遠藤 真理





一番大切なものは、新しい価値ではなく、新しい価値の形をとって現れる精神である。そしてさらに、精神の顕現に必要な自由である。
W・カンディンスキー『形態の問題』

2002年3月26日〜5月26日まで、東京国立近代美術館で「カンディンスキー展」が開催された (6月8日〜7月21日・京都国立近代美術館、8月1日〜9月1日・福岡市美術館)。 日本での本格的な回顧展は同館での1987年につぐ2度目である。 今回は、カンディンスキーの1896年から1921年までの期間、 ミュンヘンとモスクワ時代に描かれた作品に焦点が当てられていた。 このちょうど真ん中にあたる1908年、カンディンスキーはシュタイナーと出会っている。 絵画学校で教えていた生徒のひとり、マリーア・ギースラーが夫とともに聴いていたシュタイナーの「建築家会館における連続講演」に カンディンスキーを誘ったのだった。その後ミュンヘン近郊のムルナウに落ちついた彼の風景画は、 新しい段階へと入っていく。同時にその内面は確実にある方向をさし示している。彼が辿りついたところは、「抽象絵画」と呼ばれる独自の世界だった。

霊学の「精神的なるもの」を絵画の領域で実践しようとしたその軌跡のいくつかをここでは見つめ、ひとつの作品に入っていくことを試みたいと思う。

1) 唯物論:芸術論(二つの世界)

19世紀後半から唯物論的な科学思想が席捲するなか、それに抗する勢いで芸術活動からたくさんの思潮が生まれた。マラルメ、ヴェルレーヌ、ランボー、モローら象徴主義、ツァラ、アルプ、エルンスト、ブルトンらダダ・シュールレアリズム、絵画様式ではフォービズム、キュビズム等。そんな中、1875年に創設された神智学協会は、まさに合理主義と唯物論が断ち切ろうとしていた「永遠の叡智である真理と人間とのむすびつき」を回復するために登場してきた。特に1889年のエドゥアール・シュレーの『偉大なる秘儀参入者たち』は、きたるべき「偉大なる時代」を示唆しながら唯物論に飽き足りない人々の耳目を集めた。

神智学が当時の芸術家にインスピレーションを与えた方法は、オカルト的な思考内容だった。モンドリアン、スクリャービン、ストラヴィンスキー、シェーンベルク、モルゲンシュタイン等々がその影響をうけ、カンディンスキーも例外ではなかった。自筆の書きこみの入ったいくつかの本―ブラヴァツキー『神智学への鍵』、シュレー『偉大なる秘儀参入者たち』、シュタイナー『神智学』、ベサントとリードビーター『思念=形態』―が彼が熱心にこれらの世界への糸口を探ろうとしていたことを物語っている。

ロシアとドイツに根をもつカンディンスキーは、たえず二つのものを統合しようとしていたように思える。法律と芸術。風景画と版画。具象と抽象。この世界と背後の世界。形態と色彩。内部と外部。物質と精神。創造と破壊。下降と上昇。画家と観る者。

カンディンスキーが画家を志したのは30歳になってからである。それまで彼を捉えていたのはローマ法、刑法、ロシア法制史と農民法、経済学だった。シュタイナーが幾何学に神聖さを見出したように、カンディンスキーはこれらの学問から抽象的思考を陶冶されたという。学者から画家への転向は、彼の人生における「二つの事件」―フランス印象派展でのモネの「積藁」とワーグナーの「ローエングリーン」―が最初の契機となるが、神智学とのつながりで言えば、科学上の発見―原子の更なる分割―による精神的揺さぶりは回想録のなかでも劇的な言葉で語られているほど強いものだった。

