わたしの1冊

大橋久美子
『思索と経験をめぐって』
森 有正 著  (講談社 学術文庫)



森有正は、1911年にプロテスタントの牧師の家庭に生まれた。カトリック系の学校で教育を受け、フランス語やフランス文化と深い交流があり、東京大学でフランス文学を学んだ。東京大学で教鞭をとるが、1950年代にフランス政府給付留学生としてパリに渡った。当初は数年滞在し、パスカルやデカルトの研究をするつもりであったが、1年後東京大学を辞し、日本へ戻らないことにした。ヨーロッパにとどまり、人間存在の根底に至る諸問題を考え尽くそうという決意をしたのである。森のパリでの友人であった二宮正之氏は、‘それはまさに日本人であるがゆえに、使命として自分に課した、意志に基づく行為であった’と書いている。森は、1967年にパリで生涯を終えた。思想家としての森は、ひとつの完結した思想体系を残さなかったが、ヨーロッパ文明の渦中に身をおき、自らの人生への思索に基づく経験に裏打ちされた言葉で、多くの著作を残した。

日本で第一線として活躍していた森のような知識人が、外国文明の渦中に身を投じ、そこにおいて肉体と精神のすべてをあげて、日本とヨーロッパという二つの文明の接触を生きぬいた例はほとんどない。

最近、ふとした縁で著作を読み始めたばかりなのだが、森の著作を読んで受けるインパクトは大変強い。彼が本当に自らの思索を深めて、文章化した‘経験’と‘体験’という概念について、紹介させていただきたい。

渡仏後、森には‘経験’というものについての問題が生じた。ある著作を書き始めて、何を書くのか? 書く自分はどういうものだろうか? などを考えた末、これらを包括する考えとして、人間の中にある‘経験’という、特別な領域・生き方というものに遭遇したのだという。かつて、森も多くの人と同様に、思想・概念というものを書物などから学んできたはずだ。しかし、自分とその経験の内容を細かく規定していく作業を機縁として、そこから彼の中に思想や概念が生まれてき始めたという。

その上で、森は経験と体験を区別する。

もともと、経験は人間にとって根源的であり、それを外部から矯正することはできない貴重なものである。経験は、在る一つの現実に直面した時、それによって私どもがある変容・変化・作用を受け、それに反応してある新しい行為に転ずる、そういういちばん深い私たちの現実との触れ合いのことをさす。しかし、‘その人固有の経験’の一部が貴重なものとして固定化し、その後のその人のすべての行動を支配し、人生を質的に変えていく力に働かないものを‘体験’と呼ぶ 」(従って、経験に関しては個人差が大きく、若くて経験豊かな人もあれば、老人で経験が少ない人もいるだろう。)

森は、「 日本文化の在り方を振り返ると、そこには体験的要素がきわめて強く、外国から入ってきたものを、その経験の根底まで掘り下げて思索をすることをせず、むしろ逆に新しいものを自己の体験で、理解しえるものに変化させようとする傾向が無意識のうちに、強く働いてきたように思われてならない 」と述べている。(日本におけるクリスマスの取り扱われ方は、そのわかりやすい例だといえよう。)

第2次大戦後の日本民主化の歩みは、本質的に緩徐な変貌があった歴史の発展ではなかった。平和も民主主義も、それを正当に定義すべき経験を欠いていた。また、第2次大戦における敗戦は決していわゆる本当の意味での敗戦としては経験されなかった。一部の軍人の自決を例外として。 」と森はいう。日本人は敗戦を経験化していないがゆえに、今日国内外で戦後にかかわる政治問題が発生しているといえるかもしれない。

森のいう、本当の意味での敗戦体験とは何だろうか? 戦後、日本国民が自ら、戦争責任を問う試みはなかった。(一部の政治家から、国内で戦争責任を問う裁判を行う提案があったが、昭和天皇はそれを却下したという。)東京裁判で一部の軍人と政治家が連合国側によって裁かれたが、真の戦争責任は、それ以上誰にも問われることがなかった。

近代化の先駆けの明治維新は、尊王攘夷を掲げた一部の侍(及び脱藩者)たちによって引き起こされ、士農工商から四民平等になった。しかし、これは将軍から天皇制という、別の形態の君主に基づく支配をもたらしたにすぎず、ヨーロッパの王制打倒の市民革命とは異なるものであった。

日本の近代化で変わってきた部分は多いが、一つの共同体が社会を構成する条件である真の個人主義に欠けている点では、相変わらず変わっていない。過去の社会主義運動の歴史を見るにつけ、また今日の民主主義的な思想の普及について、その思想の中核が経験されていなければ先に進めない 」と森はいう。

森は古来からの日本人の経験の構造というものを、次のように説明する。

その‘経験’は個人をではなく、二人あるいは複数の人間を定義するものであるという。日本に‘私’と‘あなた’という関係はなく、‘あなた’と‘あなた’しかない。‘あなた’と‘あなた’になることが最高の道徳。滅私奉公。

私とあなたという関係があって、はじめて対等な人間関係および社会が成立する。あなたとあなたという関係では、私という個人の存在はない。個人の存在なくして民主主義はありえないと森はいうのである。

