一昨年で、北アルプスにある百名山はすべて踏破し、おおよそ北アルプスの主峰は制
覇した感がある。今年からはいよいよ南アルプスである。
さて、その南アルプスであるが、既に北部の山、甲斐駒ケ岳、仙丈岳、鳳凰山、北岳は
踏破しており、残すは南部の山々のみとなっている。しかし、南部に関しては全くの無
知でアプローチの方法すら知らない状態だ。「はたしてどの山から切り崩したらいいも
のか...」いろいろ検討したが、とりあえず今回は比較的馴染みのある間ノ岳を攻め
ることにした。間ノ岳は北岳の隣に位置する山で、北岳に登った経験のある私には攻め
やすい山なのである。
その北岳に登ったのは17年前のこと。その時は百名山の存在を知らなかったため、北
岳に登っただけで直ぐに下山してしまった。
今から思えばもったいないことをしたものだ。ほんのちょっと足を伸ばしていれば間ノ
岳まで行くことが出来たのに...。今回も以前と同じコースを辿ることになる。今と
なって後悔しきりである。
コースマップ
コースであるが、以前は登山口である広河原まで車で行くことが出来た。しかし、現
在ではマイカー規制が行われており、車の進入が許可されない。広河原に行くには、芦
安からバスに乗るか、奈良田からバスに乗るかのどちらかである。
それぞれにメリット、デメリットがあって、どちらのコースを選択するか難しいところ
だ。芦安から入ればバスで行ってバスで帰って来なければいけない。それに対し、奈良
田から入れば、北岳から間ノ岳、農鳥岳と縦走すれば奈良田まで歩いて戻ってくること
できる。つまり、帰りはバスの時間を気にせずに下れるわけだ。しかし、東京からだと
奈良田は遠い。
いろいろコースを検討したが、結局、奈良田からのコースを選択することにした。
次にバスの時間であるが、この時期の土休日は、朝一番5時30分発のバスがあるが、
平日となると2時間遅れの7時25分が始発である。朝の2時間遅れの出発は辛い。出
来れば土休日の5時30分のバスに乗りたいところだ。もし、5時30分のバスに乗れ
るなら、初日のうちに農鳥小屋まで行くことが可能であろう。そうすれば間違いなく、
翌日には奈良田まで下ってくることが出来る。
それに対し7時25分発のバスでは、初日はその手前の北岳山荘までが限界である。そ
うなれば、大門沢小屋にもう一泊しなければいけない。
ただし、土休日のバスといっても、土曜日は山小屋の混雑が予想されることから、日曜
日のバスに乗るのがベストであろう。
さて、いよいよ9月となり、山行きには良い季節がやってきた。
毎週のように行くタイミングを狙ったが、天気が悪かったり、都合が付かなかったりで、
なかなか行くタイミングがつかめない。9月15,16,17日の三連休も逃してしま
った。次は22,23,24日の三連休である。混雑を避け、出来れば24日に行きた
いところである。しかし、この週も天気が今ひとつ。また来週になりそうな気配があっ
た。
諦め気分でインターネットで調べていると、ある貴重な情報に辿り着いた。それによる
と、農鳥小屋は設備が悪く電気も無いらしい。さらに管理人が無愛想だというのだ。ど
うやら農鳥小屋泊まりは避けたほうが良さそうだ。とすれば、初日は北岳山荘泊まりと
なる。であるなら、なにも土休日に出発しなくても平日の7時25分のバスで十分では
ないか。翌朝暗いうちに小屋を出れば、その日のうちに奈良田まで下ることも可能かも
しれない。もし遅くなったら途中の大門沢小屋泊まりにすれば良いわけであるから。
というわけであっさり方針転換、平日の山行きに変更することにした。天気予報では
24日(月)は今ひとつ。しかし25日(火)は晴天が期待できそうだ。急遽、24日
に出発することに決定した。
9月24日(月)
今回の行き先は南アルプスである。東京からだと、距離にすれば北アルプスの半分程
度であろうか。であるなら、ゆっくり出発しても十分に余裕で入れるはずだ。とりあえ
ず出発は昼前とした。
自宅を出たのは11:30くらいであったろうか。予定通りの出発である。今回も一
般道、国道20号を行くことにした。新青梅街道で若干の渋滞があったものの、それ以
降はスムーズに車は流れた。
山梨県に入り、中央高速の甲府昭和インターと交わったころで左折。開国橋を渡ってし
ばらくは身延方面を目指す。途中、コンビニで食料の買出し、さらにはガソリンスタン
ドでガソリンを補給して、山間部での走行に備えた。やがて、早川町方面の標識が現れ
た。すかさず右折。後は奈良田までほぼ一本道である。
奈良田到着は17:30。あらかじめインターネットで調べておいたお寺の駐車場に
車を入れた。かなり広い駐車場であったが、停まっていた車は1台だけ。その1台も直
ぐに出ていったので、結局、その夜車を停めていたのは私一人であった。
到着して直ぐに、バス停、トイレの確認に出かけた。バス停は奈良田の入口あたり、駐
