「私とシュタイナー」



私 を 見 守 る 一 冊



佐々木恵美子

私は警察で通訳の仕事をしていることもあって、外国人が強制退去を命じられる場面によく出くわす。入国管理局が彼らの査証が切れていることを確認すると、すぐさま持ち帰る荷物をつめるため、自宅に同行する。たった数分前まで想像だにしなかった、突然の退去。荷物は自分で運べるたけしか持ち出せない。そんなとき、たった10分足らずの間にどんなものをスーツケースにつめるかというのには、本当に個人差がある。

あるとき、入国管理官や警察官の監視のもと、必死で荷造りするある外国人の姿を眺めながら、私だったら、たった一つのスーツケースに何をつめるだろうか、と考えてみた。服はどこでだって調達できるから、最小限でいい。ずっと集めてきた陶器にも未練はない。そうやって、あれこれ考えをめぐらせていくと、私が所有しているものの中で、決して手放せないと感じるものはそんなに多くはないのだな、ということに気づいた。けれども、本の存在に思いが至ったとき、ある一冊だけは迷わずスーツケースに入れるだろうと思った。

その本は、シュタイナーの『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』である。

私がシュタイナーを知ったのは、7年前。中学校教師としての道を捨て、語学とビジネスの世界に身を置いていたオランダでのことである。何気なく入った人智学系書店に足しげく通ううちに、私の中で、「もう一度、教育の道をいきたい」という思いが強まっていった。そうして、日本に帰ってから、私は人智学関係の書籍をむさぼり読んだ。その中の一冊が、『いかにして〜』だった。

私は学生のころから思想書を一行一行読んでいくのに快感を覚えるたちだったが、当時の私は、『いかにして〜』に述べられているような霊的進化のものさしを自分自身にどう向ければよいのか、途方にくれていた。そこに書かれている修行というものも、言葉の上だけで理解するのがやっとだった。けれどもその一方で、方法論的に展開している美しい色彩の世界は私をうっとりさせるに充分であった。ホリスティックな教育観と対極をいくような教育現場において、シュタイナーの教育はまるで救世主のような面持ちで、私を魅了した。というのも、小学校で常勤講師をしていた当時の私は、「自分は何をして生きていけばいいのか」と、必死で模索していたからだ。そして、公立学校の管理教育=悪、シュタイナー教育=善、という図式が自分の中で色濃くなっていくにつれ、内的な苦しみは増す一方だったように思う。なぜなら、あらゆる講座で人智学を学んでいくうちに、理想と現実の相違がますます強調され、現実を否定したい思いと、いつも戦わざるを得なくなったからだ。

今なら、こうやって冷静に振り返ることができるが、そのときは何かをつかまなければ、見つけなければ、身につけなければ、と無我夢中だった。そこで、地元でオイリュトミーのクラスを運営するサークルを立ち上げたり、イギリスのシュタイナー学校に子どもを通わせている友人宅に長期滞在し、学校でボランティアをさせてもらったり、キャンプヒルにも見学に行ったりと、精力的にいろいろなことに挑戦した。

体当たり的に働いていく過程で見えてきたものは、国内における人智学系各団体間での不協和音や、イギリスで出会ったシュタイナー学校や家庭の現状。学校ではいかに麻薬や喫煙をやめさせるかで教師は頭を悩まし、家庭ではいかにテレビの時間を少なくするかで親子は争い、子供たちは1年生からずっと担任してきた先生を、「大嫌い!」と言い切る。そして、卒業して社会に出た若者たちのグループは、「私たちだけパソコンができなくて、すごい肩身が狭いのよ。みんな学校で教わってきたのに!」と、怒りを顕わにする。もちろん、シュタイナー学校を卒業できてよかったという気持ちが大半なのだろうが・・・。

またイギリスでもドイツでも、知り合った人にシュタイナー学校や人智学に関わっている人たちのことを聞くと、ネガティブなコメントを多くもらった。彼らは排他的、閉鎖的、カルト的だと・・・。私は、そんなことから、シュタイナー教育に対して少しずつ冷静さをもつようになった。

そうやって、現実の上でいろいろなことが起きている間、ふと我にかえって『いかにして〜』を再び読むと、不思議と以前より文章が身にしみこんでくるのを感じた。「その感覚はわかる」「それはいつもしている」という部分と、「おぼろながらわかる」「わからない」という部分の境がだいぶはっきり認識できるようになったのは、自分でも大きな驚きだった。私は、迷いつつも確実に前に進んでいると感じてうれしくなった。

シュタイナーの思想の根底を流れている通奏低音を少しずつ感じとれるようになってくると、人間や自然界が少しずつ違った様相を見せてくれるようになった。そして、オイリュトミーをいっしょにしている仲間とその感じをシェアしようとすると、「そういうオカルトっぽいものはだめ」と拒否されることもよくあって、がっかりもした。一口に「シュタイナーに興味を持っています」(私はよく聞くこの言い方に疑問を感じているが)、と言ってもいろんな人がいるんだということも分かってきた。そして、人智学を学ぶということは、とにかく自分自身の内面の問題なのだと思った。

自分との対話が深まっていくと、以前の「何をしたらいいのか」という切迫した問いは影をひそめていった。問題なのは、「何をするか」ではなく、「どうあるか」だということが胸にストンと落ちたようだった。

同時進行で瞑想にもたくさんの時間を割いていたので、『いかにして〜』に書かれていることは、どんどん私の世界に近づいてくるように感じた。すると不思議なことに、小学校での私は、学校の現状を受け容れつつも、自分の教育観をとても微細なやり方で入れていくことができるようになったのである。人智学とか人智学ではない、というところを越えた、もっと普遍的なものに触れたという感じがしたころ、念願の独立がかない、「こどもとおとなの学校・恵藍舎」を立ち上げた。

今の私は、以前のようにシュタイナー教育がすべてをいっぺんに解決する万能薬とは思わない。子どもの幸せを保証する魔法とは思わない。今、ここの自分の現実から逃避したりする形での依存的な態度は、かえって個人の成長において逆効果でさえあるような気がする。善悪も、幸不幸も、ものさしは万人共通ではない。それはいつでもどんな状況においても、個人の内面にゆだねられているのだ。だから、たとえどんなことがあっても、自分の力や自分を取り巻く世界を信じて生きていく力(智恵)を、私自身も、まわりの人たちも育てていけたらなあ、と思う。

「本を読んで知っている」(知識)というのと、「自分のうちから湧き出てきて分かっている」(智恵)というのは、まったく違う。なぜなら形あるもの(文字も含めて)は、ある意味、すでに死んでいる存在だからだ。フォルメン描写も、テキストのフォルムをそっくり写すよりも、実際の植物をじっくり観察して、自分でフォルムを生み出すことの方が何と楽しいことか。「知らない」ということを恐れないでいると、さまざまなものが内から湧き出てくるのである。そんな生きた楽しみをここ2年ほど、アートセラピーのクラスで学ばせてもらっている。

そうやって、自分の現実と向き合いながら、学んだことを肉体や生命体などのあらゆるレベルにしみこませていくプロセスは、とても面白い。やがて、「シュタイナーがこう言った」などという説明なしでも、自分の言葉でその思いを語り、生きる姿勢そのものが霊性の光に貫かれているようになったときこそ、私がひそかに目指す本物の教師に近づいたときかもしれない。

だからたったひとりで、今、ここで、一歩一歩進んでいけたらいいと思う。その傍らで、私のお気に入りの一冊が、いつも見守ってくれているような気がする。

(「新潟シュタイナー通信・ティンクトゥーラ」2004掲載)