虹 は 何 色 に 見 え ま す か?



下條 茂

シュタイナーについて、あまり知識がないので恥ずかしいのですが、私は治療家という仕事をしていますので、その中で関係のあるところだけ過去に勉強したのを覚えています。

その中で感じたのは、私は先にアメリカで西洋医学、数年して東洋医学を勉強したので、医学という観点から考えるとシュタイナーの考えは、全人的に、宇宙的に本当に東洋医学的な発想に近いと思いました。

けれど、一つひとつを考えたとき、キリスト教と仏教の違いから、時間でも、一方は矢、片方は環としてのイメージが強く、発展過程を見ていくとき、様々な点、価値観の違いを認識する必要があるのだと思います。

これには民族の違い、人種の違いを認識することから始めないといけませんね。

例えば、みなさんがシュタイナーのことを、知らない第三者に説明するとき、あたり前のように「魂」「神」「エーテル体」という単語を出しただけで、色眼鏡をかけてくる人がいるかもしれません。

この会報の「虹」という言葉でも、西洋と東洋では認識が違います。言語表現の豊かな日本は、赤、橙、黄、緑、青、紫、藍の7色をあげます。英語圏では、赤、橙、黄、緑、青、紫の6色。メキシコなどの原住民は、黒、白、赤、黄、青の5色を虹色と言います。

人間は、この使用する言語の特徴、構造によって、その人の認識や思考の形が制約されたりするのです。そんなことを踏まえて、自分から世界を見るのではなく、世界から自分を見られるようになると、シュタイナーに限らず、ある意味での本質が透けてくると思うのです。これを専門用語では言語相対性と言います。

例えば今、この場で、眼から10cmくらい離して指を1本置いてみてください。そしてその指を見ながら、もう一方の手を見えなくなるまで動かしてみてください。どこまで見えましたか? 1mですか? それとも70cmでしたか? それとももっともっと先まで見えましたか?

それが他の人も同じだと思いますか?

何人かでやると、みんな見え方が違うのです。

どういうことかというと、眼の位置、右眼と左眼の間のキョリ、顔の形などが様々に作用して見える幅が決まってくるわけです。これを構造神経学と言います。例えば、犬を例に取ると、私が飼っているドイツ産のシュナウザーはネズミ捕りが仕事なので、眼は前方についています。また盲導犬に適しているゴールデンレトリバーは周りを見渡せるように、横に眼がついています。みんな見えるもの、感じるもの、形からでも、性格、特性が違ってくるのです。

これは人間も同じで、生きていくうえでも長年の中での情報量の違いや、価値観の違いを生む一つの要素になっています。みんなで見ている夕陽も、実はみんな同じには見えないというわけです。

そうすると、そんな中で、シュタイナーと聞くだけでイヤな人がいるかもしれませんね。けれどそんな人に、シュタイナーはいいよ、と言っても、ライオンに健康にいいから野菜を食べたら、と言っているようなものと感じる場合もあるかもしれません。

顔相学でシュタイナーの顔を見てみると、眉と眼はくっついていますから、精神構造学では気楽にフランクに付き合える人で、眼と眼の間のキョリが狭いですから、細かい物事を考えたりするのが得意で、前頭部の構造から理論的な人だと考えることができます。こんな彼だから、細部にまで気を配った理論的な体系ができたのかもしれません。シュタイナーが自分の本棚に本といっしょにスリッパを入れてしまい、失くしてしまったと勘違いし捜しまわったというエピソードを聞くと、やはりな、と思ったりします。

シュタイナー理論を、シュタイナーの使う言語、生活圏、過去の歴史、理論と照らし合わせ、全体から眺めてみると、チャクラ、東洋的な五行説、主要経絡12と任脈、督脈合わせて14になるのですが、そんな体系と、単語や用語が違うだけで同質の内容を言っているように思えます。

例えば、心はどこにあるのか?

どこにあると思いますか?

頭と言ってしまうと、説明がつかなくなることが多いです。学校へ行きたくない子どもがお腹が痛いことで行かなくてもいい。でも頭では行かなければならないと思っている。過食症の人が食べすぎだと頭では分かっていても、食べるのをやめられない。自殺は悪い、人を殺すのも悪いと知っているのに、戦争や死を選択する人もいます。

みなさんも、甘いもの、カフェイン、タバコ、お酒等など、頭では体に悪いと分かっていてもやめられないことがあるでしょう。

それは、心は頭ではなく、身体(ハート)、内臓に欲や心があるからなのです。事実、肺と心臓を同時移植すると、その臓器提供者の心が移ると言われています。犬嫌いの人が犬好きの人の臓器をもらうことで、犬が好きになってしまうのですね。

心の始まりは臓器で、お腹が空いたから獲物を摂取する。自分を殺したいと思えば、癌にもなってくれます。生殖行為をしたいからレイプをしてしまう。臓器が心の一つだと思えばいろいろなことが分かってきます。

