマップ


 薬師岳に登るには、室堂からのルート、折立登山口から登るルート、この2つが一般 的である。飛越新道を登るルートもあるが、これはマイナーなルート。どのルートを選 ぶにしても、薬師岳は北アルプスの奥座敷に鎮座し、東京から行くにはすこぶる不便な 所にある。今回は、その中でも比較的アプローチが短い、折立登山口から登ることにし た。
その折立登山口に入るには、まず、有峰湖を目指すことになるが、ここに入るには道が 4つ。富山県側からの道が2つに、岐阜県側からの道が2つである。電車、バスを使う のなら富山県側から入ることになろうが、車で入るには岐阜県側から入るのが比較的便 利だろう。今回は岐阜県側、神岡からの東谷コースを選択した。

9月19日(金)
 自宅を朝10時過ぎに出発。
有峰湖はアプローチが長い上に、夜間通行禁止である。有峰林道が通行可能な時間帯は、 朝6時から夜20時まで。したがって、20時までにゲートに滑り込む必要がある。 10時に出れば十分に余裕で入れるだろうとの判断であった。

 いつもの通り、八王子インターから中央高速に入った。松本で一般道へと降りる。今 回はコンビニに寄らなければいけない。朝早くて、買い出しが出来なかったのだ。早速、 コンビニを見つけ、中に入った。今回はカメラを持ってきていたので、まずはフィルム 探しである。捜していると、使い捨てカメラ(写ルンです)があるのに気づいた。
「そういえば前回、キレット小屋で使い捨てカメラ使ってた人いたなあ....。」
「こっちのほうが軽くて使いやすそうだから、これにしてみるか。」
あっさり方針転換。使い捨てカメラを購入することにした。
その他、弁当2食分と、おにぎり2個にロールパンをカゴに入れた。レジのところに持 っていって清算をしてもらう。
「箸を付けますか?」
「はい。お願いします」
  …… あ! “箸”忘れてる。……
今回はテント泊を計画。自炊が出来ても箸がなければ食べることが出来ない。とっさに 「箸、もう一本もらえませんか。」とお願いする。あぶないところであった。

 いつもの道を上高地方面へと向かう。どのあたりからか、雨がフロントガラスを叩く ようになった。大丈夫だろうかとの不安がよぎる。
沢渡を通過し、上高地入口のゲートを左折。安房トンネルへの道を登っていく。安房ト ンネルを通れば簡単に岐阜県側に抜けられるが、今回は、時間的に余裕があるので、旧 道(安房峠)を走ることにした。この道は、急勾配と急カーブの連続である。しかし、 トンネルが出来たおかげで車は減少。走りやすい道になった。今回もなんなく通過する ことができた。
平湯温泉街を抜け、新穂高温泉方面へと車を走らせる。見ると、ガソリンがエンプティ ーに近づいている。これから山道に入ることを考えると、もうそろそろガソリンを補給 しないとまずい。適当なところでガソリンスタンドに入った。
高原川を渡って左折。いつもは右折(新穂高温泉側)なのだが、今回は左折である。 ここからは初めての道となる。バス停の名前と地図とを見比べながら車を走らせた。
「もうそろそろか...」と思ったあたりで『有峰湖』という標識が目に飛び込んでき た。「あった! ここだ。」すかさず右折。ところがどうもおかしい。道幅が狭すぎる のだ。もう一度、地図で確認してみると、どうやら一つ先を曲がったようだ。ただ、こ の道を進んでも本来の道と合流しそうなので、しばらくこの道を行ってみることにした。 地図通り、直ぐに合流した。後で分かったことであるが、標識の手前で右折しなければ いけなかったようだ。この標識はちょっと不親切である。
この先、有峰湖までは道幅の広い舗装された道が続く。ただ、行けども行けども辿り着 かない。右折してからおおよそ50分程度であろうか、やっと飛越トンネルに辿り着い た。インターネットで『飛越登山口』と、写真付きで紹介されていたので、直ぐにそれ と分かった。横を見ると、結構広い駐車スペースがある。そこには車が1台止まってい た。おそらく登山者の車であろう。
飛越トンネルを抜け、有峰湖入口『東谷連絡所』を通過。いよいよ有峰湖である。その 時、すでに時刻は17時30分を回っていた。
ここから湖畔までは下りの道である。この時間、ましてや雨まじり。対向車など全くな い寂しい湖畔道路であった。徐々にあたりは暗くなっていく。ラジオから流れる相撲中 継のみが救いであった。
湖畔をほぼ半周したところで片側通行の場所が現れた。赤信号で停車。やがて信号は青 に変わり、車を走らせて気が付いた。「ん!? 道の感じが違う。」道幅の狭さ、それ にこのカーブ。どうやらダムの堰堤上を走っているようだ。思わず緊張する。まさかと は思うが、対向車でも来ようものなら、えらいことになる。
ダムを渡りきったところで、富山県側からのルートと合流。急カーブを右折する。この あたりでやっと車2台とすれ違った。この時間からして、おそらく関係者の車であろう。
観光の中心地らしき広場を通過。さらに左右に折れながら急勾配の道を登っていく。ト ンネルを抜けたところで折立の駐車場に到着した。時刻は18時30分。なんとゲート から50分も掛かっていた。あまりにも遠い....。

