エーテル体と日本人(1)


小林 宏



Dann versteh ich den Marmor erst recht: ich denk und vergleiche,
Sehe mit fühlendem Aug, fühle mit sehender Hand.

大理石(なめいし)の術(わざ)の秘奥をもさとりぬ。
われは沈思し、われは比較す。
(さわり)ある眼もて見、もの見る指もて触る。

『ローマ悲歌/ゲーテ』

3月3日はひな祭りです。女雛が左右の手を添えて体の正面で扇をかまえています。これは「御手座(ミテグラ)」と呼ばれるポーズです。神具としての扇は、ミテグラにより持たれるのが古式の作法であると言います。ミテグラのクラは、U字形のくぼみ、あるいはV字形の谷間を言うものです。V字形のクラは三角形で表現されることもあります。「3」は女性の数でもあり、二つ合わせると菱形のひし餅になります。古代の米倉が地面に掘られたくぼみであったように、クラは「暗い」に通じる言葉で、陰性の場所に陽性の神的存在が降り立つ形での陰陽和合の構造となっているようです。

磐座(いわくら)というものがありますが、シュタイナーによれば、霊界では地上と同様に岩が地盤を作るが、大きく異なるのは、霊界の岩が虚物として在ることだと言います。十分な質量をもって存在する岩の、深いくぼみが、霊界においては反転し、光の出口になっているのかもしれません。ミテグラは手のクラですが、頭のクラが、アタマクラです。睡眠中の人間の頭が沈み込むマクラのくぼみは、霊界ではどのようになっているでしょうか。他に、アシクラ→あぐら、ムネクラ→むなぐら、マタクラ→股ぐら、などがあります。ミテグラの場合には、手のクラに、垂直に、扇や樹木の枝などを立てることに意味合いがあるそうです。

扇の存在は、伝統芸能の分野において中心に位置するものの、意外にその実態が知られておらず、民族学の吉野裕子が研究に着手するまでは、アメリカ人のフローレンス・ウェルズの文献があるだけでした(※1)。摺りたたむと一本の樹木の枝のようになる扇子ですが、これは日本オリジナルの小道具で、中国扇子やスペインのフラメンコ扇子は日本のコピーなのだそうです。扇子の誕生は少なく見積もっても平安末期と古く、当初は神事の舞で使われ、次いで能、さらに一般の舞踊へと広く活用されていったとあります。

三角形に類似の扇型の扇子そのものの作りが、おそらくはクラと関係が深いのですが、その本質的な意味合いは何でしょうか。

広がる扇子は、左右の手の広がりと関係があるように思います。それが閉じると一本の棒になりますが、これは視覚における前後の奥行きを思わせます。視覚と触覚は協働しています。正面から見て丸いボール球に見えたものが、横から見ると彩色された円盤であったとして、この場合の位置を移動して横から見ることを、手で直接触れることにより代行することができます。しかしそれは、距離が近いということが条件で、手が届かなければ触れることはなりません。

ゲーテと親交のあった哲学者のヘルダーが「共通感覚」という概念に関して言及しています。これは複数の五感が同時に働く総合的な感覚のあり方を言ったものです。この場合に特徴的なのは、まず共通感覚という一つの全体性があって、ここから、各々の個別感覚が分かれて感覚されるという考え方です。逆に言えば、様々な個別感覚の相互の関係のあり方にもとづいて、様々なタイプの共通感覚が立ち上がっているということです。共通感覚(センススコムニス)は、社会的通念(コモンセンス)を深層部において規定していますが、そのあり方は様々であることになります。

共通感覚は、いわゆる「共感覚」とは異なります。感覚として制限されている肉体的な条件から、霊的な全体性へと向かう方向性の中での研究としてあると言えるでしょう。見ることの大きさと、触ることの大きさは、本質的に異なりますが、大きさという点に関して、二つの感覚は"共通"しています。ここで、見ることと触れることの"共通感覚"が成立しています。時代によって共通感覚のあり方は変化し、古代においては触覚が、ヨーロッパ中世のキリスト教宣教時代にあっては聴覚が、近代においては視覚が時代の主役を演じました。ヘルダーは、感覚の基礎は触覚に置かれるものであるが、人間の感覚が完成されてゆくと、それは聴覚に収斂してゆくと述べています。

幼児や未開人の絵画表現においては、彫刻的な要素が強く見られます。ピカソはこれを研究しキュビズムを生みだしました。浮世絵は平面表現の中に版画という手法を用いることで彫刻的要素を持ち込んでいます。絵の奥行き感を視覚的な遠近法ではなく触覚的なニュアンスで表現しています。左右に揺れるろうそくの灯りが障子やふすまや屏風の表面でやわらかに屈折し、側方から浮世絵を照らし出すという環境で鑑賞されていたようです。日本人に独特の共通感覚において優る感性が、絵画表現において反映されたものと言えるでしょう。

白波の 浜松が枝の 手向け草 幾代までにか 年の経ぬらむ 

(万葉集)

