私とシュタイナー



快 医 学 に 導 か れ て



佐々木 久子

快医学と出逢ってもう何年になるのだろうか。
私にとって、なぜ快医学が必要だったのか、もう一度、思い起こす機会となるように思う。

わが身の健康について真剣に考え始めたのは、今の職場での仕事に就いて、1年目のことだった。1989年の秋のことである。韓国旅行を考えていた時、パスポートをとる為休暇を取り、時間があいたので、主婦健康診査で子宮ガンの検査を受けたのだった。その1,2ヶ月前から腹部の違和感と膨張感が気になっていたので、ちょうど良い機会でもあった。その時、医師の診断は、「あなたは、外国に行って死ぬつもりですか。卵巣が子どもの頭位の大きさになっていますよ」というものだったのである。まさに、晴天の霹靂だった。

婦人科の腫瘍外来のある病院を求め、不安を抱えながら、手術前の検査、そして手術、3週間ほどの入院生活となった。卵巣膿腫という診断ではあったが、内部に充実部があり、卵巣がんの可能性も否定できず、安全を期して腹部にチューブを残し、抗ガン剤を入れる処置をした。さらに、退院後も3ヶ月に一度は、入院して腹腔鏡検査を受けるよう義務づけられた。3日間の入院と、検査後の不快感に悩まされた。加えて、卵巣、子宮摘出後の身体は、ホルモンのバランスが崩れ、疲れ易く、突如として更年期が訪れたような感覚に悩まされる日々だった。それでも手術後、2,3回はその検査を受けただろうか。

1994年(だったと思う)のある朝、慌てていて車の自損事故を起こしたのを契機に、そんな定期検査に行くことを辞めたのだった。車は電柱にぶつかり大破、頭でフロントガラスが割れる程で、一度、死を体験したような思いがあった為である。その後、癌患者とその家族のワークショップを通じて、ホリスティック医療と出逢った。まさに心身一如、適切な食事と、日々の健康への配慮、そして満ち足りた精神生活こそが自然治癒力を増すことを認識したのだった。

しかし、認識と現実とのズレは大きい。自らの健康を志向しながらも、現代人なら当然の如くの仕事、家事、子どもたちの問題と、加重ストレスの為か、この後、しばらくひどい湿疹に悩まされるようになっていた。これが、緩急はあったが、2年ほど続き、ここで初めて、快医学と出逢うことになる。角質化した皮膚の醜さに驚き、副腎皮質ホルモンの投与を受けるに至り、薬害による身の危険を感じたのかもしれない。肝腎脾のアイロンの手当、飲尿とプロポリスの服用を、副腎皮質ホルモンを少しずつ減らしながら、始めていった。その時のLet(注1)で初めて、2年間悩まされてきた原因不明の皮膚病は、実はヘルペスに依るものだったと判明したのだった。皮膚科で原因不明とされ、あげくは皮膚の老化によるものという診断だったのである。こうして、鍼灸師である友人からの指導を受けつつ快医学的手当てを実践するうち、いつの間にか、ひどい湿疹、さらに10年来の蓄膿もほとんど治癒したのだった。

こんな経験を経て、快医学の40時間セミナーを受講するに至る。その時のテーマは、「すべての人はスーパードクター!」現代の行き過ぎた専門家任せの医療から、自らの健康を自らの手に取り戻すというこのキャッチフレーズは魅力的だった。しかし、その時は、今ほどの真剣さがあったかどうか、心もとない。

快医学との真剣な取り組みは、その後、今から3年程前、当時89才の母が風邪をこじらせ肺炎となり入院し、検査の結果、アミロイドという心臓病と診断、余命は半年と言われた時だったと思う。病院での患者に対する非人間的ケアに失望し、姉と相談し、入院でぼけ始めた母を退院させ、在宅看護を始めたのである。訪問医師と看護婦の支援を受けながら、在宅で2年の時を楽しく過ごし、安らかに自宅で亡くなった。その間、私は仕事を続けながら、朝、昼、晩と勤務先から近い実家に通い、活生器(注2)、アイロンの温熱手当、糾励根(注3)の使用、またアロマテラピーやリフレクソロジーと、自分の持てるすべてを注いで、手当てをする2年間を過ごしたのだった。気持ち良さそうに微笑んでいる母を前に、手当てができる自分自身に感謝したものだった。今でも、訪問医師から「後1週間ほどです」、と告げられた時のことを思いだす。その晩から、私は実家に泊まりこんだ。柔らかな音色のパンフルートのCDをエンドレスにかけ、まさに死を迎えようとする母の部屋を花で飾った。安らぎに満ちたその空間は、私たち三人の娘たちにとって、母と過ごす最後の1週間となったのである。母が目覚める時には、そのベッドには、平和と笑みさえあった。死の瞬間を迎えたその時、蛹のように不自由な肉体の病から開放され、羽ばたく蝶へと自由の中に飛び立った母を囲んで、医師や看護婦を交えて私たちは写真を撮ったのだった。