車場から引き返すこと300mくらいのところにあった。トイレは駐車場にもあったが、
バス停のトイレのほうが綺麗そうだ。
車に戻った。今度は夕食、腹ごしらえである。途中で買ってきた弁当を一気に平らげた。
この時点で、外はかなり暗くなっていた。この明るさからすれば、下山時に歩けるのは
17:30が限度であろうか。とりあえず、この時間を頭に入れておいた。
また、このころからパラパラと雨が車のボンネットを叩きはじめた。通り雨かと思いき
や、地面が濡れるほどの雨になった。天気予報では「明日は晴れ」と言っているが大丈
夫だろうか。若干の不安を抱きつつ眠りについた。
9月25日(火)
6:30起床。毎度の事ながら、環境が変わるとそうは寝れない。眠れたのはせいぜ
い4時間程度であったろうか。まあ、それでも私からすれば眠れたほうであろう。外を
覗いてみると、昨夜の雨はすっかり上がり、上空には晴れ間も覗いている。どうやら今
日は良い天気になりそうだ。
朝食は、おにぎり2個で軽く済ませた。今回は、おにぎりを多めに買ってきているので、
腹が減ったら途中にでも食べれば良い。リュックは昨夜のうちに準備を終えているので
こちらも問題ない。後は出かけるのみとなっている。ただ、周りを見渡しても、相変わ
らず駐車場には私の車以外は1台も無い。本来なら夜のうちに車が増えるのが一般的な
のだが...。とりあえずここで、7:00になるまで様子を見ることにした。
7:00を回った。もうそろそろ良いだろうと、リュックを担いでバス停に向かった。
バス停に行ってみると、既に3名が乗車待ちをしていた。1人はバス会社の関係者のよ
うだが、1人は渓流釣りの人。もう1人は登山者であった。直ぐにもう1人登山者がや
ってきて、最終的に登山者は私を含め3名となった。
朝になって分かったことであるが、駐車場はお寺だけでなく、バス停の横にも2,30
台は置けるスペースがあったのだ。みなさんこちらに車を停めておられたご様子。また、
その先の広河原方面にもかなりの台数置ける駐車場があった。ここ奈良田は、予想以上
に駐車容量がありそうだ。
定刻通りバスは身延駅からやってきた。誰か乗っているだろうと思いきや、見ると誰
も乗っていなかった。結局、乗車したのは5名のみ。途中、奥の駐車場で1人、第一発
電所で2名乗ってきたので合計8名。定員24名程度の小型バスであったが、十分すぎ
るくらい余裕であった。
バスは野呂川の渓谷を縫うように進んで行く。昨夜の雨が嘘のようにバスの中には日差
しが差し込んで、実に清々しい朝であった。
ちなみに、この道は以前に走ったことがあったが、その時はトンネル内の岩はむき出し
状態。上からは水が降り落ちてくるなど、すごい悪路であった。「まるでインディージ
ョーンズの世界だ。」と友人と話したものだが、今回は全くそのような場所は見あたら
なかった。その後に整備されたのであろう。
広河原には8:15に到着。芦安からのバスは既に到着した後だったようで、バス停
近くには数名の登山者の姿があった。おそらく既に何名かが上を目指して登っていった
に違いない。
車止めのゲートを乗り越え、吊橋を渡った。いよいよ登山開始である。しばらくは樹林
帯の道を行く。白根御池小屋への分岐点を確認。さらに先を目指す。
やがて大樺沢の下部に出た。この先はただひたすらこの沢に沿って登っていけば良い。
ところが登山道は橋を渡り、沢の左側に出てしまった。昔は沢の右側を登ったと思うの
だが道が変更されたのだろうか。さらに登山道は沢から離れていく。「おかしい...。」
間違っているのではないかとの不安が増していく。とは言っても、ここはマークを信じ
て進むしかない。
そのうち登山道は元の沢に出た。そして目の前に橋が現れた。どうやらここで沢の右側
に出るようだ。何らかの理由で迂回路でも出来たのだろう。どうあれこれで安心感が広
がった。
対岸では一人男性が休憩中であった。どうやら私と同じバスで来た人のようだ。その人
は、私が到着すると同時に上を目指して行ってしまった。
休憩するには良い場所だ。私もここで軽く休憩を取ることにした。登りはじめて1時間
半であった。
登山道は沢沿いに上っていく。しばらくして3人の登山者に追いついた。後で分かっ
たことであるが、この3人はご夫婦とその娘さんであった。また、ちょうどここが大樺
沢二股で、ここを右に行けば右俣コースとなり、北岳肩の小屋を経由して北岳山頂へと
通じる道となる。右に入らず真っ直ぐ進んで行けば八本歯のコルを経由して山頂へ至る
道だ。結局はどちらも同じであるが、右俣コースは八本歯を経由するよりも30分も多
く時間が掛かってしまう。ここは時間の短縮となる八本歯を行くことにした。
みなさん休憩中だったようで、ちょうど出発されるところであった。私が道を譲ろうと
すると、「私達は体力が無いですから...」と逆に譲られた。「それじゃあ...