白波の打ち寄せる海辺の松の枝に手向け草が結ばれている。このような死者への手向けの習いは、どれほどの昔から為されているものであろうか。

万葉仮名の原文では、「幾代左右二賀」と書かれています。「迄(まで)」の概念は、今日の私たちにおいては個別感覚としての視覚として、手前から向こう側までの一方向的な距離として把握されています。一方、古代人においては、「迄」は左右として、身体的・内在的な距離としてあります。これは大きな違いであると言えるでしょう。

・まで〔迄〕 体言や用言の連体形に接続して、その行為や状態の及ぶ空間や時間などの限度をあらわす。「までに」という副詞形をとることがある。「左右(まで)」は「真手(まで)」、左右の手のそろうことをいう。〔万葉〕の「まで」の表記には、及、至、迄の常訓のほか、万代、二手、左右、諸手、その他仮名書きの例が多くみえる。語源が「左右」と関係があるかどうかは別としても、〔万葉〕の表記には「まで」は「左右」という意識があったようである。

(『字訓/白川静』)

実は、平安時代の貴族が、万葉仮名で書かれた「左右」を「まで」と読むまでに、かなりの難儀をしています。とりあえず「左右」が「まで」であることが確かだとして、それが「左右の手がそろう」というだけの話であるかどうかが問題です。

「真手(まで)」は今でも常用語として残っているらしく、気の抜けた字を書いている子供に対して「もっとマデに書きなさい」と母親が注意するような例があります。古代人の感覚としては、真手として左右の手が対として存ることが特殊ではなく、むしろ普遍的であったのでしょう。逆に言えば、片手であることが、真手としての全体性を満たしていないということです。

冒頭に記したミテグラとマデの関係を考察する場合に、ミテグラより発した扇が、芸能、なかんずく舞踊に強く関係するからには、マデもまた、身体の運動感覚と関係してくることが予測されます。

人智学においては、シュタイナーの説く12感覚論がありますが、その中に「平衡感覚」があり、「触覚・生命感覚・運動感覚・平衡感覚」のグループを形成しています。またこれは、幼児期と関係しています。

「平衡感覚の中で、自己を内と外に分けてきた仮の感覚としての触覚のあり方が次第に克服されてくると、ものとものとの間にひとつの中間を作り出すようになる」。これは笠井叡氏の言葉ですが、扇の特徴と重ねて、いろいろなことを考えさせられます。オイリュトミーにおいて、身体の左右をめぐる平衡感覚は、「拍子」の成分と結びつけられており、重要な要素です。他に「リズム」の成分として「前方は明るく速く、後方は暗く遅い」といったものがあり、これは生命感覚と結びついているということです。実と虚における生命エネルギーの流動性の構造が、身体的な認識を介してうまく表現されていると思います。

日本人はみな、着物の帯に扇子をしのばせていたわけですが、湿度が高くて暑いということの他に、空間そのものに対する感性を扇を通して表現していたことがあるでしょう。扇子を広げて風を送るのみならず、あおいでいた扇子をやおら閉じて、あぐらをかいている膝をポンと叩くとか、あるいは、閉じた扇子の先で相手の胸ぐらを指し示した後で、それをバラリと開いてみたり、というように、小道具としての扇子を用いた様々な演劇的な動作により、その場の空間のあり方、エーテル体の流れを、魂のレベルで感情に関連させながら表現していたというようなことがあったのでしょう。

肉体の運動が肩や肘、あるいは膝や足首の関節によって分節されているように、エーテル体の運動を厳密に分節することができるというのがシュタイナーの意見です。そのエーテル体の分節化という試みが難しいのは、アストラル体がエーテル体に浸透していることでエーテル体そのものが常に複雑に動いているからですが、扇の活用をめぐって諸芸能の中に、その技法が体系化されていたという可能性はあります。

また、触覚や平衡感覚、あるいは生命感覚といったエーテル体的要素が幼児期に関連するとして、日本人は良くも悪くも幼児的ないしは原始的な要素が強く、エーテル体に対する認識の秩序化が、無意識的であったにしても進行していたということは考えられることです。

※1 『失われたムー大陸』を著述したジェームズ・チャーチワードの助手として活動。昭和9年、 日本におけるムー大陸文明の痕跡をたどる研究目的で来日する。大東亜戦争勃発により、 滞日を余儀なくされる中、日本文化に親しむ。「不思議なことに日本人は自分らの扇の起 源についてなにも知らないし、また行儀作法の上で必要とされる扇の使い方のしきたりに ついてさえも、そのよってきたる所以をほとんど知らない。日本には『灯台下くらし』という諺 がある。日本人より灯台の下からはるか遠くにいる異邦人による日本扇の展望は、日本扇 の発明、発展、重要性の諸問題の上に新しい光を投げかけるものとして役立つかもしれな い(『Ogi/Florence Wells』)」。
参考文献:
『扇/吉野裕子』
『共通感覚論/中村雄二郎』
『ロゴスからポエジーへ ヘルダーにおけるロゴスの精神/三村利恵』
「シュタイナー通信 Pleroma」vol.21(2012年) 掲載