「原子の崩壊は、私の心の中では全世界の崩壊にも等しいものだった。」(『カンディンスキー著作集4回想』)これはどういうことなのだろう。科学者にとって原子の内部構造がさらに深められたことは、人類の知識に新しい一歩が付与された科学の勝利の証だった。けれどカンディンスキーはここに別様な視点を見出し、科学が無に帰したように感じたのだった。「彼ら(学者たち)は、―略― 暗闇なかでいきあたりばったりにさまざまな真理を手探りで捜し、目が見えぬまま一つの対象を他のものと見なしたのである。」(同上)原子(物質)がさらに分割可能だということは、感覚的に確かに現存するかに見えたものが、実は究極の元素ではなく細かく分けていくとどこまでいっても辿りつけないあやふやなものだということでもある。原子(物質)に実体などあるのだろうか、と彼が不安になり、石壁が突如として瓦解したと感じた心裡は、往きつ戻りつしていた物質と精神、法学と芸術との二つの道を重ね合わせることになった。無限に純化された物質が精神なのではないかという直観が、彼の画家としての出発点となる。物質的なものと精神的なものとの間に通路が開かれたのだった。

1908年にカンディンスキーが聴いたシュタイナーの講演内容は精神的な解釈による物質概念(新しい原子理論)について言及していた。そこで語られたのは、『神智学』にもある氷と水の比喩でもあったのだ。

比喩的に語れば、感覚的事物とは濃縮された魂的、霊的存在なので あって、この濃縮の結果、感覚がそれを知覚することができるよう になったのである。事実、氷が水の一存在形式に過ぎないように感 覚的事物は魂的、霊的構成体の一存在形式に過ぎない。
―『神智学』高橋巌訳

2)「色彩は味がする!」

連続講演を聴いた後カンディンスキーは、それに感化された絵を数枚残している。「アーリエールの場面―ゲーテ『ファウスト』第2部より」や「指し示す人」という作品には、まだ具象ながら明らかに物質界、魂界、霊界の3つの区分け、人間を構成する4つの要素という直接の影響が見られる。さらに、講演の最後に引用されたゲーテの『ファウスト』の詩、「色とりどりの光の反映のなかに、われわれは人生を捉えるのだ」は、色彩の秘教的な捉え方へと彼を深く誘っていった。

ゲーテは色彩は光と闇との出会いのなかに生じ、光の受苦と行為であるとした。同時代の象徴派詩人は色彩を象徴的に他の感覚と結びつけた。神智学者は古からのグノーシス的伝統を受け継ぎ、粗雑なものから微細なものへ至る色彩の段階を示した。これらに答えるようにカンディンスキーは色彩論を展開していく。それは必ずしも神智学やシュタイナーに沿ったものではなく、彼個人の色のついた深まり方、という云い方ができる独自のものである。色彩療法から色と味覚の関係に心動かされ、本の欄外へ「F(色彩)は味がする!」と書きこむところから、色彩が匂い、聴こえ、味がし、冷たく、暖かく、悲しく、心躍るような感情を呼びおこす、感覚のコレスポンダンス即ち「内面の響き」へと通じるところまではわずかの距離である。これは近年、シネステシア(知覚複合、共感覚)をどこまでも唯物的に脳の神経的作用として捉える方向とは一線を画するものである。

色彩は、魂に直接的な影響を与える手段である。色彩は鍵盤。目は槌。魂は多くの弦をもつピアノである。画家は、あれこれ の鍵盤をたたいて、合目的的に人間の魂を振動させる、手であ る。
―『抽象芸術論』西田秀穂訳