日本人の戦争責任の問題について考えるとき、天皇制の問題は避けることはできない。森は天皇制について次のように語る。

第2次世界大戦が終わるまで日本の思想や道徳は君臣・父子・兄弟、主従の関係を軸とした天皇中心的国家観であった。人はそれを戦前の諸悪の根源のように言うけれども、実際は、それはむしろ古来の日本人の‘経験’の構造に由来するものではないだろうか。主従の関係を重視し、究極的には自己の自己に対する責任と倫理を包含することなく、その関係がすでに自己の意志を超えて存在している。それが自発的に当然うけとられるべきものとして要求され、戦争中天皇のために自発的に死するというのも、当時多くの人に受けとめられていた。

近代天皇制の基礎は、明治時代に日本の西洋・近代化を促進するための心理的機動力と規律を生みだすために、作り出されたものだとされる。そして、日本人の精神性の中に、そういったリーダー的な存在を必要とする素地があったから、京都の宮廷から若い明治天皇が担ぎ出され、人々の心の中に浸透していくことができたのだろう。

それが、森のいう古来の日本人の‘経験’の構造(滅私奉公)と関係していると思う。日本人はこの経験を一体どう蓄積してきたのだろうか?

企業に滅私奉公する生き方をしいてきた日本人もこの観点から理解できよう。また、戦後多くの人々が、昨日までは天敵だったGHQのマッカーサーの占領統治をすぐさま歓迎したと歴史は伝えている。天皇の赤子だった日本人が民主主義のリーダー格としてのマッカーサーの君臣のごとくそう簡単に変貌してしまっていたとしたら、それは悲哀だが。

ところで、周知のように、法的に1963年から終戦記念日は毎年8月15日となっている。しかし、その後ロシア領での戦闘は続いていたし、降伏文書調印が行われた9月2日が本当の終戦記念日だとする声も一部にはある。8月15日は天皇が前日のポツダム宣言受諾を受けて、敗戦を国民に告げる玉音放送を行った日であった。民俗学者宮田登氏は、天皇を‘日和見’(ひよりみ)する儀礼執行者(暦を作り、時間を管理する存在)として分析している。古代は、日の吉凶を占い、仕事と休みの日を決定して社会生活を支配する日和見が、 王権維持の儀礼・祭事を支えてきた権力の本質であるという。終戦記念日を8月15日とするのも、天皇が終戦をラジオで告げた日だからである。また、天皇の在位による年号は定着し、国民の祭日の多くは天皇に関係している。今も尚、天皇は時間を管理する存在(日和見)として、日本人には重要な存在であると思われる。

私が天皇制を支持するかどうかは別だが、多くの日本人が民族として天皇制を支える体験の構造を引き続き持っていることは否めないと思われる。(森は「 経験は個人固有のものだから、多くの人が同一に共有する経験は経験の欠如態であるとし、体験と呼ぶべきであるとする。 」)

今後、日本人の精神構造をふまえた上で、個人が戦争責任問題や憲法問題について、みつめ直す必要があると思う。日本では、戦争にまつわる史実が、今日まで子孫にきちんと伝達されてこなかったので、私を含め戦争を体験していない者にとって、その作業は大変難しいことである。だが、それは必要なことである。

先日、全国新聞の読者欄に30代の女性から、自分の中学時代の担任教師についての投書があった。戦争中特攻隊員であったその教師は、多くの戦友を亡くし、自分が生き残ったことを悩んで生きてきた。‘日本が戦争をしない国になれば、戦友の死も無駄死にならない。’と教師は生徒たちに伝えたという。その言葉を重く受けとめていきていこうとする女性の心情は、敗戦の経験化への道筋の一歩と私は考える。

またドイツ在住の日本人から、ドイツ軍がイラクへ人道支援の名目でも軍隊を派遣しないのは、第2次世界大戦の戦争責任を遂行するためと聞いた。ドイツ人が戦争責任を経験化しているからだと、私は理解している。

市民革命を経た西欧社会と異なる歴史をもつ日本は、独自に真の民主主義や平和の道を思索していかなければならないと思う。

森は、「 経験を成熟させていく生き方をするためには、自分の中の主な関心・生活上の態度というものを、ある究極の点に至るまで追求して深める事が大事であって、そうすれば、経験は自ずから成熟していく」 という。「 経験こそは、自分だけがその責任を持て、また他人は関与できないこの上もなく厳しい世界である 」という。

森は、また、‘変貌’という言葉を用いて、日本人が真の個人として成熟することを願っていた。

かつて、インドで出会ったイスラエル人の一人は、グル(指導者)のもとで、ヒンズー教の修行に熱心に励んでいた。その後、彼が自分の国に戻って、敬虔なユダヤ教徒として生活している話を、人づてに聞いたときはあまりにも意外であった。今は、その道筋をヒンズー教を通じて、宗教経験を真に深めた彼がとった当然の行為であったと理解できる。

今の私には公私共に関わってきたシュタイナー教育への経験を成熟させていくことが大事だと思われる。シュタイナーの本に頼らず、教育の現場での実践を深めていくときに見えてくるものは一体何だろう?

書物ではなく、自分の経験が思想を創っていくことを、再び認識させてくれた森有正に感謝し、彼の著書を読み続けていきたい。

注:この著書は絶版。森有正エッセー集成4(ちくま学芸文庫)から「変貌」及び、同シリーズ5から「木々は光を浴びて」を参照願いたい。『生きること考えること』森有正(講談社現代新書)は平易な入門書。終戦日の箇所では、『八月十五日の神話』佐藤卓己(ちくま新書)を参照。

「新潟シュタイナー通信・ティンクトゥーラ」(2006.vol.34)より