プロローグ
今思えば、この闘争の前兆は前住人の引越しが始まりでした。
宅地は売りに出され、更地に整理さた時点で
被告配偶者のご両親が購入されました。
更地と道路を挟んだ住居に住まいする被告配偶者ご実家には
将来的に娘家族住居にとの思いが有ったのでしょう
駐車場として使用し始めました。
原告の心痛が始まったのはこの時からです。
夜間早朝、ご主人がカーステレオの爆音を鳴らしたまま
駐車場の出入りを始めたからです。
年齢的にも原告とは余り違わないと思うのですが
ご近所への配慮等考えもしない人なのでしょうか...
其れに比べ
原告の北隣の住民、年配のご婦人などは原付バイクに乗られるのですが
早朝などは玄関前でエンジンを掛けるのではなく
迷惑の掛からなそうな場所まで押して行き
そこでエンジンを掛けて出かけています。
それを見掛けた時は、原告も頭の下がる思いで
これこそ日本人の道徳、恥の文化なのだと反省しました。
原告がこの地に移り住んできたのは1984年、20代中頃です。
この団地は静粛で隣同士の空間も十分スペースを取ってあり
お互いのプライバシーを尊重しているのが決め手の一つでした。
若さ故の誤りと言えば聞こえが良いのですが
原告も当初、月に一度ですが土曜会なる名称で
友人たちと「徹マン」(今では死語でしょうか、徹夜で麻雀)の親睦会を
原告宅で行なっていました(2年近く続きました)
当時なら、月一徹マンは受忍限度内と都合よく弁解しますが
今考えると恥ずかしい思い出いっぱいです。
被告配偶者のご一家がこの地に来れれたのは原告より数年、
後だったように記憶しています。
それから四半世紀、このような事態になるとは...