この著作で語られる可視的なそれぞれの色についての考察が、何より彼の内面性をよく物語っている。彼の鍵盤がどのような材質でできているか、その一部をみてみよう。

黄は地上的な色彩であり、興奮させ、大胆に感情に働きかける。その強烈さが高まると、吹き鳴らされたトランペットの鋭い音色になる。

青は天上の色彩である。無限の世界へ誘い、超感覚的なものへのあこがれを呼び覚ます。薄青はフリュート、濃紺はチェロ、濃さを増すにつれコントラバスの響きに似てくる。

緑は受動性の色。どんな方向へも運動することなく、どこへも呼びかけない。慰安そして退屈を感じさせる。ゆるやかなヴァイオリンの音色。

白は可能性に満ちた沈黙、若々しい無、始まりを前にした無。無音の響きであり、休止である。

黒は可能性のない無、死を意味し永遠の沈黙の響きをもつ。終結としての休止である。

 一方、シュタイナーは色彩をどう捉えているのだろう。
 色彩とは、自然界にある場合でも現実的なものではなく、「像」であるといわれる。緑は生命の死せる像を表し、桃色は魂の生きた像であり、白は霊の魂的な像、黒は死の霊的像であり、人が死から生、生から魂、魂から霊へと移行するように、これらの色は円環を形作る。さらにほかの色については、黄は放射しようとし、青は内へ向かって輝き、赤は静止して作用すると語る。
 一見カンディンスキーとシュタイナーはバラバラの事柄を語っているように思えるが、ともに色彩に霊的、精神的なものを見ている視点は同じである。そこでは何が語られているのだろう。

3)内的必然性と内的響き

その言葉は突然登場し、最後の結びを飾っている。先に引用した『抽象芸術論』の続きはこうである。 「それゆえに明らかなことは、色彩の諧調(ハーモニー)は、人間の魂を合目的的に動かす原理に基づかねばならぬ。このような基礎、それは内的必然性の原理と呼ぶことができよう。」 この唐突とも思われる「内的必然性」は、個性の要素、時代や民族に特有の様式、純粋にして永遠なる芸術性の3つの神秘的必然性からなる。これは個別性(特殊性)と普遍性とも言い換えられるだろう。外殻に覆われた内側、伴奏と主奏、これらの要素が織りなされたところに芸術家が生みだした作品がある。古代エジプト彫刻や北米インディアンの素朴なトーテムポールにも見出せる「純粋にして芸術的なるもの」、それを見つめる精神的な眼は認識の光に照らされたものとなる。

このすべての芸術のなかに見られるという「精神的なもの」が、神智学云うところのあらゆる宗教に内在する「永遠の真理」と通じるものであるのは明瞭だろう。神智学が、この時代の黎明期に霊的知識が開示され、ゆくゆくはそれが人々に遍く広がるだろうとバラ色の未来予測をしたように、カンディンスキーもまた、偉大なる精神的なものの時代には、抽象芸術という形で精神的な内容が表現できると考えていたようだ。今ではそれはあまりにも単純化され、美化された芸術論のように聞こえる。理想化され、上なるものに対する気恥ずかしくなるほどのイノセントさに、現代人は多少辟易するのではないだろうか。抽象芸術を単に具象芸術と対比しただけではその本質をとり逃がしてしまう。ここでカンディンスキーが「精神的なるもの」として認識しているのは、現実の物質的なものの背後に潜んでいるものではないことに思い至る必要がある。加えて、何を、どのように表現するかという形態の表出の問題を通りぬけないわけにはいかない。

思えば、カンディンスキーほど形態(物質的な形)について深く考察した画家はいないかもしれない。形態はその時代、民族、個人の云ってみれば癖(個性)の刻印を捺されている。そしてその形がそのまま時間と空間の制約を超えて精神をじかに表現しもする。だからこそ、ぎりぎりの鬩ぎ合いの表現が抽象にならざるを得ない。抽象を表すために形態があるのではない。そうして表出された形態は相対的でありながら、内なる響きである内的必然性に基づく故に精神的なものなのである。これは、対立と矛盾こそをハーモニーとするという宣言でもある。事実、絵を描くとは、「闘いの結果として作品と呼ばれる新しい世界を創造すべく定められている、さまざまに異なった世界の轟音を発する衝突に他ならぬ。」(『回想』)と語られている。それは宇宙が誕生したのと同じ方法で成立するとすら云い放つ。世界を生む行為であるからには、そこに働く内的必然性がどれだけ重みのあるものであるか、感じとることができるのではないだろうか。