そして、現在、亡くなった母の唯一残された兄、都内に住む95才になる叔父にも、やはり時々伺っては、手当てをさせて頂いている。叔父も肺機能が落ち、酸素を欠かせない日々、入浴も介護サービスを利用する状態で、日一日と弱くなっているようだ。そんな叔父に、手当てをさせて頂き、気持ちよさそうな姿を見る時、こうした介護ができることに改めて感謝の思いが湧き上るのを感じる。

現在、シュタイナー思想の流れを汲む一つのセラピー、バイオグラフィー・ワークを学んで2年目になる。人生を7年周期で振り返り、過去の自分の生の軌跡を辿りながら、今へと続く自分自身の生を見つめる。一つひとつの軌跡は、人との出逢いでもあり、また出来事であったりする。それらを一つずつ書き留めてみると。自分自身の人生の軌跡が不思議な織物のように描かれてくる。時には、鏡のように年齢に対応していたり、また、変容していったりする。そんなワークをする中で、自己の内面の傷に再び向き合い、身体の不調に至る方々もおられる。つくづく、心身一体なのだと感じる瞬間でもある。そんな時、互いに身体に触れ合う快医学的手当てをすることで、とても安らいだ思いに導かれるのを感じる。

快医学は、まだ「仮説」だと瓜生氏はその著書の中で言われる。現代は科学的であることのみが良いこととされ、学問的に実証することが求められる時代である。人間は不思議な存在であり、そのメカニズムは科学的に実証することができない部分が殆どと言ってもよいだろう。科学を超えるのではなく、科学を相対化する必要を感じるのである。科学的対応では、解決できない多くの不可思議さを抱えながら、それでも進んでいく、そんな雰囲気を快医学に感じる。この雰囲気は、シュタイナー思想にも共通する部分として私には感じられるのだ。きっと、この「良い感じ」が、私が快医学にずっと惹きつけられ続けている理由なのだろうと思う。母を手厚い看護で看取った、あのなつかしく、満ち足りた日々を思うと、こんな方法に出逢えた偶然、いや必然を感じてしまう。

今、自分がどの方向に進むべきか、思いあぐねている。17,8年勤務した神学校の職員であることを辞める決心はついている。しかし、夫が牧師として勤務する地、遠き島根に共に行くべきか、それとも独りでしばらく、自分を見つめる時間を与えようか、と思いあぐねているところである。夫は、昨年の今頃、脳出血で倒れた。学校の教員である彼は、生徒たちを剣道の試合に引率していて倒れたのだった。幸い、視床下部直撃は避けられて、入院中は右手足に麻痺があり、絶対安静の10日間を過ごした。毎日、病院に通い、麻痺した手足のオイル・マッサージをしたのだった。彼が入院した病院は、あのセラチア菌で有名になった脳外科で、同じ病室だった方が、何人も亡くなったのである。1年経った今、すっかり快復し、マラソンができるまでになった。今、彼は教師を辞める決心をし、残された人生を若き日に志した牧師に戻る道を選ぼうとしている。そんな彼の姿を見るとつい、尽くしてしまいそうになる自分がいる。自分自身の「快」より、他者の「快」を求める衝動が生じるのだ。

私自身は、キリスト教の新たな地平を求めて、シュタイナー思想に入っていった。しかし、この道で良いかどうか、未だに自信は持ててはいない。ただ、このアイディアは、私にとって心地よく、自然であるのは事実だ。快医学と同じように・・・。そして、バイオグラフィーという心のケアを扱う分野で、今、学びを進めていることの意味を考える時、イメージは自然と身体総体へと導かれるのである。ごく自然に、もう一度、身体に向き合ってみたいと心から思っている。この私自身の心身のアンバランスを解消する一歩へと。

今、シュタイナー思想を汲む一つのコースへの選択肢が私の中に生まれている。Health Studies&Art Course。人の健康を宇宙の中に生きるミクロコスモスとしての人間という観点から見るこのワークを通じて、私の中に何が生まれるのか、歩みだしてみたいという思いである。ニュージーランドのシュタイナーカレッジにこのコースがあり、心惹かれる自分を感じるのである。

シュタイナーの『一般人間学』の第4,5講では、人間の意志のテーマが取り上げられている。意志と思考と感情。人に与えられたこれらの要素について、シュタイナーは、意志は共感への志向を持ち、思考は反感への志向を示すという。そして、その両者を貫き、バランスをとっているのは感情であると。そう、感情は、意志のかすかな現れなのだ。

心地良くある、という快医学の方向性は、この心身のバランスをも志向していたのだと強く感じている。

注1:ライフエネルギーテスト(Life Energy Test)のことで、人間の身体のメッセージを指のOリングの開閉を利用して聴こうとするものである。

注2:家庭医学協会で頒布している温熱器具のひとつ。日本人になじみの深い草、よもぎの乾燥したものを燃やし、その煙を身体にかけることによって、生命力を活性化させる。

注3:漢方の外用塗布薬で鎮痛消炎効果をもつ薬草根の粉。これを主要臓器、肝臓、腎臓、脾臓などに貼ることで、内臓の治癒力を増し、身体のバランスを取り戻す力を持つ。

「シュタイナー通信・ティンクトゥーラ虹」2003年8・9月号掲載