汚いと言いながら、あなたもウンコをするでしょう。でも、お腹にある間は汚いと思わないのに、体の外に出たとたんに汚いものになってしまうのです。不思議なものですね。頭ではどうしようもない感情がそこにはあるのです。

東洋医学の五行で、火、土、金、水、木があります。その中に12経絡が分類でき、水は腎系、膀胱系とつながり、怒り、恐怖、不安の感情をもっています。筋肉は大腰筋、ひ骨筋とつながり、怒りは腰に、そして、不安や恐怖で足がすくむということにもなります。

一分間に打ち寄せる波は18回です。これは地球の波動なのですね。人間の呼吸数も一分で18回。それを2倍すると36回です。36は平常体温、その倍の72は、人の平常心拍数です。72の倍数は144、これは最高血圧なのですね。これを軸にすると、人間は身体の中に宇宙をもち、月、太陽、地球などの外側の宇宙と調和してリズムを刻んでいるのが分かります。そのリズムや心に働きかけるサインや音が、オイリュトミーなどのワークなのでしょう。

けれどまた、演歌やある人にとってはうるさいとしか思えないハードロックやダンスなどで心が動く人もいるのは確かです。これらの奥にある本質が分かると、優劣の関係ではなく同質のものからの観点を持てます。

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私の家は新潟県の柏崎ですが、この地はキリスト教の教会が日本で最初にできた軽井沢と同じくらいの時期にでき布教活動が盛んです。家のすぐそばに教会があり、当時そこにあったアメリカンスクールの子どもたちと遊んでいたのを覚えています。子どもたちと遊び、その後に甘いケーキを食べるために英語とお祈りの言葉を覚えたのを記憶しています。

また、家は13代続く旧家で、日蓮がたどり着いた町でもありますから日蓮宗を守っていました。こうして同時にさまざまな宗教観に触れることができました。実家は旅館をしていたので、泊まりに来る人、仲良くなってもすぐにいなくなる友達、結婚式、お葬式、別れと出会いが多くありました。旅館の手伝いを小さなころからすることで、お金がどのように流れていくのかを知ることもできました。

話を戻しますと、一つの思想は18%の人に受け容れられ、後はまったく分からない人が30%いるということを認識していると世の中が楽になります。単純に70%の人が自分とは違う価値観を持っていると考えれば、相手が分からない人だと考えるより、自分の方が変わり者なのだと思う感覚の方が大事になってきます。

日本では前に挙げた価値観の違いから受け容れられなく、実践できなくても不思議なことではないですし、自分を責めたりストレスに感じる必要もなくなります。みんな見えているものは違うわけですから、その違いを楽しむくらいの余裕があってもよいはずです。

東洋医学など古くからあるもの、シュタイナー思想、カオス理論、フラクタル幾何学、量子力学なども、身体や世界は相互に依存した活動の調和的集合の中で、結果として認識されているということを示唆しているように思えます。

優れたオーケストラが、すばらしい演奏ができるのはなぜなのか?

それは、一つひとつの楽器が互いに調和とバランスを取り合っているからです。複雑な体、脳の構造であっても、一つの神経伝達物質、一つの神経回路、一つの脳領域は単純には作用しません。すべての神経作用が一致し協力しあって作業した結果が調和として現れるのです。研究すればするほど、脳機能一つとっても、相互に依存した活動の調和的集合体で、それが結果的に人としての全体(ホリスティック)を創りあげているだけなのです。

フラクタル幾何学の父ブノワが考案した「蝶の概念」が良い例ですが、中国で一匹の蝶が羽ばたいた空気の乱れが、最後には世界の気象パターンをも変えます。風が吹けば桶屋がもうかるみたいなもので、今のあなたのしている息も、世の中の二酸化炭素、酵素の量を変えているのは紛れもない事実です。

そんな中でシュタイナーが創りあげた思想を学び、実践しているみなさんにたくさんの風を出していってほしいと願っています。

また、忘れてはならないのは、のんきに暖かい家の中でご飯を食べ、残し、パソコンに向かっていられる自分がいて、その同じ時間に、戦場で、飢えで、死んでいく子どもたちがいるということを知ること。そんな視点に自分を置いたとき、私は不幸だとか、恵まれていない、死にたいという言葉をその人たちの前で言えるのかどうか、いつも自問します。

これから、お水を飲み、トイレに行き、トイレットペーパーを使うことができ、水洗の水を流すことができ、タオルで手を拭くことのできる自分を幸せだと思い、治療にあたります。

またどこかでお会いできることを期待して、このような場を与えてもらった機会を喜び、読んでくださったみなさんに感謝をこめて結びにします。

「新潟シュタイナー通信・ティンクトゥーラ虹 2003」