でも、私もゆっくりですから後で追い抜いてください。」と声を掛けて追い抜いた。
それからしばらくは、このご家族を先導するような形で登っていった。
振り返ると、鳳凰三山がいつのまにか姿を現していた。また、沢を見上げると、上部に
わずかに雪渓が残っているのが見て取れた。春であれば下部まで雪渓が続いているのだ
ろうが、今ではほとんどが溶けてしまい、その片鱗をのぞかせるのみである。
さらに高度を上げていく。
沢を登ること4時間、やっと上部にまでやって来た。ここからはハシゴの連続となる。
右手にバットレスを見て、一つ一つ確実に乗り越えていく。ハシゴ場だけにかなりの斜
度はあるが、私にしてみれば今までの道よりもはるかに登りやすい道だ。
後で聞いた話であるが、前日は下山者が多く、順番待ちでここのハシゴ場がなかなか登
れなかったらしい。山行きを1日ずらして正解であった。
ハシゴ場を登ること30分。やっと八本歯のコル、尾根道に到着した。遠くに北岳山荘
が見えている。ここまで来たら着いたも同然である。
この先は巨岩帯が続く。大きな岩を一つづつ乗り越えていく。道がはっきりしないが、
岩に付けられたペンキ、支柱をたよりに登って行けばなんら問題ない。時々、後ろを振
り返りながら登っていったが、いつのまにかご家族の姿が見えなくなっていた。どうや
らハシゴ場で手間取っている様子。
やがて北岳山荘との分岐点に到達した。ここを左に行けば真っ直ぐ北岳山荘へ、いわ
ゆるエスケープコースである。真っ直ぐ行けば北岳山頂。ここは迷わず山頂を目指すこ
とにした。今日は北岳山荘泊まりである。なにも急ぐ必要などどこにもない。時間は十
分にある。
ここで、別の中年ご夫婦に追いついた。ただ、休憩中だったようで、私が到達すると同
時に上を目指して行ってしまった。私もその後を追ったが、あっと言う間に離され、姿
が見えなくなってしまった。どうやら、このご夫婦は山経験者のようだ。
主稜線が近づいてきた。稜線上は風があるようで、近づくにつれて徐々に風が強くなっ
てきた。今までは半袖で十分であったが、この先はちょっと辛そうだ。稜線の手前で長
袖を重ね着した。さすがに標高3000mともなれば半袖での山行には無理がある。
いよいよ北岳山頂である。山頂到着は14:15。
山頂には、先ほどの中年ご夫婦の他、もう一組のご夫婦。それに単独行の男性1名の計
5名の姿があった。みなさん山談義に夢中でとても割り込めそうもない。とりあえず端
っこのほうに場所を確保し、リュックを下ろした。山頂周辺はガスに覆われ展望が効か
ない。かろうじて、八本歯のあたりが見え隠れする程度だ。
北岳の標高は3,193m。富士山に次ぐ日本第二位の山である。しかし、いざ登って
みるとそれほど大変な山ではなかった。時間にすれば広河原から6時間程度か。今まで
の山行を考えれば楽なほうかもしれない。歩く距離は短いし、さほど難しいところは無
いし、登山基地である広河原の標高が高いというのも理由の一つだろう。ただ、今回は
標高を考慮してテント用具一式を置いてきた。荷物を軽くしたのも、そう感じた要因だ
ったかもしれない。
そのうち、一組のご夫婦は肩の小屋方面へ。もう一組のご夫婦と単独行の男性は北岳
山荘のほうへと下っていった。それと入れ替えに、今度は別の単独行の男性がやってき
た。「こんにちは」と声を掛けると、「早かったですね」と一言。見るとそれは、水場
で私を追い抜いていった男性であった。聞いてみると大樺沢二股で右俣コースに入った
とのこと。それで私のほうが早かったのだ。
ちょうど良いタイミングである。この男性に写真を撮ってもらった。
山頂には45分程度いただろうか。いくら待ってもガスが晴れないので、諦めて山荘に
下ることにした。しかし、その途中でガスが切れだし、展望が広がり始めた。失敗した。
もうちょっと頑張っていれば北部の山々、仙丈岳、甲斐駒ケ岳あたりが望めたかもしれ
ない。もったいないことをしたものだ。
北岳山荘の直前で、先に下っていった中年ご夫婦に追いついた。また、後ろから単独行
の男性も追いついてきて、結局、私を含めた4名が同時に山荘に入ることとなった。
相次いで宿泊手続きを取った。指定された部屋は、以前泊まったと同じ、2階の“八本
歯”の部屋であった。
早速、部屋に行ってみると先客が3名ほど。見るとそれは大樺沢で私の後を登ってい
たあのご一家であった。話を聞くと、奥さんがハシゴのところでバテてしまったとのこ
と。山頂まで行くのは無理と判断し、真っ直ぐ北岳山荘を目指したとのことであった。
私が追い抜いた時に「山頂どころか、山荘まで行けるかどうか...」と冗談交じりで
言われていたが、どうあれ山荘まで辿り着けてなによりである。
結局、この日の宿泊客は、この1組3名を含めて4組7名のみであった。全員が同じ部
屋であったが、それでも、それぞれのグループが部屋の4隅を指定されたので、寝る上
でなんら問題なかった。
夕食は17:00である。夕食まで、明日行くコースの下見に出かけることにした。明
日は早発ちを考えている。真っ暗では道に迷う危険性大だからだ。