抽象的な表現が時代の要請であると確信し、絵画という世界で精神的なものを響かせようとしたその魂に流れていたのは何だったのだろうか。カンディンスキーは、シュタイナーに傾倒しながらもついに人智学協会へ入会することはなかった。後年、バウハウス叢書として刊行された一冊の序論には興味深い一節がある。

芸術学は、遂には芸術の限界をはるかに越えて、《人間的なもの》 と《神的なもの》との《統一》の世界にも広がる包括的な綜合に 導かれるであろう。
―『点・線・面』西田秀穂訳

彼が目指したのは、夢見るような綜合ではない。魂の力である、感じることと意志することに支えられた思考(認識)する作業が、作品を創造する基盤になることを熟知していたはずである。絵画作品と同様に言葉を構築する意味を知っていた所以の、「内的必然性」なのである。たしかに、『神智学』を熟読し、実践していた彼は、内的認識の階梯――霊視、霊聴、霊的合一――という考察に通じていただろう。「内的響き」という言葉は、霊聴の道中で理念や秩序が音として鳴り響くことを示唆しているだろうし、霊視の世界では物に付着していた色や香りが実体を離れ漂うこともわかっていただろう。楽(がく)として、色彩(光)として、鳴り響く世界は神聖で美しい。けれど、浮遊する色彩を掴まえ、響いている理念を形態として表現する術を知らなければ、それは無きに等しい。

しかも、たとえカンヴァスにその色を固定させ、形を与えたとしても、自らの魂がめまぐるしく荒れ狂う感情に振りまわされていたり、ちらちらと鬼火のように飛びかう思考から生まれたものであれば、それは内的必然性から描かれたものではもはやありえない。その意味では芸術行為とは魂の浄化であり、波乱を孕む綜合である。神智学やシュタイナーに導かれ、遂には彼自身の方法を獲得した跡がここには垣間見える。

響きと形態の絶えざる相克は、こうして図らずも「コンポジション」と呼ばれる。作曲であり、作詩であり、配置であり、和解である構成。

4)「コンポジションY」

1913年3月5日、「コンポジションY」が生まれる。一年半ものあいだカンディンスキーが内部に受胎し誕生するのを待った作品だった。今回の展覧会での白眉のひとつである。この作品を観ての対話は各々に委ねるとして、ここでは個人的な体験と解釈を試みることにしたい。



    大洪水の後

―池よ、湧きあがるがいい、
―橋を越え、森を越え、泡立ち、逆巻け。
―黒布の群よ、大オルガンよ、
―稲妻よ、雷よ、
―盛り上がり、轟き寄せろ。
―海水よ、悲しみよ、高まり溢れて幾度でも
「大洪水」を引き起こしてくれ。
                                
  『イリュミナション』A・ランボー 渋沢孝輔訳       
      
 

カンディンスキー, 「コンポジションY」のための素描



 

「インプロヴィゼーション 大洪水」



「コンポジションY」



「コンポジションY(大洪水)」を目の前にしていると、もうひとつの「大洪水」が想起された。象徴派詩人ランボーの「大洪水の後」という、詩的言語で構築された世界である。彼の見者(ヴォワイヤン)の思想は、色と母音との照応を詠ったソネット「母音」に代表されるようにあらゆる感覚の照合からなる。「言語は、魂のために魂からほとばしるものであろうし、一切を、匂いも、音も、色も、その裡に要約しており、思想を獲得しつつ身にひきつける思索から出たもの」と16歳の詩人は語った。ランボーの大洪水が、言葉の錬金術で、生まれかわった新世界の瑞々しさを開示したとたん、その端から早くもカタストロフィーを呼びおこす、創造と破壊、静と動のイマージュに満ち満ちた大胆さと繊細さを併せもつのに対し、カンディンスキーのそれは、魂がその一つひとつの色彩と形とに変容していく体験と云える。そのとき内的に湧きおこるそれぞれの波は、紛れもなく霊的な体験とつながっていく。