 駐車している車は、駐車スペースの1/3を占める程度か。十分に余裕であった。 とりあえず、登山口とトイレを確認しておく。そして適当な場所に車を止めた。
あたりには闇が迫ってきている。気になる雨も強くなる一方である。明日の天気が気に なる。ラジオに集中することにした。おそらく19時前後には予報が流れるだろう。
チューナーを回していて分かったことだが、ここはNHKの放送が3局入るようだ。 一つは甲信越、一つは名古屋、そして富山である。最初から富山局を聞いておけば良か ったが、どこが富山局か分からないうちに天気予報が終わってしまった。でも、感触と しては“曇り時々雨”のようだが...。
とりあえず弁当を平らげ、布団にもぐり込んだ。
この状態が続けば撤退か。あるいは、小雨程度なら小さなリュックに切り替えて太郎平 小屋泊まりにする手もある。もちろん雨が上がれば大きいほうのリュックを担いでのテ ント泊だ。今回は登山用具一式を持ってきているのである程度は融通がきく。こういう 時に車は便利である。
はたしてどうしたものか。思案しながら眠りについた。
夜通し、雨がパラパラとボンネットを叩く。

9月20日(土)
 目が覚めると、あたりが白々としている。時刻を確認すると5時すぎであった。4時 に目覚ましを掛けたつもりであったが、うまく作動しなかったようだ。大失敗である。 車を出て上空を見上げてみると、なんと月が出ているではないか。これはラッキー。テ ント泊決定だ。大急ぎ荷物を整え登山口に向かった。
あたりには人の気配が全くない。有峰湖入口のゲートが開くのが6時であるから、ここ がにぎわいだすのは7時になってからなのだろう。
5時45分、登山開始。
登り始めて5分程でリュックの重みが肩に来た。「こんな感じではたして登れるだろう か。テントを置いてきたほうが良いのでは...。」そんな不安にかられながら登って いった。木の根っ子を跨いで登るような急登である。そのうち徐々に体が暖まってきた。 それに合わせてリュックの重みが苦にならなくなってきた。おそらく体が山に慣れてき たのだろう。マラソンではないが、ランナーズハイに似たものなのだろう。
1時間半ほどで三角点に到達した。ベンチとテーブルが並べてある。結構広い場所だ。 とりあえずリュックを下ろしガイドブックを広げてみた。しかし、地図を見ても、どこ にも“三角点”との記載がない。古くて大ざっぱな地図なので記載がないのだろう。感 じからして、おおよそ小屋まで半分の距離と思うが。
ここは小休憩に留め、先に進むことにした。徐々に明るさが増してきた。どうやら森林 限界が近そうだ。
三角点を過ぎて直ぐ、今日最初の登山者が降りてきた。立て続けに4名ほど。さらに団 体さんが続く。これは高校生の一団のようだ。昨日、太郎平小屋に泊まった連中だろう。
しばらくして前方が開けた。と同時に、どこからかザワザワと人の声が聞こえてきた。 そのほうに目をやると、遠くのほうにこっちに向かって降りてくる一団が見える。今度 はかなりの大人数だ。「まずいなあ...。」
やがてこの一団がやってきた。全員通過するまで道をゆずることにした。見たところ 30名はいただろうか。みんな結構大きな荷物を担いでいる。リュックの一つから “農業高校” の文字が見て取れる。高校の登山部だろうか。女性も混じっていたから、 ひょっとしたらクラス単位の登山かもしれない。そういえば、私にも昔そんな登山があ った。
道は完全に森林限界を越えた。そして緩やかな丘陵の道へと変わっていった。登山道周 辺はよく整備されており、快適な歩きである。左前方には目指す薬師岳が優美な姿を見 せている。後方はというと、残念ながら雲海に覆われなにも見えなかった。おそらくこ の下に有峰湖があるのだろう。
しばらくして、はるか前方に小屋の屋根らしきものが見えてきた。ここまで来れば着い たも同然である。