山荘周辺はテント場などあって道が分かり辛い。まずは稜線上に出る道を確認。それか
らしばらくは間ノ岳方面に向かって歩いてみた。ハイ松帯に沿って道が付けられており、
それを辿っていけば問題なさそうだ。10分ほどで引き返した。山荘に戻ってからは山
荘内の探索、荷物の整理などで時間を潰した。
やがて夕食の時間となった。泊り客が多いと落ち着いて食事もできないが、このくら
いの人数だとゆっくりと食事出来て良い。また、ファミリー的な雰囲気もあって楽しい
ものがあった。
みなさんの話によると、中年ご夫婦は百名山をほどんど登られたそうで、山のベテラン
であった。北岳直下で一気に離されたが、やはりそうであった。3人組のご家族は、娘
さんのみが山経験者で、ご両親は娘さんに連れられて来たとのことであった。この2組
は芦安から入られたようで、私が奈良田から来たというと「通れるようになったんです
か?」と驚いておられた。確かに、この道は7月の土砂崩れで通行止めになっていた。
しかし、その後開通している。このあたりは最新の情報が入手できるインターネットの
威力だ。
私が「間ノ岳から農鳥岳を経由して奈良田に下る。」と言うと、「私達もそのコースを
考えたけど、無理そうなので断念した。」とも言われていた。確かに長丁場になるだけ
に無理かもしれない。私も、明日中に下れるかどうか自信がない。よほど早く山荘を出
発しないと無理だろう。また、単独行の男性も私と同じで、間ノ岳、農鳥岳を経由して
奈良田まで下るとのことであった。歩くスピードは私より早そうだが、どうあれ仲間が
いてくれて、どこか心強いものを感じた。
食後、部屋に戻って窓の外を覗いてみると、いつのまにか東の空に満月が顔を出して
いた。また、薄っすらと富士山も姿を現している。さらに下界のほうに目をやると、お
そらく甲府あたりであろう、町の明かりがチラチラしているのが見えた。どうやら明日
は天気が良さそうだ。
しばらくはテレビを見たり、明日のコースを確認したりして時間を潰した。明日は4時
過ぎの出発を考えている。早めに切り上げ、19:00には布団には潜り込んだ。とり
あえず携帯の目覚ましを4時にセットし、眠りに付いた。
9月26日(水)
部屋では一番端っこの場所。それに横の布団は空き状態。寝るには最高の条件であっ
たが、いつものことながらなかなか眠れなかった。周りからはイビキが聞こえ始めたと
いうのに、私が眠れたのは0時を回ってからであったろうか。とは言っても何度も目が
覚めたので、浅い眠りであったに違いない。4時前には既に目が覚めており、時々携帯
の時刻を確認しながら4時になるのを待った。
4時を回った。体を起こして窓の外を覗いてみると、富士山がくっきりと見えている。
ガスが掛かっていたら出発は難しいだろうと考えていたが、これならなんとかなりそう
だ。直ぐにトイレを済ませ、荷物をまとめ部屋を出た。お隣の奥さんが気付かれたよう
で、出る時に「気をつけて...。」と声を掛けてくださった。嬉しいやら、申し訳な
いやら、恐縮しきりであった。
山荘出発は4:15。稜線上は強めの風が吹いており、さすがに寒さを感じる。防寒
具を着ていけば良かったと後悔が残ったが、まあ、歩いていればそのうち体も温まって
くるだろうと、そのまま行くことにした。
空を見上げてみるとオリオン座がひときわ明るく輝いていた。月は既に西に傾き、今ま
さに沈まんとしているところ。ある程度の月明かりを期待していたが、これでは全くダ
メである。ヘッドライトの明かりだけが頼りだ。
昨日確認しておいたハイ松の道を辿っていく。なんら問題ない。ところが、15分程度
行った所であろうか、行く手をハイ松帯にさえぎられた。道はどこだろうと探すが、ど
うにも分からない。しばらくは行ったり来たりを繰り返したが、やはり分からない。
「困った...」日の出までにはあと50分もある。この寒さを考えると明るくなるま
でここで待つには辛いものがある。それに、仮に道が見つかったとしても、こんな状態
ならこの先不安が残る。どうするか悩んだが、ここは一度撤退するのが正解と判断。
引き返すことにした。引き返すのも一つの勇気であろう。
山荘に戻るとみなさん既に起きていて、バタバタと慌しかった。玄関のところでは単
独行の男性が出発の準備中。「どうされました?」と聞かれるし、他のみなさんも「ア
レッ?」といった顔をされてるしで、どうにもバツが悪かった。昨夜の意気込みは何処
へやら。ここは“勇気ある撤退”として許してもらいたいところである。
単独行の男性は、早く出発したいといった感じであったが、弁当がまだ出来ないとのこ
とで足止め状態。他のみなさんは朝食待ちといったところであった。やがて弁当が出来
上がり、その男性は弁当を受け取ると直ぐに出かけていった。5時過ぎであったろうか。
また、それに合わせるように食堂では朝食が始まった。私は朝食は頼んでいない。玄関
先の椅子に座って珈琲とロールパンをかじって朝食とした。
さて、問題はこれからどうするかである。
この時間に出発しては、今日中に大門沢を経由して奈良田まで下るには危ういものがあ