興味深いことに、カンディンスキーは最終的な「Y」に至るまでに素描、習作を合わせると9枚ほどの作品を残している。最初に書かれたのはガラス絵で、そこには大波、方舟、稲妻、雨、動物、裸婦、などが簡略化された形で描かれている。見方にもよるだろうが、タイトルの「大洪水」から誰でもそれを表現したものだと視覚的にわかる作品である。このテーマをコンポジションとしてつくりあげたいと思った彼は、そのあと数枚の非常に抽象的な水彩画、記号めいて図式化された素描を描いている。抽象化しなければならないという規定が絵をかえって別なものにしているように見える。完成品までの一歩手前に書かれたのが「インプロヴィゼーション(即興)―大洪水」である。これは見るものを色彩という感情で翻弄させるような作品である。そうして、最後に落ちついたのが、「コンポジションY」なのだが、そこでは、もはや大洪水というタイトルは外され、死せる黒と純粋な白との像のない像が、静かな内面的緊張をもって立ち顕れてくる。ここに、言葉のもつ喚起力と包蔵しているあらゆる共感覚へ通じる豊穣さで「大洪水」を表現しようとしたランボーとの差異があるように思える。コンポジションという絵に入りこむのと、ポエジーとしての言葉の海へ浸かるのとでは体験が変性する。

けれど、さらに興味を惹いたのはそこへ二人ともに「虹」を表現していることである。ランボーは「一匹の野兎が、蜘蛛の巣を透かして虹にお祈りをあげた」「神の刻印」と詠い、コンポジションの虹は画面中央に黒を交えながら走る。まるで雨が虹に変化する過程であるかのように。ここで思いおこすのは、「創世記」ノアの方舟の虹の神話である。人類を義人ノアを除いて滅ぼした後、神は契約の徴として虹を創りだす。もう、二度とふたたび洪水をおこさない約束のしるしとして。

ランボーはその虹を幾度でも消し去っては、また顕現させてみせる。神と和解したはずの人間は破廉恥にも同じように罪を犯すが、蜘蛛の巣にかかった小さなしずくでさえ虹を映してくれるのだから。 コンポジションの虹は不思議な体験をもたらす。さまざまな色彩のなかへ入りこみ、たゆたうようにそれらを経験していると、突然意識を明瞭にするように赤、黒、白、ピンクの線が射しこむ。

シュタイナーは、洪水を古代アトランティスの終末からポスト・アトランティスへの移行であり、ノアの方舟を人間の身体形成との関連で解き明かしている。水と空気が分離し、視力をもつようになった人間は、皮膚に覆われた明確な形としての身体を作るようになる。それが、創世記では「長さ300キュビト、幅50キュビト、高さ30キュビト」の方舟として表され、同じ割合が人体の尺度にも見られると。それ以前の時代には虹はまだ現われておらず、ようやくこのとき人間に与えられた(見えるようになった)。そして、虹こそ、空気と水との交歓のなかで霊的存在たちが熱と光と影として働きかけているしるしであり、人間はその輝きを視覚的に見ることができ、それを身をもって体験できる存在なのである。このとき初めて人間の中に色彩が誕生した。

もろい、一滴の露やしずくにきらめく虹を思わず詩人が詠わずにいられなかったように、画家は、透明な、霊的と云ってよい虹をカンヴァスの上に、限定される形と色とで描かざるを得なかった。

色彩を体験するとき、人はだれでもそこに生きている。 観る者が、色彩と形態のはざまに自らを没入するとき、鑑賞者という立場から体験者となり、絵はもはや対象としてあるのではなく、自分自身が絵となる。そこでは、私が黒となり、赤となり、青となり、白となり、虹となって走る。このとき初めて人は、「精神的なるもの」の意味するところに気づくだろう。

2002.7

 

「新潟シュタイナー通信ティンクトゥーラ・虹」(2002 vol.15)より転載

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