薬師岳が見える

雲海の下は有峰湖か

小屋らしきものが見えた

 太郎平小屋到着は、午前10時。登り始めて3時間ほどであった。コースタイムでは 5時間となっていたのでうれしい誤算である。ここはコースタイムの設定が甘いのでは ないか。どうあれ、これで今朝の遅れを取り戻すことが出来た。
まだ時間が速いせいか、小屋周辺には人の気配が全くない。何気なく入口のところを見 ると、『テントの受付けはキャンプ場にて行います』との貼り紙がある。とにかく早く テントを張ってしまいたい。ここは素通りして、キャンプ場に急ぐことにした。
しばらくは平坦な道が続く。右手後方には、北ノ俣岳,黒部五郎岳がその姿を見せてい る。右下に切れ落ちた谷は、黒部川源流の谷であろう。

誰もいない太郎平小屋

薬師峠キャンプ場

小屋から20分程度で、薬師峠キャンプ場に到着した。見るとテントが一つも見あたら ない。どうやら私が一番乗りのようだ。早速、管理小屋に向かった。ところが小屋は鍵 が閉められており、『この時間、受付けは太郎平小屋にて行います』との札が.....。 これにはまいった。荷物を担いで小屋まで引き返す根性などない。はてさてどうしたも のか。しかたないので、とりあえず先にテントを張ることにした。
10分程でテント設営。荷物を全部中に押し込んで、空身で太郎平小屋に引き返した。 受け付けの女性に事情を説明し、その場で手続き完了。再度、キャンプ場を目指す。 この往復で50分程度はロスしただろうか。
いよいよ薬師岳だ。デイパックに必要最低限のものを詰め込んで出発した。時刻は10 時40分。コースタイムを見ると薬師岳往復で5時間となっているから、遅くとも16 時には戻って来れるだろう。

 まずは、岩がゴロゴロした沢登りである。道に沿って湧き水が流れている。回りは低 木が生い茂り、閉そく感があって登り辛い。そんな登りが20分程続いたであろうか。 やがて道は緩やかな登りへと変わっていった。
しばらくして、ちょっとした広場に出た。木道,ベンチが備え付けられている。休憩す るにはもってこいの場所である。おそらくここが薬師平なのだろう。
そこから先は、展望の開けた登りとなった。前方には、左から右に向かって大きな稜線 が広がっている。その左端てっぺんにはケルンらしきものが見える。おそらくこれが東 南綾であろう。道筋を見ると、そのケルンを目指し登山道が続いているようだ。さらに そこを下ってくる登山者の姿が点々と見えている。
すれ違う際に、そのうちの一人に聞いてみた。
「山頂はあのケルンの向こうですか?」
「そうです。あそこまで行けば着いたようなものです。あとはほとんど並行移動ですよ。」
なるほど、とりあえずあそこが目標か。見た感じそんなには遠くは無さそうだ。
しばらくして薬師岳山荘に到着した。小さな山小屋であった。山小屋というより避難小 屋といったほうが正解かもしれない。小屋の前に『頂上まで50分』との貼り紙があっ た。これは予想以上に早く到達しそうだ。
最後の登りに取り付く。これが結構つらい登りであった。さらに、このあたりからガス が出始め、それに雨が混じるようになった。「まずいなあ。急がねば...。」
とりあえず雨具は持ってきたが、極力濡らしたくない。夜寒ければ雨具を着込んで寝る 必要があるからだ。しばらくはこのまま行くことにした。
ケルンに到着。幸運にもそのころには雨は止んでくれた。なんとかこのままもってくれ と願うのみであった。山頂はもうすぐそこ、目と鼻の先に見えている。距離にして 200mくらいであろうか。多少のアップダウンはあったが、すぐに到達した。