る。であるなら、間ノ岳を往復し、大樺沢を引き返して広河原に出るのも一つの手だ。
広河原に下るとすれば、間違いなく今日中に奈良田まで戻ってくることが出来る。ただ、
バスの時間を調べてみると、バスは昼に一本あったっきりで、それ以降は16時まで一
本もない。となると広河原でかなりの時間を潰さなければいけなくなる。どちらのコー
スを選択するか、微妙な判断を迫られそうだ。
どうであれ、今回の目的は間ノ岳である。まずは間ノ岳を目指すことにした。どうする
かは、その時の状況を見て判断することにした。
男性に引き続き、中年のご夫婦が出発していった。5時半ごろであったろうか。私も
10分ほど遅れて山荘を出発した。
稜線に向かって歩いていると、山荘の横のほうに、先に出かけられたご夫婦の姿が見
えた。どうやら日の出を見ておられた様子。東を見ると、まさに陽が昇らんとするとこ
ろであった。天気は快晴。素晴らしい眺めである。
しばらくして今朝ほど迷った場所にやってきた。見ると、なんてことない、右横にしっ
かりとした道が付いているではないか。私はただひたすら、上のほう上のほうへと目指
していた。昼間は分かりやすい道なのに「真っ暗だとこうも違うか...」といった感
じである。やはり早発ちは、せいぜい日の出前30分が正解なのだろう。ちょっと早く
出すぎた。失敗であった。
中白峰を越え、間ノ岳へと比較的緩やかな坂道を登っていく。快適な山上散歩といった
ところか。やがて前方に、山頂らしき標識が見えてきた。いよいよ間ノ岳山頂である。
山頂到着は山荘から1時間半。ほぼ予定通りの到着であった。
間ノ岳は、穂高に次ぐ日本第四位の山である。とは言っても穂高岳から1m、北岳から
は4m低いのみ。なんら見劣りはしない立派な山である。山梨県側からみると、白峰三
山の真中にあって、右に北岳、左に農鳥岳を従え、その姿はまるで南アルプスの横綱と
いった感がある。山頂付近は広い台地状になっていて、さすがにその山のふところの広
さ、雄大さが感じられた。
ふと見ると、そこには一人の男性の姿が...。それは早発ちしたあの男性であった。
「あれ? まだ居られたんですか?」と声を掛けると、「弁当を食べていたんです。」
とのこと。これでは朝食を頼んでいても同じことではなかったか。普通だったら、弁当
は前日のうちに登山者に渡すものなのだが。ある意味、お気の毒であった。
改めて周辺を見回してみると、富士山はもちろんのこと、遠くには北アルプス、中央ア
ルプス、そして目の前には塩見岳を筆頭に南アルプス南部の山々が連なっている。さら
にその左には農鳥岳の山塊がそびえ立っていた。素晴らしい眺めである。
その男性は私に、「予定よりも30分早いペースで来ています。どうされますか?」と
一言残して農鳥岳目指して行ってしまった。これだけの良い天気で、引き返すのはもっ
たいない気がする。どうするか迷ったが、とにかく行けるだけ行ってみることにした。
ダメなら大門沢小屋泊まりにすれば良いのだから...。小屋泊まりにするか奈良田ま
で下るかは、大門沢小屋に着いてから判断すればよい。とにかくリミットは、大門沢小
屋到着が14時とした。これ以降になると奈良田到着が遅くなってしまう。暗くなって
からの山歩きは絶対に避けなければいけない。
中年ご夫婦に写真を撮ってもらい、急ぎその男性の後を追った。しばらくは台地上に
付けられた緩やかな道を行く。しかし、ある程度行ったところから急激な下り坂へと変
わっていった。かなり下のほうに農鳥小屋が見えている。「あそこまで下らなければい
けないのか...」呆然であった。それより、そこから同じ高度を登り返すことを考え
ると気が遠くなりそうだ。
しばらくは男性の後ろ姿が見えていたが、あっという間に離され、姿が見えなくなって
しまった。その代わりに、今日最初の登山者が登ってくるのが見えた。おそらく農鳥小
屋に泊まった人だろう。それは女性であった。すれ違い際にニコニコしながら「この先、
滑るような場所ありますか?」と声を掛けられた。すれ違いではあったが、近くに誰か
いてくれると心強いものを感じる。
いよいよ鞍部、農鳥小屋が近づいてきた。小屋のほうを見ると、東方を眺めている一人
の男性の姿があった。どうやら、ここの管理人のようだ。「愛想が悪い」との評判なの
で、ここは接触は避けたほうが良さそうだ。ただ、私が近づいたのを見て取ってか、直
ぐに姿が見えなくなってしまった。
やがて農鳥小屋に到着。小屋の西側を回ろうとしたが、“ここは通れない”との表示が
ある。ならば東側かと覗いてみるが、こちらはテント場のようで、行けるかどうか分か
らない。仕方なく小屋のど真ん中の通路を突っ切って行くことにした。私が近づいたこ
とを察知してか犬が吠えている。また、正面の部屋には管理人の姿があって、犬を叱っ
ているのか、なにか怒鳴るような声が聞こえてきた。とりあえず軽く頭を下げて小屋を
通過した。
ここから道は登り始める。いよいよ農鳥岳への取り付きだ。かなりの急坂である。と
にかく慌てず急がず、一歩一歩踏みしめて登ることを心掛けた。
なにげなく見上げると、かなり上のほうに男性の姿が見えた。おそらくあの男性だろう。
なんとか追いつきたいと足を早めてみたが、行けども行けども追いつけない。そのうち
また姿が見えなくなってしまった。さすがに山には慣れた人だ。
ある程度登ったところで振り返えると、屏風のように立ちはだかる間ノ岳の姿が見えた。
深田久弥が「その図体の大きいことは日本アルプス第一だろう。」と書いたのもうなづ
ける。すごい重量感である。
やがて登山道は、農鳥岳の山塊を西側に巻き始めた。そして裏に回込むと、緩やかな道
へと変わっていった。また、遠くには標識が見えている。「あそこが山頂か? やっと
山場を越えたか」と勇んで行ってみると、なんてことないそれは単なる方向を示す標識。
その先を見てみると、まだまだ登ったり下ったりの険しい道が続いている。さすがは農
鳥岳。そうは簡単に登らせてくれない。ガッカリであった。
そのうち登山道は下り始めた。あまりにも下りすぎて若干の不安が過ぎったが、どう考
えても道はここしかない。しっかりペンキを辿っているので間違いないはずだ。
案の定、しばらくして道は登りはじめ、いよいよ最後の登りに取り付いた。また、この
あたりで大きなリュックを背負った若者二人に追い付いた。今まで全く姿が見えなかっ
たというのに、どこから現れたのだろう。不思議であった。
後で気づいたことであるが、おそらく西農鳥岳に登っていた違いない。私も西農鳥岳の
存在は分かっていたが、ここを通過する時にはすっかりそのことを忘れていた。確かに
農鳥岳よりも標高が高いのではないかと思えるところがあって、おかしいと思いながら
通過したが、そこが西農鳥岳だったのだ。標識がどこにも無かったのでついつい通り過
ぎてしまったが、今から思えばもったいないことをしたものだ。簡単な標識で良いから、
立ててくれたらと思うのだが...。西農鳥岳は農鳥岳よりも25mも高いのだから、
何も無いなんて西農鳥岳に失礼ではないか。
農鳥岳到着は9:25であった。早速、同時に登ってきた若者に写真を撮ってもらっ
た。
その若者達に、今日はどこまで行くか聞いてみると、大門沢小屋まで行くとのことであ
った。ちなみに、その日は農鳥小屋に泊まったそうだが、管理人に「今日中に奈良田ま
で降りる。」と言ったら、「1時間早く出ないとダメだ!!」と怒られたそうだ。やは
りここの管理人はちょっと難しいところがある。もし、私がここに泊まっていたとした
ら、私も同じように怒られていたに違いない。
若者たちはここでゆっくりして行くとのことだったので、先に行かせてもらうことにし
た。
今から思えば、間ノ岳から農鳥岳の間が一番きつかったように思う。ここの急登、アッ
プダウンで、かなりの体力を費やした気がする。
農鳥岳からは緩やかな下りとなる。途中、反対側からやって来た中年のご夫婦に下降
点の場所を聞いてみた。すると、「あそこに見える黄色い櫓のところがそうです。」と
教えてくれた。見るとそんなには遠くない。この時点でやっと山場を越えた気がした。
黄色い櫓までやって来た。ここが大門沢への降下点だ。時刻は10時過ぎ。予想以上
に早いペースで来ている。ここから大門沢小屋までは、コースタイムからすると2時間
半ほど。とすれば13:00には小屋に到達出来るはずだ。この調子なら一気に奈良田
まで下ることも可能かもしれない。休まずハイマツ帯を降りていった。
いきなりの急坂である。つま先に痛みを感じる。これはマズイと広い場所を見つけ、も
う一枚靴下を重ね履きした。さらに靴紐をしっかりと締めなおした。しかし、下るにつ
れてどんどん足が痛くなってくる。それに合わせ、下るスピードも一気に落ちてきた。
この状態なら、もうちょっと余計に時間を見ておく必要がありそうだ。
とりあえずの目標は大門沢小屋である。「大門“沢”小屋」と言うくらいだから沢が現
れないことには始まらない。とにかく沢が現れるまで何も考えず、ただひたすら下り続
けることを心掛けた。ほんの僅かであるが、どこからか水の流れる音が聞こえてくる。
そして、その音が少しずつ大きくなっていった。
それはいきなりであった。左側に沢が現れた。ただ、沢というより“切れ落ちた谷を走
る水”といったほうが正解かもしれない。眼下をものすごい勢いで水が流れ落ちている。
とてもこんなところ降りれたものじゃない。
しばらくは、この谷川に沿って登山道は続いていた。やがて水が汲めそうなところまで
降りてきた。それ以降はいたるところに水場が現れた。どうやら小屋が近そうだ。
どのくらい下ったであろうか。やっと樹林帯の中に赤い屋根が見えてきた。いよいよ大
門沢小屋だ。大門沢小屋到着は13:30であった。
とりあえず小屋の正面に回ってみることにした。そこには売店があって、一人の男性
が店番をしていた。売店の前には椅子と机がある。その男性に一声掛けて椅子に腰を下
した。
さて、これからどうするかである。地図を広げて今までに掛かった時間を計算してみる
と、下り始めたのが10:10。小屋到着が13:30であるから、3時間20分も掛
かっていることになる。コースタイムでは2時間30分となっているから50分もオー