 山頂周辺には登山者の姿は全くなかった。寂しい山頂であった。
そこには御堂があり、中を覗いてみると正面に薬師如来が。さらにその回りには何体か の地蔵が安置されていた。とりあえず、無事に到達したことへの感謝。それに「雨が降 りませんように...。」と手を合わせた。
まずは北方、室堂方面を眺めてみる。しかしこの方向は、ガスで全く展望がきかない。 足下には、一気に切れ落ちた崖が見える。これが金作谷カールだろうか。室堂方面への 道はどこだろうと、探してみるがよく分からなかった。まさかこの崖を下るとは思えな いのだが。
東側はというと、薬師岳と対峙するような形で稜線が右から左に下っているのが見える。 地図でみると赤牛岳であろうか。とすると右横にちょこんと突き出した山が黒岳になる。 初めて見る山々なので、どうにも確信が持てない。
とりあえず風を避け、御堂の西側に腰を下ろした。この方向は、眼下に有峰湖が望める はずであるが、まさにその湖の部分だけが白い雲に覆われて見えなかった。
南西に目をやると、今朝登ってきた登山道が丘陵上にはっきりと見えている。木枠で囲 まれた道なので、ルートの全貌、なだらかな長い道であることがよく分かる。双眼鏡で その丘陵上、あるいは登って来た方向を覗いてみたが、登山者の姿は全く見えなかった。 連休初日にも関わらず、登山者は少ないようだ。おそらく雨を予想してのことだろう。

 ここで昼食を取ることにした。いつもの通り、おにぎり2個とロールパンである。こ のころから、また雨がポツポツと降りだした。大急ぎおにぎりを口に詰め込んで、ここ ではじめて雨具(ズボンのみ)を履いた。
長居は無用である。頂上には10分程度の滞在で、直ぐにその場を後にした。
ところが、ケルンあたりまで戻ったころで雨は止み、逆に展望が広がりだした。晴れる のか、雨が降るのか全く分からない優柔不断な天候である。
本来の登山道はケルンの下なのだが、せっかくだからと、ケルンまで登ってみることに した。ほんの数メートルの距離である。登ってみるとそこには、ケルンの他に小さな祠 があり、それは愛知大生遭難の慰霊碑であった。目の前には、その愛知大生が迷い込ん だ東南綾が広がっている。太郎平小屋までは2時間も掛からない距離である。ほんのわ ずかな判断ミスで起きた遭難だった。冬山の恐ろしさを実感である。

ケルン 眼下に有峰湖

東南稜

 ちなみに愛知大生遭難とは......
1963年(昭和38年)1月のこと。
愛知大学山岳部13人のパーティは、薬師岳頂上を目指した。
しかし、後に“サンパチ豪雪”と名付けられた豪雪吹雪の中で山頂を目前にして登頂を 断念。そして下山途中でルートを間違え、正しいルートから90度ずれている東南稜に 入りこんでしまった。ここで数日間ビバーク。迷ったあげく、黒部側に2名が滑落。戻 ろうとした11名も稜線上で力つきた。
この時、パーティの中に地図とコンパスを携行している者は誰一人としていなかったと いう。