バーしている。
次に、この先のコースタイムを見ると、林道までが2時間30分。さらに林道を歩いて
奈良田までが40分となっている。合計すれば3時間10分である。また、小屋にも
“奈良田まで3時間”と記載されている。とすれば、私のペースからすれば林道までが
3時間半。奈良田までが4時間半と考えておいたほうが良さそうだ。とすると今が
13:30であるから奈良田到着が18時になってしまう。この時間では周囲はもう真
っ暗だ。微妙な判断を強いられる。
「うん〜 どうしたものか...」どうにも一人で決められず、小屋の男性に聞いてみ
ることにした。「この先、険しいところありますか?」すると「今までと同じです。」
との返事が返ってくる。さらに「3時間で奈良田まで下れますか?」と確認してみると、
「はい 下れます。」と返ってくる。
小屋の人が自信を持って「下れる。」と断言しているのなら、ここは行くしかあるまい。
思い切って下ることにした。となれば長居は無用。直ぐにその場を後にした。
ここからは各所に橋が掛けられ、沢を横切ったり、支流を渡ったりが増えてきた。
確かにそこには橋が付けられているが、その橋というのが足幅に合わせて丸木、鉄パイ
プが並べてあるだけというもの。ほとんどハシゴであった。それも手作りで、いつ崩れ
てもおかしくない状態。おおよそは手すりは付いていたが、中には手すりのない橋もあ
ったりしてそこそこ怖いものがあった。
しばらくして登山道は沢を外れ、心なしか登り始めた。どうやら尾根を一つ越えるよう
だ。やがて登山道は尾根を越え、緩やかな下りの道へと変わっていった。地面も土に変
わり、今までが岩と根っこ中心の道であったことを考えると、はるかに歩きやすい道に
変わった。このまま、この道が続いてくれたら嬉しいのだが...。
このあたりで1人の登山者とすれ違った。この時間からして、今日は大門沢小屋に泊ま
るのだろう。樹林帯の中の道だけに暗くて薄気味悪いものがあったが、こんなところで
仲間に出会えて、なんとなくホッとするものがあった。結局、この人がこの日最後に出
会う登山者であった。
やがて登山道は急坂を下りはじめた。ここが地図にある八丁坂であろうか。登りの急
坂はさほど怖さは感じないが、下りの急坂は怖さが倍増する。おっかなびっくりそこを
下っていった。
しばらくは、また沢沿いの道を行く。どのくらい下ったろうか、やがて下のほうにコン
クリートの施設が見えてきた。どうやら発電所関係の施設のようだ。また、吊橋も見え
てきた。ここには3つの吊橋があると聞いていたが、その一つ目にやっと到着だ。吊橋
の下ではヘルメットをかぶった数名の作業員が作業中であった。大門沢への下降点から
ここまでで出会った登山者は3名のみ。こうして一般の人の姿見ると、ホッとするとと
もに下界に降りてきたことを実感する。
吊橋を渡り終えると大きな貯水池の横に出た。発電所の取水口であろうか。覗き込んで
みるとかなりの深さがある。
近くに作業員がいたので林道までの時間を聞いてみた。「林道まではどのくらい掛かり
ますか? バスが走る道までなんですが...。」
すると、「20分から30分くらいでしょう。」と返ってきた。時計を見ると、現在
15:50である。とすると林道には16:20には到着することになる。「よし!!
後は時間の問題だ」心が弾んだ。
もし16:30までに辿り着けたら、広河原からのバスに間に合うかもしれない。昨夜
調べたところでは、広河原発16:00のバスがあって、奈良田着が16:50となっ
ていた。とすれば16:30までに林道に辿り着けば、間違いなくこのバスに乗れる。
それから直ぐに二番目の吊橋に出た。最初の吊橋は鉄の板が敷き詰められていたが、こ
の吊橋は、板が三列に並べてあるだけ。隙間からは下の谷底が見えている。ちょっと怖
いものがあった。出来るだけ谷底は見ないようにして、足元の板のみを見て渡るように
心掛けた。へっぴり腰。人には見せられない姿だったろう。高所恐怖症の人だったら、こ
この吊橋を渡るのは大変だ。
さらに三番目の吊橋が現れた。ここは砂防ダムかなにかを建設しているようで、数台の
トッラク、車が河原に入り込んでいた。吊橋を渡るのかと思いきや、ここの吊橋は通行
止めになっており、右の山側を回り込むような形で迂回路が出来ていた。結局、渡った
のは普通の橋であった。
ここから先は車も走れるような広い道になる。時計を見ると既に16:20になって
いた。先を見ると、まだまだこんな道が続きそうだ。南アルプス林道(公園線)は野呂
川の谷間を走る道である。ということは、対岸の山が見えて来なければこの道が終るこ
とはない。16:30到着がきわどくなった。作業員が言った「20分から30分」と
いう言葉はいったいなんだったのだろうか。大嘘であった。
急ぎたいが足が痛くて動かない。ダラダラと、ただひたすらその道を歩くしかなかった。
やがて前方に車止めが現れた。いよいよ林道に出そうだ。車止めを越えると今度は大き
なコンクリートの建物が見えてきた。第一発電所に違いない。それに林道も見えた!!