 ふと気がつくと、有峰湖がいつのまにか姿を現している。さらに、それまで見えなか った笠ヶ岳が、黒部五郎岳の後ろに姿を現した。笠ヶ岳は独特の形なので間違いない。 その左横に見えるのは三又蓮華岳か。はたまた鷲羽岳か。
「さて、そろそろ降りるか。」と、リュックを背負ったところで一人の登山者がやって 来るのに気づいた。これはラッキー。写真を撮ってもらおうと、もうちょっとここで待 つことにした。
「こんにちは。すみませんが写真を撮ってもらえませんか?」
「あ。良いですよ。山頂には誰かいますか?」
「いや、誰もいません。私達だけです。」
「じゃあ、私も撮ってもらおうかな。」
というわけでお互いの写真を撮り合った。
話しを聞いてみると、“さわやか信州”で有峰口まで来て、そこからタクシー相乗りで 来たとのこと。今日最初の登山者である。
それから、パラパラと登山者を見るようになった。同じく今朝一番で折立に入った人達 であろう。
薬師平を通過。もうちょっとでキャンプ場到着というあたりで、中年のおばさんグルー プ2名に声を掛けられた。
「どちらから登って来られました?」
「折立からです。」
話しを聞いてみると、どうやら「室堂から来た」との返答を期待していた様子。その人 達は五色ガ原まで行くとのことで、今日中にスゴ乗越小屋まで行けるかどうかの判断を したかったようだ。
「え〜 かなりの距離があるでしょう。それに、室堂の方向を覗いてみましたが、結構 やせた稜線でしたよ。」とアドバイス。経験者のようには見えなかったが、いい根性し てる。

それから直ぐにテント場に到着した。時刻は14時。コースタイム5時間のところを 3時間20分で戻ってきているから、やはりここはコースタイムの設定が甘い。
見ると、テントが8張りくらいに増えている。仲間がいてヤレヤレである。こんなとこ ろで私一人だったら心細くてとても寝れやしない。小屋に避難しないといけないところ だった。
戻ってきて直ぐ、隣のテントの人に声を掛けられた。
「登って来られたのですか? どうでした。」
「そこそこ展望が効きましたよ。有峰湖もよく見えましたし、笠ヶ岳も...」
「そうでしたか。私は今日はもう無理だから明日登ります。」
そんな話しをしているうちに急に雨足が強くなった。
「雨が強くなってきましたねえ。私はテントに引き上げます。では。」
早々に話しを切り上げ、テントにもぐり込んだ。
結構強い雨である。パラパラと雨がテントを叩く。
とうとう来てしまった。これではもう外には出られない。とりあえず荷物を整理し、銀 マットの上に寝っ転がった。しかし、テント場到着と同時に本降りになろうとは...。 不幸中の幸いであった。

 携帯ラジオを持って来ていたので、ラジオのスイッチを入れた。ちょうど自民党総裁 選挙の真っ最中であった。そこで小泉総理が再選されたことを知った。ラジオが無かっ たらこのテントの中、とても時間が潰せなかっただろう。さらに、なにか食べるものは ないかと探したが、適当なものが見つからない。お菓子でも持っていけば良かったのだ が、すっかり忘れていた。しかたがないので、“マ・マーマカロニ”をボリボリとかじ った。これが結構いけた。
しばらくは、雨が小降りになってくれるのを待ったが、全く止む気配がない。仕方がな いので、水確保のためテントを出た。ついでにトイレを済ませてしまう。多少雨具を濡 らしてしまったが、こればかりは仕方がない。
16時半、自炊の準備に取り掛かった。周りも夕食準備の気配である。おばさん連中の 声も聞こえてくる。おばさんは、普段ならやかましい存在であるが、こういう時は心強 い。
とりあえずお湯を沸かす。火力が強いのか、容器がアルミだからなのか、簡単にお湯が 沸いた。食事は、お湯で戻す“かやくご飯”である。それに牛丼の元をかける。何れも お湯をかけるだけ。便利になったものだ。おかずは、シーチキンと焼き鳥の缶詰。 それにソーセージと味噌汁である。これだけあればなんとかなる。あと、残り湯でマカ ロニをゆでて食べた。
徐々に暗くなってきた。早めに寝袋の準備する。昨年の剣沢でのテント泊はメチャクチ ャ寒かったので、その経験から、今回は使い捨てカイロ3個と腹巻きを用意した。 カイロはもうちょっと欲しかったが、時期が時期だけに入手出来ず、手持ちの3個で間 に合わせた。1個は足下に。残り2個は左右のズボンのポケットに押し込んだ。その上 に雨具(防寒具)を着込んだ。これでなんとかなるだろう。念のためリュックの中身を 全部出し、すっぽりと足を突っ込んだが、これはどうも違和感があって眠れそうもない。 しばらくして取り外した。
あたりはすっかり暗くなった。ラジオを耳元に置いて眠りについた。しかし、これがな かなか寝付けない。なんとか寝ようとするが、無理に寝ようとすると余計に眠れなくな る。テントを叩く雨音と、適度の暖かさが保てないせいか、寝たのか寝てないのか分か らない状態で一夜を過ごした。
ふと気づくと、あたりが白々としていた。気づいたという事は、多少は寝たということ なのだろうが。

9月21日(日)
 小降りになったとはいえ、外は相変わらずの雨である。この日は、黒部五郎岳往復を 考えていたが、これではどうにもならない。あっさり下山を決意した。
まずは朝食である。朝はラーメンを考えていたが、持って来ていたラーメンは一袋に2 食分入っているので、今開けたら中途半端になる。ラーメンはやめ、残っていたロール パンを食べることにした。味噌汁の元が残っていたが、パンと味噌汁とは合わないので、 お湯といっしょに口の中に押し込んだ。コーヒーのようなものを持って行っていれば良 かったかもしれない。
食後、直ぐに荷物の整理を始めた。とりあえず、フライカバーとテントカバーとポール カバー。それにポリ袋。これだけを残して全てリュックに詰め込んだ。そのままリュッ クを担いでトイレへと急ぐ。とりあえず、待避出来るものは待避というわけだ。ここの トイレはしっかりとした作りで綺麗である。トイレの中にある台にリュックを置いた。
今度はテントの片づけである。傘のみを持ってテントに引き返した。水を含んでテント がうまくカバーに入るかどうか不安だったが、結構、水を弾いてくれたようで、なんな くカバーに収まった。風があったらそう簡単にはいかなかっただろうが、風が無かった のが幸いである。再度トイレに戻って、荷物の詰めなおしをした。
さあ、撤退だ。

 来た道を引き返していく。晴れていたら展望の広がる道なのだが、雨では仕方ない。
太郎平小屋方面からパラパラと登山者がやってくる。おそらく薬師岳を目指す人達であ ろう。「雨の中大変だろうに....。」と思いながら登山者を見送った。昨日のうち に薬師岳に登れたのはラッキーであった。
太郎平小屋に到着した。小屋の中に人の気配を感じる。雨が止むのを待っているのだろ うか。
小屋に入っても仕方がないので、ここは素通りして一気に下ることにした。
ここからは、なだらかな下りが続く。ところどころ登山道が川と化しているところがあ った。最悪の状態である。また、雨で登山道全体が滑りやすくなっていて歩きづらい。 十分に気を付けていたが、それでも何度か滑ってしまった。丸太に足を乗せたところで 1回。石畳で2回。土の道でも1回。計4回である。特に怪我などは無かったが、荷物 が重いだけに、万一のことを考えると恐いものがある。
こんな状態の中、なんとか三角点に到達した。
この先は樹林帯。ここからは傘をたたみ、雨具のみで下ることにした。ザックカバーを 持ってきて正解であった。昔はザックカバー無しで登っていたが、これは必需品である。 見てみるとほとんどの登山者がこれを持っている。これさえあれば傘無しでも安心して 歩ける。
樹林帯に入ってから、パラパラと登山者と出会うようになった。いかにもベテランとい った感じの人から、中年のおばさんグループ、老夫婦まで。よくこんな雨の中登ってく るなあと感心する。私だったら即、断念するのに.....。
後で分かったことであるが、この時台風が四国沖まで来ており、台風一過の晴天を期待 しての登りだったようだ。私はその時、まだ台風は来てないと思いこんでいたのだ。 それが分かっていれば、山小屋でもう一泊しても良かったかもしれない。情報が得られ ないのは、テント泊の欠点だ。
下りはじめて、かなり時間が経過した。もうそろそろ到着しても良い頃なのだが、なか なかたどり着かない。雨に降られていると、早く降りたいという気持ちが前面に出て、 まだかまだかと思いながら下るようになる。
そのうち『登山口まで15分』との標識を見つけた。「ようし、もう少し」時計を見な がら1分ずつカウントダウンしながら下っていく。「あと10分..」「あと8分..」 「あと5分..」しかし、その15分が経っても、まだたどり着かない。あの標識は、 単に下山する人を勇気づけるものだったのだろうか。それから5分くらい経ってやっと 愛知大生の遭難慰霊塔(折立登山口)が見えてきた。時刻は10時前であった。