時刻は既に40分になってる。この時間からすればバスはもう行ってしまったに違いな
い。諦め気分で林道に辿り着いた。とにかく、まずはここで休憩だ。
ちなみに、この林道を右に行けば奈良田温泉。左はトンネルの出口になっており、その
先は広河原である。バスが来るとすればトンネルを抜けてやってくるはずである。
とりあえず休憩しようと1,2歩林道に踏み出した時であった。どこからか「シャー....」
という音が聞こえてくる。「ん? この音は....。」期待半分で恐る恐るトンネル
の奥を覗き込んでみた。すると、奥のほうに二つのヘッドライトが光っているのが見え
る。ここは一般の車は走れないはず。「とすると...。」よく見ると、頭の部分に行
き先を示す表示板が光るっているではないか。そしてそこにははっきりと“身延駅”と...。
「間違いない。バスだ!!」間一髪間に合った。ぎりぎりセーフであった。バスは直ぐ
にやって来て、目の前に止まった。時刻は16:42。助かった。ここから林道を歩く
とすれば40分は掛かるところ。おまけに足を痛めての林道歩きは辛い。おそらく、奈
良田に辿り着くころには、あたりは真っ暗になっていただろう。もし1分。いや、30
秒でも到着が遅かったらバスには乗れなかった。ほとんど奇跡に近い出来事であった。
バスは、ほとんどの席が埋まっていたが、一席だけ空きがあった。すかさずそこに腰
を下ろし、一息ついた。ヤレヤレであった。
バスは河原の駐車場を通過し、あっと言う間に奈良田に到着した。定刻通り16:50
に到着。第一発電所から8分であった。この時ほどバスのあり難味を感じたことは無か
った。
駐車場まで戻ってきた。早速靴を脱いで足を見てみると、やはり右足の小指に血豆を
作っていた。さらに薬指にも....。左足の小指も危なそうな状態だ。毎回のことな
がら今ひとつ靴がしっくりいかない。ただ、今回は靴下が良かったようで、足の裏には
豆は出来ていなかった。今度山に行く時は、もうちょっとしっかりと靴紐を結んでみよ
うと思う。それでもダメなら靴を変えるしか無いだろう。長年、山には通っているが、
未だに靴に関してはよく分からない。
急ぎ、服を着替えた。そして、暗くならないうちにと、ラジュウスとかコッフェルを持
ち出しお湯を沸かした。実は、朝から食事らしい食事を取っていないのだ。ロールパン
数個を齧ったのみ。今回は、ある程度こうなることを想定して、お湯で戻せば食べられ
る”海老ピラフ”を車に入れてきておいた。おかずは無いが、とりあえずはこれで十分
である。
食後は直ぐに布団にもぐり込んだ。これから車を運転するには無理がある。今日はこ
のままここで眠ることにした。この時、既に外は真っ暗。バスに間に合って本当に良か
った....。
9月27日(木)
2:30ころには目が覚めた。計算してみると6時間は寝たであろうか。疲れていた
せいか、さすがにこの日はぐっすりと眠ることが出来た。
もうそろそろ運転しても大丈夫だろう。車が少ないうちになんとか山梨県、神奈川県を
抜けてしまいたい。直ぐに駐車場を出発した。
奈良田から早川町あたりは、ほぼ一本道。途中、幅の狭いトンネルなどあったが、なん
なく抜けていった。この間、かろうじて2台の車とすれ違っただけだった。この時間か
らすれば登山者の車だったかもしれない。
国道52号からは北上。韮崎方面の標識に従って進んで行く。「もうそろそろか...。」
と思ったあたりで“開国橋”という標識を見つけた。この橋を渡れば国道20号に合流
するはず。すかさずそこを右折。しかし、行けども行けどもそれらしき橋が見つからな
い。「引き返してみるか...。」と思ったあたりで、やっと“国道20号”との標識
を見つけた。迷わずそこを右折。するといつもの見慣れた道に出た。どうやら遠回りを
していたようである。ただ、迷ったとはいえ、この時間帯である。余裕で車を走らせる
ことができた。早発ちして正解であった。
車はスムーズに流れ、笹子トンネルを通過。さらに神奈川県の各地を走り抜け、あっ
という間に高尾に到着した。このころにはあたりはすっかり明るくなっており、徐々に
車も増えきた。そして、思ったほどの渋滞にもならず、8:00には自宅に戻りつくこ
とが出来た。
前のページに戻る