 横に案内所,自動販売機等あるが、休まずそのまま車に向かった。あたりには全く人 の気配がない。寂しい登山口であった。車の中で全ての衣服を着替え、やっと人心地付 いた。とは言っても、東京まで帰ることを考えると、ここでゆっくりしている訳にはい かない。
有峰湖畔の道では、すれ違う車はほとんど無かった。この雨では、わざわざお金を払っ てまで来る人はいないのだろう。
50分ほどでゲートに到達。有峰湖ともお別れである。飛越トンネルを抜けたところで 次回のことを考慮し、飛越新道登山口を確認しておいた。案内板を見ると、『北ノ俣岳 まで6時間』とある。途中に山小屋があれば良いのだが、8名程度しか入れない避難小 屋があるだけ。これではちょっと使いづらい。ただ、ゲートが開く時間を気にしなくて も良いから、暗いうちから登れる(距離がかせげる)メリットはあるのだが。ちなみに、 その日は2台の車が止まっていた。
車を走らせ国道に出た。ここをまっすぐ行けば新穂高温泉である。車を走らせながら、 新穂高温泉に無料の温泉があることを思い出した。まだまだ時間に余裕があるので、ち ょっと行ってみることにした。しかし、行ってみると浴場周辺は駐車禁止になっている。 以前行った時は、路肩に止めていた車が結構あったのだが....。
わざわざ駐車料金を払ってまで温泉につかるほどでもないと、直ぐに来た道を引き返し た。

 松本インターの手前で給油し、中央高速に入った。
まずはどこかで昼食を取りたい。手っ取り早く諏訪湖サービスエリアに入った。
レストランでメニューを見ていると『ご飯お代わり自由』との文字があるのに気づいた。 これは良いと、中に入って“豚汁定食”を注文。早速、ご飯をたいらげ、お代わりを頼 んだところ、これがいつまで経っても持って来ない。どうにもならないので、再度、別 のウェートレスに催促。それで、やっと持って来るという始末。
また、レストランを出るときにも、レジのところで店員どうしペチャクチャ喋るのみで、 「有り難うございました。」の言葉すらない。「もう二度と来るものか!!」といった 感じである。不愉快な思いでレストランを出た。
さらに車を走らせた。しばらくして『火災事故による渋滞あり』との表示が現れた。 「マズイなあ...」ただ、通行止めにはなっていない様子。おっかなびっくり車を走 らせた。案の定、大月を過ぎたあたりで渋滞が始まった。しばらくはダラダラ走行が続 く。そのうち、前方に警察か救急車か赤色灯が点滅しているのが見えた。「あそこか?」 近づいて分かったのだが、事故は反対車線で起きた事故であった。なんてことない見物 渋滞だったのだ。他人の迷惑くらい考えてもらいたいものである。
それから先はスムーズに車は流れた。いつものように八王子インターから16号へ。 横田基地のところで新青梅街道に入った。あとは自宅まで一本道である。余裕で自宅に 帰り着いた。

前のページに戻る